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「お金」という名の呪い~フリアコを終えて~#15

このマガジンでは就活を投げ出した21卒の新卒フリーランスが将来どうしたいのか、どうありたいかを考える過程を記録しております。
あわよくば、読んでくれている方に何かしらの好影響を与えられたらと。
よろしくお願いします。

前回↓

ストーリーの第一話


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ゲストハウスのフリアコをこなしながら、空いた時間でフリーランスの仕事をこなす日々。
2か月というのはあっという間だった。
そんな一瞬で過ぎ去った生活の中でも、感情の揺れ動きはしっかりと刻まれているものだ。
フリアコスタッフとして過ごした2か月間を振り返ってみたいと思う。

「初めてフリアコをやってみたんですけど、自分には合わないなと思いました。」

最後の挨拶。
冗談半分ながら、
また、重くはならないように、
感じた事実の一部を、思いの丈をほんの少しだけ話していた気がする。

3つあった目的を差し引いても、自分のやりたいことではないと、はっきりと感じていた。


始まり


始まりは順調だった。
色々な人の出入りがあり、社交性を学べそう。
ボドゲイベントも一任されることになり、気合が入っていた。

そして何より大きかったのは、これまでのアドレスホッパー生活では手に入らなかった「帰る場所」ができたこと。

というのも、毎週20~25時間ほどフリアコの仕事がある。
必然的にその時間はゲストハウスにいることになるし、オーナーやマネージャーとも接触回数が増える。
もちろん、お客さん目線は「スタッフの方」という明確な肩書がつく。


ゲストハウスにいるからコミュニケーション能力が高いのか、コミュニケーション能力が高いからゲストハウスにいるのか。
因果関係は分からないけれど、従業員・お客さん、ともに好意的に迎え入れてくれ、非常にありがたかった。

「このままフリアコをしつつ生きていくのも悪くないのかもしれない」
初めの3週間はそう思っていた。



客と上司とスタッフと報酬


ひと通りの仕事を教えてもらい、ある程度は慣れてきたころ。
一つの思いを持つようになっていた。


「なんで自分の報酬はゼロ円なのだろう。」


目の前が真っ暗になるような、悲しいような。

今までに感じたことのない感情だった。

日本には最低賃金がある。
労働者として雇用関係にある場合、どんなに安くても1時間700円で買ってもらえるのだ。

これまでの人に言われてやる仕事。
農業、飲食店のホール、ホテルのフロント、パン屋の販売、着ぐるみの中の人、家電量販店など。
正社員の経験はないとはいえ、アルバイトとして、そこには正当な報酬があった。
どんなに忙しくても、どんなに暇でも、どんなに一生懸命仕事をしても、同じ賃金なのは少しだけ不満だったけど。



『月間80~100時間の労働⇔滞在費無料』


そういう契約だと納得の上でフリアコを始めたつもりだった。

「無料で滞在ができて、自分のブランディングにも繋がって、コミュニケーションが学べて、なおかつそこが自分の居場所になる」

それを求めてフリアコに来たはずだった。

ただ、全くのゼロ知識から入るため、そこには当然、仕事を教える立場と教わる立場が存在している。

そこには当然、明確な先輩と後輩の関係がある。

そこには当然、覚えなければならない仕事がある。

そこには当然、お金を払ってくれるお客様への、「良いサービスを提供する責任」がある。


業務の幅が広かった「弊ゲストハウス」は特に覚えることが多かった気もする。
覚えが良い方ではないなりに、頑張ったつもりだ。

業務内容的には、これまでのアルバイトと遜色のない。

ホテルのフロントマンのような仕事。
飲食店のホールのような仕事。
ライターのような仕事。


だけど、その頑張りは1円の報酬にもならない。

「なぜ、この掃除には報酬が発生していないのだろう」
「なぜ、この接客には報酬が発生していないのだろう」

特にブログ執筆とボドゲ業務には特に違和感があった。
「なぜ、お金をもらってやるはずの執筆に、報酬が発生していないのだろう」
「ボドゲを楽しんでもらえて良かった。確かに楽しい時間を提供できたはず。あれ?この頑張りの対価は?」

「おれは、こんなことがやりたくてフリーランスになったんだっけ?」

いつしか、そんな思いが募っていった。


時給という名の呪い


ただ、勘違いしてほしくないのは
「フリアコは悪だ!」とか「○○のフリアコは辞めておいた方が良い」
などと言いたいわけではない。

むしろ、
「ここの環境はめちゃくちゃ良いよ!」と、以前フリアコをやっていた子がいう程度に。
一日だけ被った先代フリアコの子が、まだまだここで働きたいと、送別会で涙を流す程度には良い場所なのだ。

だから、フリアコは全く悪じゃない。
ちょっと調べればわかってしまう、そのゲストハウスのフリアコもとても良いものなのだ。

お客さんとして宿を探しているのならば、なおさらおすすめできる。
そんな素敵な場所。


だからこそ。そんなに素晴らしい場所だからこそ。

自分はどう考えても打算的で、ずるくて、合理的で、心が狭くて、間違っているように思えた。

「なぜこの仕事には報酬が発生していないの?」
そう考えてしまう自分が嫌になった。


自分は贈与とか奉仕とか、そんな寛大で優しい世界に生きられるほどできた人間じゃない。


ーーー自分は"時給"という名の、あるいは"お金"という名の呪いからは逃れられない…ーーー


当時の自分には、その現実だけが突きつけられていた。



フリアコを終えて


「フリアコは向いていませんでした。
だからこそ、これからはスタッフという立場ではなく、一人のファンとして関わっていけることが非常に楽しみです」

そんな言葉で挨拶を締めくくった。


「なんで報酬が発生していないのだろう」


そんなことを考えながら仕事しているやつの態度はきっと酷いし、気難しいやつだと思われていたはず。

それでも丁寧な態度で接してくれた関係者の方には感謝しかない。

送別会では
「応援してるで」「ボドゲ楽しかった!」「寂しくなるなあ」
という言葉をかけてくれた皆さん。

不誠実なはずの自分にかけてくれる言葉の数々。


なぜかそれらが心からの言葉に聞こえて、嬉しくなった。

そして、「卒業祝い」と称されたプレゼントまで。

報酬とか、対価とか、自分が難しく考えすぎているのかもしれない。
もっと誠実に生きていきたいなと強く思った。


フリアコ経験の副産物たち

「あははははは!向いてなかったんだ!」
「私は仕事も報酬も、なんとも思わずできたけどね」

フリアコを勧めてくれた人はそう笑い飛ばした。


その後、出来事を丁寧に深ぼってくれて、どうやら自分は

・仕事を『仕事だから』と割り切れないタイプ(むしろ割り切ってこなせる人がいることに驚いた)

・仕事に対して正当な報酬を求めるタイプ(それがお金とは限らない)

ということが分かった。
それを否定もせずに「こういう傾向がある」とだけ言ってくれる優しさが身に染みた。

多分、この考え方は治らないのだろう。


「フリアコ経験は間違いなくプラスになる。」

今の自分はそう言い切れる。

大きかったのは、上記以外の思わぬ気づきや、思った以上の人の繋がりができたこと。

それは次のエッセイで触れるとして。

遠回りでも確実に前進している。
動いている割りに、微々たるものしか掴めなかった半年前の自分。

あのときよりは確実にマシだ。

そう思えることが何よりも嬉しいのだった。

続く。


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