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維新代表選挙のカラクリ

どうも、日本維新の会の足立康史衆院議員の講演会にも参加したことがある渡邉坊です。

今回は、維新の代表選挙のカラクリについて述べてまいりたいと思います。
記事を書こうと思ったきっかけは、まさに足立康史さんの書いた、以下のnote記事です。

私が気になったのは、本記事の以下の記載についてです。

そして、いよいよ明日が告示日という段になって、驚きのニュースが飛び込んできました。「党関係者によると、馬場氏の推薦人は約600人の特別党員のうち、半数を超えた」という産経の報道です。

https://note.com/adachiyasushi/n/n341da9fc68ba

つまり、特別党員の過半数をもって、「代表の選出と辞任、代表の信任投票」等を決することが出来るわけです。産経の報道が事実だとすれば、2万人近くの一般党員の皆さまが(明日からの代表選挙において)誰を党代表に選ぼうとも、その生殺与奪は、馬場さんの陣営が握っていることを天下に知らしめる効果があるのです。

https://note.com/adachiyasushi/n/n341da9fc68ba

要するに、維新の代表選挙の実施を決定するためには、特別党員の過半数が必要であることと、今回の代表選挙に出馬する馬場氏は、特別党員の過半数の推薦を抑えているということです。

この状況は、まさに足立議員が記載されている通り、「誰を党代表に選ぼうとも、その生殺与奪は、馬場さんの陣営が握っていることを天下に知らしめる効果がある」わけなのですが、これは一体どういうことなのか、簡単に以下の表を作ってみました。

【表】

上表をご覧いただければ分かるかと思いますが、維新において、特別党員と一般党員の権利に対称性はなく、特別党員は一般党員に優越する権利を持ちえます。表だけでは分かりにくいと思いますので、以下に詳細を羅列します。

◆特別党員:支持する執行部に対して
まず特別党員としては、支持する執行部が存在しているとき、その支配を揺るがす党員投票(代表選挙)の実施を、制約することができます。

これは、党内における既得権益側の勢力の支配を盤石化するものであり、既得権益の打破を主張する維新らしさは感じられない構造を作っています。

◆特別党員:支持しない執行部に対して
そして、特別党員として、支持しない執行部が存在しているとき、その支配を覆す党員投票(代表選挙)の実施を、決定することができます。

これは万が一、意に反する執行部が登場したとしても、党内における既得権益側の勢力が、執行部を奪還できる優位性を持つということです。
新しい風を吹き込み、党のそれまでの支配構造を変革する勢力を抑制するような、これまた維新らしくもない構造を作っています。

◆一般党員:支持する執行部に対して
対して、一般党員側とすれば、支持する執行部が誕生したとしても、特別党員によって、無防備にも代表選挙の実施を決定されてしまう可能性があります。
むろん、既存政党においてもそのようなことは珍しいことではないですが、それが一方的で、対称性がないという部分が、既存政党との最大の違いの部分です。

特別党員側は、支持する執行部が存在するときに、代表選挙の実施を一方的に制約できるのにも関わらず、一般党員側は、支持する執行部が生まれたとしても、代表選挙の実施を制約できる権利を持たないわけですから、これは公平とは言えません。
特別党員が支持する執行部の支配は、比較的に維持がしやすいのに対して、一般党員が支持する執行部は、比較的にその維持が困難であるという構造を持っているわけです。

◆一般党員:支持しない執行部に対して
そして、一般党員が支持しない執行部が存在しているとき、一般党員側としては、代表選挙の実施を決定する権利を持ちません。
よって、執行部に不満があっても、それを代える機会は、特別党員と比較して著しく制約されております。

党内の既得権益に対して、切り込むような仕組みを持たないので、その支配構造の変革は容易ではないことを示しています。

維新は「既得権益」や「しがらみ」に対する立場ではないのか?

維新に関して、特別党員と一般党員の権利に対称性がないという内容を記載しましたが、それを以って、善とか悪とか断定することはなかなか難しいと思います。

党の代表とは、いざという時には首相候補であります。
それを一般党員が、一人一票で決定できるということは、実質的には直接選挙で時の首相を決めることができるということでもあります。

一般党員が常に正しい決定をできるとは限りませんから、一般党員の権利を強めることが、必ずしも良いことばかりだとは思いません。一見魅力的に見えますが、その危険性にも目を向ける必要はあるかと思います。

同時に、特別党員の意向が党内において優位である現状の維新の構造とは、維新が勇ましくも標榜する、「既得権益」とか「しがらみ」への対立姿勢とは矛盾するものでもあります。
むしろ、党内のしがらみに対して保護的な構造であり、既存政党に対して、「既得権益」と批判する正当性を維新が有するのか、甚だ懐疑的です。

「新しい」既得権益を作る

そもそも、組織がそこにあれば、既得権益や、しがらみというものが生まれるのは、ごくごく自然なことであります。
いわば、「組織」を作ること自体が「しがらみ」を作ることと同義であり、「しがらみ」があるところには「組織」も生まれるものです。

維新という「組織」を形成して、古い「既得権益」に対峙する以上は、維新自体に「既得権益」や「しがらみ」が生まれるのは当たり前であり、それこそが、古い「既得権益」との戦いでもあります。

一人ぼっちで既得権益に対峙しようとしても、当然ながら一人ではその支配に対峙することはできないでしょう。
だからこそ、「維新の会」という組織(集団)を形成して、力を合わせて既存の既得権益に対峙しているわけです。

「維新に組織はない」というようなレトリックは、維新に親和的な人にしか通用しません。対外的に、維新は紛れもなく、「組織」であり、「しがらみ」なんです。仮に維新としてどう考えていようとも、です。

維新に必要なのは、教条的に、「古い」既得権益との戦いにばかり目を向け、党内の既得権益の存在を誤魔化し、隠すことなのでしょうか?
それとも堂々と、「新しい」既得権益を構築していくことなのでしょうか?

私は維新支持者でも何でもないので、正直どちらでも構わないと思いますが、維新という政党の位置付けとして、そのゴール地点はどこにあるのかという言語化は、一般論として必要なのではないかと思います。

そういった議論が代表選挙において交わされることを、僅かながらに期待して、私としてこの記事を捧げます。

以上、「維新代表選挙のカラクリ」でした!

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