見出し画像

立憲民主党は「ガラクタ」である

どうも、メルカリのアカウント名が「ガラクタ」であった渡邉坊です。

今回は、立憲民主党は「ガラクタ」であるというお話をしてまいりたいと思います。
立憲民主党がいかにガラクタであるのかについては、私が詳細を示すまでもなく、半ば公然の事実であると思います。多くの方が書き、示している通りであります。
立憲民主党は「ガラクタ」である。私はそれを否定しませんし、むしろ肯定いたします。

野党合同ヒアリングの復活

さて、立憲民主党はと言えば、旧統一教会問題に関して、
かつて評判が悪いために廃止した、野党合同ヒアリングの復活がなされるという情報が出てきています。
政治と、霊感商法などの問題がある旧統一教会の関係には多分に問題があると思いますし、その意義までも否定するものではないですが、私はこの立憲民主の動きから、中道化の傾向の弱まりと、泉代表の影響力の低下の傾向を感じている次第です。

立憲執行部刷新論

そして最近、立憲執行部刷新論なるものが、立憲民主党内から湧いているようですが、私は正直、この刷新によって、立憲民主党が政権交代に繋がるだけの力を得ることはないと、悲観的に見ています。

先の参院選での敗北、それすなわち、立憲民主党というフォーマットの限界であり、立憲民主党は死んだ政党であることを示していると私は感じます。
お恥ずかしながら、参院選前の立憲の中道路線によって、いくばくかの党勢回復を私は予期していましたが、それは外れ、維新に実質的な野党第一党の座を奪われているという痛烈な結果が出てしまいました。

立憲民主党に属する方々の努力や、泉代表の努力を否定するものではありませんが、私としては、立憲民主党というフォーマットに限界があるとしか思えないのです。
少なくとも、立憲民主党というフォーマットの枠内で地道に改革改善を繰り返したところで、その延長線上に政権交代はないと断言できます。
立憲民主党はやはり、昨年の衆院選によって「死んだ」政党なのではないかと思っています。

ガラクタ蹴りに意味はあるのか?

ガラクタをこれ以上壊すことに、何の意味があるのでしょうか?

さて、立憲民主党がこの状態にあるということは、新たなる野党のフォーマットの創造しなければならないとも思います。
新たなる野党のフォーマットを提示し、それを元に政権交代の土台を形成する必要があるように思います。

もはや、立憲民主党を壊す段階は過ぎ去っており、既に立憲民主党は機能不全をきたしたガラクタであると断言できます。
そこでガラクタを蹴ったところで、気持ちはスカッとはするかもしれませんが、それまでです。
新しい野党の様式を想像すると考えた時、そうしたムーブメントは生産的ではないと考えます。

立憲はガラクタであるという前提で、創造性のある議論を

カレー作るみたいに、新しい野党のビジョンを考えませんか?

ガラクタを蹴ったところで、何も生産的なものは生まれはしません。
ガラクタを大事にする人たちの悪感情と、ガラクタを蹴ってスカッとする人たちの自己満足しか生まれないのです。
私は、立憲がガラクタであるという前提において、新しい野党というクリエイティブな議論がしたいと思うし、そのためには政党のガバナンス論や、党員民主主義の議論を深めるべきとも思います。

いざ、創造的な議論を

繰り返します。立憲民主党は、ガラクタである。
だからこそ、創造的な議論を。だからこそ「新しい答え」を。

以上です、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?