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思い出改変【ショートショート】

 ある男が、新聞の広告に目をやった。そこには辛い思い出を幸せにしませんか?と書かれていた。詳しく読み進めると、そのお店では過去の辛い思い出を消し、新しい幸せな思い出に最新のテクノロジーで書き換えてくれると書いてある。また、そのお店に行って書き換えた記憶も消し、お店の存在すらも記憶から消してくれるらしい。

 男は興味を示し思い返したが、これといって辛い思い出があるわけではない。
 裕福な家庭に生まれ、幸せな少年時代を過ごしてきた。小学校ではクラスの中心的人物で、中学ではサッカー部に入りエースを任されていた。高校に入ると、恋人ができ、大学第一志望の大学に見事に合格した。そして、今の会社に入社したのだ。
 唯一あるとするなら大学の時に、単位を一つ落としてしまったことだ。しかし、その一つを落としたところで、それ以外の単位は完璧だった。よって、何も心配することなく卒業することができた。なので、そんなに辛い思い出でもなければ、忘れたいとも思わない。
 だが、そのお店に行ってみたいという男の好奇心は少しずつ大きくなっていた。また、そんなに簡単に思い出を変えることができるのか、という疑いもあった。
 男は会社帰りに、そのお店に寄ってみることに決めた。別に辛い思い出でもないが、単位を落としたことを忘れたくない訳はないと、自分に言い訳をした。

 会社が終わり、新聞の広告に書いてあった場所に向かった。大通り沿いに面したところで、外観はとてもシンプルでおしゃれだった。
 ドアを開け中に入ると、白いシャツで清潔感を身に纏った女性が出迎えてくれた。その女性は、待合室のような部屋へ案内し、その男に一枚の紙を渡して記入するよう伝えた。
 その紙には、お酒を週にどれぐらい飲むかやタバコは吸うか、また服用中の薬はあるかなど病院の問診票のようなものだった。待合室には、他にも数人の客がいた。前に進めない程の、辛い思い出があるのか、また男のように好奇心で来たのか理由はわからない。

 二十分程すると、その男の名前が呼ばれ別室に案内された。部屋には、堅実そうな女性が座っていた。女性は、その男が書いた問診票のようなものに目を通しいながら今回消したい思い出を聞いてきた。その男は、少し躊躇いながら、大学で単位を落としたことを伝えた。女性は優しくうなずき、こう提案した。

「では、その大学で単位を一つ落としたという思い出を消し、大学では単位は一つも落とさず卒業したという思い出に書き換えます」

 男は頷いた。しかし、男はまだ少し疑っている。
 その後その女性は、思い出を書き換えるシステムを簡単に説明し始めた。脳の海馬と大脳皮質という部分に一定の周波数を与え麻痺させ、その後新しい思い出を、別の周波数で五感に刺激を与えて入れるというのだ。
 その男は、頷きはしているがいまいち意味がわかっていない。最新の医療と催眠術の間のようなものらしい。そしてその後、思い出を変えたという罪悪感を消すため、思い出を変えた記憶と、この店の記憶自体を消すというのだ。
 訳のわからない説明と、脳についての話で少し怖くはなったが男を好奇心が突き動かし、受けることに決めた。

 そして、別の部屋に案内された。その部屋には、椅子のようなものが置かれている。その椅子の後ろには、何やらややこしそうな機械がぎっしりと並んでいた。男はその椅子に座るよう促され、頭にヘルメットのようなものを被せられた。

 機械が動き出し、いよいよ思い出の改変が始まった。しかし、これといって痛くもなければ気持ち悪くなるわけでもない。寝る寸前の、うとうととしている状態に近い。そう思っていると、機会の音は小さくなった。どうやら思い出改変は終わったらしい。なんだか、呆気なく終わってしまったという表情を男はしていた。

 また、少し待合室で待っているとき、男は大学時代のことを思い出していた。しかし、どれだけ思い返しても、単位を落とした記憶がない。全ての単位を落とさずに卒業したことしか思い出せないのだ。
 そうしていると、その男は受付に呼ばれた。料金は一万四千円だった。これが高いのか、安いのかはいまいちわからない。男はお金を払い、受付にいた女性にお礼を言い、店を出た。
 思い出を変えたことも、この店に来たこともこれから忘れていくのかと思うと、なんだか不思議な感じだった。ただ、何も考えることもなく夕日に背中を押されながら、男は家に帰った。

 その男が帰った後、店では男を出迎えた白いシャツの女性と、思い出改変をした堅実そうな女性がこんな会話をしていた。

「今日も来ましたね、あのお客さん」
「もう、二年程うちのお店に通ってくれているわね」

 次の日、その男は、新聞の広告に目をやった。そこには辛い思い出を幸せにしませんか?と書かれていた。詳しく読み進めると、そのお店では過去の辛い思い出を消し、新しい幸せな思い出に最新のテクノロジーで書き換えてくれると書いてある。また、そのお店に行って書き換えた記憶も消し、お店の存在すらも記憶から消してくれるらしい。男は興味を示し思い返したが、これといって辛い思い出があるわけではない。



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