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本当にささいなことだけれど

今日、コーヒーをドリップしながらふと思った。

ここ数年、毎日のようにコーヒーを飲む習慣があったのだけれど、この数週間、1杯も飲まない日がぽつりぽつりと増えていた。

もちろんこの暑さで、たとえアイスコーヒーだろうと、苦い液体(笑)よりかは純粋な水分を欲していたのも大いにあるだろう。

ただ、わざわざ不思議に思ったのは、ドリップをしていたからだ。

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コーヒーは好きだけど、正直まったく詳しくないし、「酸味が強いのは苦手」くらいしか味にこだわりもない。

なんなら高校生まではまったく飲めず、香りを嗅いだだけで酔ってしまうほど苦手だった。

さすがに好きになってからは、「美味しい」と思いながら飲めるようになったし、香りにホッと落ち着くくらいにはなった。

ただ、普段家で飲む時は、お湯を注いだだけで出来るインスタントコーヒーを愛飲している。

ここ5年くらいは同じお店のものをネットで購入しているけれど、その決め手は産地でも生産方法でもなく、お湯だけでなく水でもサッと溶けるところとよくも悪くもクセのない味である。

母が昔から大のコーヒー好きだったので、新鮮な豆でドリップしたコーヒーの美味しさはわかるにはわかる。
コーヒーに詳しくなくても、それが美味しいか美味しくないか程度はわかる、と思う。たぶん。

でも、休日や夫と一緒にコーヒータイムを楽しむ時くらいしかドリップはしてこなかった。

コーヒーが飲みたいと思ったら、缶コーヒーやペットボトルで飲むくらいのスピード感で飲みたい私には、まず道具をセットして…から始めるドリップは、毎日するにはあまりにも面倒すぎた。

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ところがこの頃ドリップコーヒーを飲む頻度が増えていたことに、まさに今朝気付いたのだ。
(その中には便利なドリップバッグも含まれる。)

別に丁寧な暮らしを目指したわけではない。
豆をひいたわけじゃないし、使うのはいつ買ったかも忘れた紙フィルターだし、お湯もケトルで沸かした水道水。

チョロチョロと泡立ちを楽しみながら淹れるとこまでは至らず、なるべくゆっくり、でも確実にジョボジョボとお湯を注いだヤツ。

でも、ちょっといいね。この時間。
私がこれ以上進むとは思えないけれど、コーヒーにハマっていく人たちの気持ちがほんの少しだけわかった気がした。

しかも、これ、夫に聞かれたら気まずいけれど、”自分のためだけに淹れる”というのも結構いいのかもしれない。

夫に限らず、誰かと一緒に飲むのももちろん美味しいし幸せな時間だけど、自分のためだけに淹れる時間と味わう時間はそれらとはちょっと違う満足感がある。

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とかなんとか言っても、涼しくなってくればまたインスタントコーヒーを一途に飲んでいるかもしれない。
それはそれで美味しいし、便利だし、楽しい時間だからいいのだけれど。

ただ、自分の中に、そういう無意識のささいな変化を見つけるのは、なんだか嬉しい。

本当、それだけ。

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