明日の承認を信じて今日も生きる
2000字のライティングを終え、
ふぅ、と息を吐いた。
達成感を得る前に、ドキュメントを確認しクライアントに共有する。
以前よりは執筆スピードは上がったけど、苦痛は減ったけど、まだまだだ。
やらされている感が拭えない。
不労所得が手に入ったら今すぐ投げ出して、二度とクラウドソーシングなんて開かないのだろう。
…だけど、習慣になっているから開くのかもしれないな。
そんなくだらないことを考えていると、
「トゥードゥン!!!!!」
チャットワークの不快な通知音が耳に届く。
相変わらず、返信だけは早い。
「とても良い記事でした!!」
たった一行で自分のすべてが報われた気分になる。
顔も声も本名すらしらない画面の向こう側の人。
そんな赤の他人の承認ですらこんなに嬉しい。
ああ、この感情を得るために今日も明日も生きていくのだな。
なんだか悲しくなってくる。
他者の承認でしか、自分の価値を認められないのだから。
明日承認を得られなかったら?
きっと、「今日の自分は何をしたんだろう」と思い悩むのではないだろうか。
自分で自分を承認できたら、どんなに楽なのだろう。
それはそれでつまらないのだろうか。
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「恋人は悲しみを分かち合うためにいるんだよ。だからなんでも相談してね」「今日は何をしたの?元気にやってる?」
「結局何も言わないじゃん。あなたに私は必要ないの?」
「ずっと言ってるのに何も変わらないね」
いつかの言葉を思い出す。
”もちろん必要だよ”
そう即答していたら、どんな未来があったのだろう。
あるいは、
”相談できる相手がいるだけですごく助かってるよ。いつも心配してくれてありがとう”
そんな本心を素直に笑顔で答えられていたら、結末は違ったのだろうか。
……否。
きっと時間の問題だったのだろう。
あなたには持っていない概念が僕にはあるし、
僕には持っていない概念があなたにはある。
あなたにとっての当たり前が僕にとっての当たり前じゃないし、
僕にとっての当たり前があなたにとっての当たり前じゃない。
あなたはあなたの悲しみを、悲しみの対象に共有し続け、それでも報われない悲しみに押しつぶされていくのだと思う。
そして、悲しみの対象は悲しみを与え続ける、どうしようもない罪悪感に潰されていたのではないだろうか。
あなたが最後に僕にかけてくれた言葉を今でも鮮明に覚えている。
涙声。震える声で、絞り出すように。
「あなたはあなたのままでいいから」
「私、もっと頑張るから」
いや、もう頑張らないでくれ。
頼むからそのままの、「ありのままのあなた」でいてくれ。
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「お褒めの言葉をいただき大変恐縮です」
当たり障りのない言葉で返す。
あまり距離を詰めたくない。
前回の記事は事細かに指摘してきた相手。
「そこは絶対こっちの方が良いと思います」
フィードバックを素直に受け止められない自分にも、脳みその指令が指先まで伝わらない自分にも嫌気がさした。
相手を尊重するのは難しいし、自分を尊重するのも難しい。
「常識」じゃなくて「正解」が蔓延る世界だったらよかったのにな。
寝ると承認を求めた今日が終わり、起きると承認を求める明日がやってくる。
あの日、思ったこと。
”頼むからありのままのあなたでいてくれ”
自分にそう言ってあげられる日は来るのだろうか。
あるいは、自分が「自分じゃなくなれる」日は来るのだろうか。
それが明日だと良いな。
そう願いながら、僕は暗闇の世界に落ちていった。
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2021年1月23日
1.5h
1400文字
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