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2カ月間休職してやっとわかった、自分にとってのしあわせ

こんにちは、てんぷらです。
皆様お元気でしょうか。皆様のおかげでわたしは今日も元気です。

実は3月と4月は休職していました。5月から復職してなんとか仕事がやれています。今日は休職中のことを少し書こうと思います。

わざわざブログで書くかどうか迷ったんですが、今の正直な気持ちを忘れないように書いておきたいなと思ったのと、この記事が今大変な思いをしている誰かに届けばいいなと思って書きます。


どうして休職したのか?

一言で言うと「自分のことを大切にできず働きすぎてしまった」ことが原因です。

新卒でコンサルに入ったときからずっと仕事は頑張りたい一心で、平日の寝る時間以外のすべては仕事に捧げようと思ってる仕事人間でした。頑張ったら頑張った分だけ報われる社風で、それがたくさんある正義の中の一つであるような文化や評価制度であったのも、自分が頑張る理由の一つであり、モチベーションの源泉でした。

その結果、気づいたら土日にも仕事を持ち込むようになり、「仕事をしていない自分には価値がない」とさえ思うようになってしまいました。

うまく行ってるうちはそれでいいのですが、自分に任される仕事の範囲も量も上がっていって、自分が上司やお客さんの期待値を満たしたり、期待値を超えたりすることが難しいと自分が感じるようになりました。それが引き金となって、どんどんネガティブな方向に気持ちが傾いていき、塞ぎこんでいきました。「もっと頑張らなきゃ」「もっとスキルをつけなきゃ」「もらってるお給料以上の働きをしなきゃ」とかどんどん自分を追い込んでいくうちに仕事する時間が増えていきました。

そんな日々を重ねるうちに、じわじわと考える力が奪われていき、ついには会議で人が言っていることが言葉としては入ってきても、意味が理解できない状態になりました。それに加えて、夜眠れない日々が続き、ほぼ寝ていない状態で朝を迎えることが多くなりました。追い打ちをかけるように、会社に行くと吐き気、めまいに襲われるようになり、会社に行けず、自宅から働くような日が続きました。

もちろん仕事のパフォーマンスはがた落ちしてしまい、普段は1時間でできる仕事が1日かかったり、ケアレスミスがいつにもまして多発するようになりました。自分でもなんとかしないと、はわかってはいたのですが、その気持ちがさらに自分を追い込む方向にいき、もがけばもがくほど沼にはまっていくような感覚でした。

今思い返すと、本当にこのころの自分は病みまくっていたなと思います。「消えたい」「ここからいなくなりたい」
寝床につくたびに毎日そんなことを考えるようになってしまい、朝が来るのが嫌で嫌で仕方なかったです。カーテンを開けて日の光を浴びているととてもしあわせな気持ちになるのですが、外に出ることはおろか、体が重力に負けて、立っていることすらしんどく、本当に無力で、情けなく、ちっぽけな自分に嫌気がさしました。

わらにもすがる思いでやっとの思いで診療内科に行き、お医者さんにつらつらとここまであったことを話しました。お医者さんからは「大変でしたね、がんばりましたね」と言葉をかけらました。救われたような、余計に自分が情けなくなったのか、なぜだかわからないですが、涙がとまらなくなりました。発行してもらった診断書には「適応障害」と書いてありました。

診断書の文言を見て、初めて自分は休んだ方がいいんだなと思えるようになりました。上司には翌日事情を話し、2カ月休ませてもらうことになりました。

休職中に何をやっていたか?何を学んだか?

それから、すぐに休職期間に入り、最初の3週間は実家に帰り、ただただ家でぼーっとするだけの日々が続きました。この休職期間中に何か一つでも思い出を残せたらいいなと思い、日記を書くことにしました。

その日記には自分がその日達成できたことをつらつらと書きました。朝食が食べれたこと、外に出て散歩ができたこと、Netflixで好きな映画を見られたこと、ペットと遊べたこと、お風呂に入れたこと、夜更かしせずに寝れたこと。本当に小さなことばかりで、他の人からすると当たり前に思えるようなことかもしれませんが、「当たり前の生活が送れること」が当時の自分にとってはこの上ない幸せなことに感じられました

