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国民民主党は、自民党改憲草案に賛成していない

どうも、夏の暑さに脳がやられている渡邉坊です。
今回は、国民民主党が自民党改憲草案に賛成していないということについて、記事にしたためたいと思います。

問題の発端は、とあるツイッターアカウントのとあるツイート。
該当ツイートは、既に誤りであるとして、削除なされていますが、
意訳すれば、「国民民主党や維新は、自民党の改憲草案に賛成している」という内容のツイートをなさっていました。

国民民主党は、自民党改憲草案に賛成していない

さて、維新については詳細を存じ上げませんので、
国民民主党に絞ってお話ししたいと思いますが、
結論から申し上げて、国民民主党は現状の段階において、
「自民党の改憲草案に賛成している」という事実はありません。
よって、該当のツイートの内容は誤りということになります。
先述の通り、謝罪もセットでこのツイートが削除されることとなりました。

悪しきデマは、言論空間における最大の敵。
それが除かれ、めでたしめでたしと、そうお感じの方も多いかと思います。
しかし私にはどうにも、違和感があります。
その理由を述べてまいりたいと思います。

トリガー条項凍結解除における国民民主案の「骨抜き」

繰り返し、国民民主党が自民党の改憲草案に賛成していないという点は申し上げたいと思いますが、以下の記事にもあるように、
かつて国民民主党が、党の命運を賭けて取り組んだ、
トリガー条項凍結解除において、国民民主党案は通らなかったという過去があります。

いわば、強かな自民党によって、国民民主党の案は骨抜きにされ、
国民民主党の考えがそのまま通ることは無かったということです。

完璧主義は禁物、部分的には考えが通ったのだから、
やる意味はあったのだろうという考えもあるかと思いますが、
外形的に見れば、国民民主党の考えは、
自民党の前には通用することなく、未完成な形でこの取り組みが停滞しているというのが、現状であるとも思います。

「野党の話は聞かない」

また先日、自民党の現職の閣僚から、「野党の話は聞かない」という失言がなされています。一部の閣僚の失言と言えばそうですが、そもそも国会の過半数を握る自民党政権に、野党の声を聴く理由もないのは、また事実。

自民党が野党の声に耳を傾けるという状況とはつまり、

①自民党にとって利益がある状況
②野党にとって不利益がある状況
③話を聞くことで、自民党にとっての不利益を回避できる状況

のいずれかです。
①とは言葉通り、自民党が野党の意見を聴くことによって、
支持率が上がるであるとか、そういう目に見えた利益がある状況を指します。

②も言葉通り、自民党が野党の意見を聴くことによって、
野党の連携を邪魔できるとか、野党の支持率を下げられるであるとか、そういう状況を指します。

③は①に似ている場合がありますが、これは例えば、
野党に民意の後ろ盾があり、それをないがしろにすること自体が、
自民党の不利益になると考えられるときに、
その回避として、自民党は野党の考えを聞き入れます。

①と②は少なくとも、自民党支配を利し、
野党の利益を損なうものである以上は、
野党としては、積極的に選びにくい手段。
自民党を利する以上は、その線は諸刃の剣です。

野党の意見を自民党に聞き入れさせる手法の王道が③
となるかと思います。野党が民意を味方として、
その考えを聴かないならば、政権を変えるぞという迫力が、
自民党を、野党の意見を聴かざるを得ない状況に追い込むわけです。

自民党に考えを飲ませる条件は整っているか?

野党は御覧の通り、連携もおざなり、いわば多弱の状況。
自民党にとって代わるほどの迫力などはありません。
野党同士の綱引きに終始している面はあるかと思います。
この状況において、自民党に考えを飲ませるということは、
果たして現実的であると言えるでしょうか?

野党に力がない以上、先述の①か②の手法を選択せざるを得ません。
国民民主党が実際、この手法をトリガー条項凍結解除において用いたわけです。
しかしながら先述の通り、国民民主党の考えを飲ませることは
不首尾に終わり、その実現の道は、いまだ見えてはいません。

これはそのまま、改憲議論においても通用する理屈かと思います。
いわば、国民民主党の国民のための「正論」は、
トリガー条項凍結解除においては力を発揮しませんでした。

国民民主党は現状、改憲議論において「自民党の改憲草案に賛成」していないわけですが、トリガー条項によって生じた、国民民主党の最初の主張からの後退と同じメカニズムで、国民民主党の改憲に対する考えが、自民党寄りに軟化する可能性は、果たして否定できるのでしょうか?

繰り返し、国民民主党は「自民党の改憲草案に賛成」していないことは念頭に置きつつも、国民民主党が現状において、「自民党の改憲草案に賛成」していないという立場をとることに、いかほどの価値があるのでしょうか?

国民民主党が、改憲議論において自民党に取り込まれないことに必要なのは、改憲議論において、トリガー条項凍結解除の際に起きた、主張後退のメカニズムの再現を起こさない担保であり、言葉自体にはさほどの意味はないのではないでしょうか?

でも、「デマ」は好ましくありません

私がこの件に関して、意見を述べたツイートに対する反応として、
「デマ」に対する擁護をしているというご指摘を頂きましたが、
それは半分、その通りかと思います。
見ようによっては、デマの擁護ともとれる発信であったことは否定できかねると思います。

「一理」という単語の使い方であったりとか、言葉の粗さや、その影響についてもご指摘を頂きました。これらのご指摘は必ずしも誤りではないと思いますので、しっかりと頭の片隅に入れておきたいと思います。

デマを否定したその先に

しかしながら、デマであるからと、
そのデマが拡散された背景であるとか、
なぜにこういった風聞が出回るのかという観点は必要であると考えます。

デマを否定するがあまり、私が今記事で述べたような、
国民民主党が改憲議論において、自民党に取り込まれる可能性があるという視点まで除かれてしまえば、まさにその警戒に対してゆるみが生まれて、
本当に国民民主党が自民党に取り込まれる可能性も出てくるかと思います。

デマを否定することは大切です。
ネットマナーにおいては模範的な行動です。普通に考えれば、正しい行為であり、私のような発信は異常性があり、あらぬ情報を広める危うさもある。

しかし同時に、デマの否定には、必要な視点をそぎ落とす面もあるのも確か。デマを否定するばかりに、その裏にある背景であるとか、デマが生まれる理由であるとか、そこに思いめぐらさないのでは、「何か」が欠けた言論空間になることもまた確かかと思います。

各人のスタイルはあくまでもご自由ですが、それが本当に「正しい情報」で溢れた言論空間を作るかということについては、私は懐疑的であります。
デマの中にある「一理」を求めて、今日も私は「異常」な発信を行うのみであります。

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