推しの繋がり解雇を受けた僕を支えてくれたアイドルにガチ恋し、やがてその子が卒業するまでの話


"ともやの居場所は
わたしがつくる"


僕は大学を機に、
親を説得して地元を出てきた。

「こんな片田舎で
一生過ごすのは嫌だ」

と中学の頃から思っていた理由もあるが、


小中高となかなか自分の居場所を作れず、
その苦しさから
逃げるように上京をしてきた。


"居場所"


思えば僕はずっと

自分の居場所が欲しかったのかもしれない。



〜アイドルフェスでの出会い〜

あの日僕は
秋葉原の各ライブハウス合同でやる、
アイドルフェスイベントに参加していた。

道を一人で歩いていると、
ピンクの衣装を着たアイドルが
ビラを配っていた。

(あの子からビラ貰えないかな〜)

そう思った僕は、

"タイミングを見計らって
その子の前を通ろう作戦"


を考えた。


そうして遠目で
他のヲタクと話終わるタイミングを
伺っているとき
他のアイドルから声をかけられた。

アイドル
「え、イケメン」

ぼく
「いやいやいや」

アイドル
「なにしてんの?」

ぼく
「いや、あの子から
ビラ貰えんかな〜と思って」

アイドル
「私で悪かったな!
あーあの子?
あの子同じ事務所だよ!後輩なの!」


そうこうしてるうちに
ピンクの衣装の子は引き上げてしまい、

「あの子といつも定期やってるから来てよ」

という口車に乗せられて
声をかけてきた
押しの強いアイドルのTwitterをフォローし、
その日は帰った。

これが後に、

僕の人生を大きく変えた
ピンクの衣装の子との
初めての出会いだった。


〜Hちゃん〜

それから僕は
ビラをくれた
推しの強いアイドルを推したのだが、

その間も
時折ピンクの衣装のHちゃんのところにも
行くようになっていた。


Hちゃんは、言うなれば
掴みどころのない、ノリのいい性格で、
チェキを撮るのが
とにかく毎回楽しかった。

金ローで
ハリーポッターがやってた時は

Twitterで

「今度ハリーポッターで撮ろ!」

とリプでやり取りし、

ぼく
「じゃあHちゃん
クディッチの金色の飛んでるやつやって。
俺観客やるわ」

こんな要求も
彼女は笑いながら

「なにそれwえ、こう?w」

としっかり応えてくれた。

僕はそんな彼女を好きになったし、
彼女の笑顔が何よりも大好きだった。


〜推しの繋がり解雇〜

そんな最中
僕が推していた
"ビラをくれた子"
が繋がり解雇された。

もちろん落ち込んだし、

人間不信にもなった。


でもそんな中でも
Hちゃんは僕を笑顔で迎えてくれた。

嬉しかった。

次第に僕は
Hちゃんを目当てに
ヲタクをするようになり

彼女の温かさに
僕も笑顔になれるようになっていった。

〜1stワンマンライブ〜

夏も終わりに差し掛かった頃、

Hちゃんのグループの
1stワンマンライブが
秋葉原のTwinBoxで開かれた。

ヲタクの中では

「えっ?
あんな広いところでやるの?
埋まる?大丈夫?」

という声がほとんどだった。

普段の定期や対バンライブでも
毎回来る顔見知りの数人しか
動員がないため

僕も

"人が本当に入るのか?"