それに、誰かが褒めてくれなくても、自分のことは自分で「今日もよくがんばったね」と労ってあげることが大事だということもわかりました。休職前の自分は自分のことを大事にすることができなくて、「どうしてこんな簡単なこともできないのか」「人の役に立てているのか」とそんなことばかり考えて、自分のことを大切にするどころか、自己犠牲は美しいもの、とすら思っていた時期がありました。自分が満たされていない状態で、他の人を満たしてあげられるわけがないのに、驕る気持ちがあったんだろうなと反省しました。

それに、周りにいてくれる人の存在も大きな心の支えになりました。仕事で何があったか何も聞かずに、ただただそっとしておいてくれた家族。自分が休職したことを知って、ご飯に誘ってくれた友達やおいしいものを送ってくれた友達。今は仕事のことは忘れてゆっくり休んでね、また帰ってくるのみんな待ってるよと言ってくれた上司。2カ月といわずにもっと休んで元気になってくださいといってくれたお客さん。

本当に本当に周りの人には恵まれました。自分が働いていなくても、頑張っていなくても、自分のそばには自分を大切に思ってくれている人がいることを改めて嚙み締めました。仕事も、お金も何もなかったとしてもただ利害関係なく、ただただそばにいてくれる存在は本当にありがたかったです。僕も誰かが辛い思いをしているときはその人の気持ちに寄り添えるような人になりたいと思えました。

休職して2ヶ月目には青春18切符を使って、四国まで1人で旅行にも行きました。電車に揺られながら読む小説、迷子になりながら行く観光地、初めて食べるご当地料理、旅行先で出会う人々や動物、お酒を飲みながら見る夜景。そのどれもが、新鮮に感じられました。

仕事でいっぱいいっぱいな時は仕事が世界の中心で、自分にはそれしかないように思えましたが、そんなことはなく、世界は広くて、僕の知らないことはたくさんあるんだなと思いました。

深呼吸をして空を見上げると自分はほんとうに取るにたらないちっぽけな存在でしかないと思うのですが、だからこそもっと自分勝手に自分のやりたいことを、自分がそばにいたい人と一緒にいることが僕は大事だなと思っています。

これからどんな生き方をしたいか?

2カ月の休職で得られたものは大きかったです。健康が一番大切であることはもとより、目の前の小さなことにしあわせを感じること、自分のそばにいてくれる人を大切にすべきこと。小学校の道徳の授業で習うようなことばかりかもしれませんが、働くことばかりに目が言っていた自分はそんな基礎的なことすら忘れていました。

仕事から少し距離を取ることで、自分にとって本当に大事なことはなんなのか、何に自分は幸せを感じ取る事ができるかを見つめ直すいい機会になりました。自分にとっての幸せとは「おいしいもの食べること」「たくさん寝ること」「好きな人とくだらない話をすること」「自分の知らないことを知れること」だと改めて気づかされました。そして、その幸せにはそれほどお金が必要ないこともわかりました。もちろんお金はあったらあっただけいいのですが、自分の健康に変えられるものはないので、健康を害さず、ヘルシーな働き方に変えていきたいと思っています。

そのためにも自分との約束として以下のことを守っていきたいと思います。
・できるだけ残業はしないこと
・夜遅くまで仕事するのではなく諦めて翌朝の自分に仕事を託すこと
・自分で仕事を抱え込まず周りの人を頼ること
・いつも100点の仕事を目指しすぎないこと
・休みの日は仕事から離れて、徹底的に休むこと

復職して1カ月はなんとか守れているような気がしますが、これからさらに忙しくなったときに自分との約束はちゃんと果たせるように定期的にこの記事を読み返そうと思います。

これを読んでくれている人ももしかしたら大変な状況に置かれているかもしれないですが、どうか自分のことを大事にしてあげてほしいです。

仕事を自分ごととして一生懸命にやることで得られる達成感や人とのつながりももちろんあると思います。でも、本当に本当にしんどくて、体や心が悲鳴を上げてるなら、そのときは一回休んで、また元気になって働く気になったら働けばいいと思います。そばにいてくれる大切な人のためにも自分のことを労ってあげてほしいです。

長文になりましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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