と不安だった。

しかし、
会場に入ってすぐに

僕の不安は違う感情に変わった。

フロアは人で埋めつくされていた。

人の熱気、
しばらく見ていなかった
懐かしい顔ぶれ。

僕は目の前の出来事に
驚き、震えた。

「ワンマンくらいは行くか〜」

のようなヲタクの義理堅さと、
メンバーの日々の努力を感じた日だった。

1時間以上に渡るライブは

既存のオリジナル曲3曲に加え、
ライブ中に新曲が披露され
カバー曲も織り交ぜながらのもので

盛り上がりは最高潮だった。


僕自身も
とても楽しく、
思い出深いライブになった。

〜兼任発表〜

Hちゃんのグループが
ワンマンライブを成功させた一方で

メンバーの繋がり解雇受けた
姉妹グループの方はというと、

3人の新メンバーを加え、
新体制で
スタートするのが発表された。

3人中2人は
初お披露目のメンバーだったが、

残りの一人に
僕は度肝を抜かれた。

それは、
Hちゃんがグループを兼任する
という内容だった。

僕が驚いたのはそれだけでなく、

元々のグループでは
ピンク担当であるのに、

兼任する方のグループでは
担当カラーを
白にするということだった。

Hちゃん
「ああ、
ともやくんがいやかな〜と思って」

実際の真意は分からないが、

繋がり解雇された元推しと
同じ担当カラーに
ならないようにという
僕への配慮だったらしい。


今思い返すと、

気を使わせてしまった
だけかもしれないが
彼女はそんな身の回りの人へ
しれっと配慮をする人だったなと思う。


〜初めての生誕祭〜

秋も深まった頃、

Hちゃんの生誕祭が
開かれる頃になった。

僕も分からないなりに
先輩ヲタクと相談しながら
全力で準備のサポートをした。


そして迎えた生誕祭当日

Hちゃんがスタフラやケーキ、
メセカを見て喜んでくれたのが
とても嬉しかった。


プレゼントも用意したが、
他のヲタクと
丸かぶりするという珍事も起きた。


ぼく
「『次は生誕Tシャツ作ってね!』
って言ってましたね!」

ヲタク
「ははっ来年も出来るかなあ?」

〜卒業発表〜

生誕祭を終え、
兼任グループのワンマンも終え、

冬に差し掛かった
そんなときだった。

その日は定期ライブの日。

Hちゃんの

"絶対来て欲しい"

という内容のツイート。


嫌な予感がした。

その日だけは
現場に向かう足が
とても重く感じた。

電車に乗って
秋葉原に近づくに連れて
胸が苦しくなっていった。


会場に着き、
Hちゃんのグループの出番。

明らかに普段と様子が違った。
目も合わせようとしないし、
曲中にメンバーが泣き出し始めた。


僕はというと、

うなだれたまま、

ライブ中に
一言も発することが出来なかった。

そして彼女の口から告げられた
卒業発表。

胸が張り裂けそうだった。

そして最後の曲。
最後の曲はラスサビに
ガチ恋口上が入る曲だった。


そこで僕はやっと体が動いた。

せき止めていたものが
一気に流れ出すように僕は泣いた。


顔をくしゃくしゃにしながら


魂を削る勢いでガチ恋口上を打った。


また、大切にしたい存在が
自分の前から
居なくなるのが苦しかった。


〜ラストソロ〜

定期ライブでは
メンバーが代わるがわるに
ソロで15分枠をしていたりしたのだが、

その日は
Hちゃんの最後のソロだった。

僕は体調を崩していたが、

「治ったから大丈夫!」

と嘘をつき、
行ってしまった。

Hちゃんが1曲目に歌ったのは、
NMB48のドリアン少年だった。

ちなみに僕は
須藤凜々花さんを推していた。

Hちゃん
「は?体調悪くても
ともやは来いって
言おうとしちゃった笑」

2曲目3曲目に
Hちゃんが歌った

あした地球がこなごなになっても

檸檬色

このでんぱ組の2曲も
僕にとって心に残る曲になった。


〜ラストライブとオフ会〜

そして訪れた
Hちゃんのラストライブ。

あっという間だった。
僕は、泣かなかった。


しかし、特典で受け取った
Hちゃんのフォトブックのメッセージに
僕は抑えていたものが爆発した。

"ともやの居場所は私がつくる。"

嬉しかった。

僕が一番欲しかったのは
自分の居場所だった。



年が明け、
最後のオフ会が開かれた。

楽しい時間が過ぎていくのにつれて

"頼む、終わらないでくれ、、"

という気持ちが強くなっていった。


そして訪れてしまった
最後の集合写真。




(えっ?これで終わりなのか?)




(いやだ、終わりたくない、、)





「ともや?」


僕は、

立ち上がれなかった。



僕はなにも考えることが
出来なくなっていた。






Hちゃんとの時間は
何よりも楽しかった。

Hちゃんのことを考えている時間が
幸せだった。


僕は彼女が戻ってくるまで、
何ヶ月でも、
何年でも、

待ってやろうと思った。



自分の居場所は、

彼女がくれるから。

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