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『不労のすすめ』④〜不労の為のメンタル育成法〜

 漫画家兼ロクデナシのカトーコーキがお送りする仕事論エッセイ『不労のすすめ』も第4回目を迎えた。

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 ボク自身もどう転ぶかわからないこの実験の行く末を、読者の皆様もご一緒に楽しみながら見守っていただきたい。
 
 第3回では、具体的にどのような方法で「好きな事」をしていくか、という事を話してきたわけだが、今回はその為にどのようにしてメンタルを保つべきなのか?について語っていきたいと思う。


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 では、お楽しみいただきたい。


 さて、ここまで自分の本当にやりたい事を始めるという事をお勧めしてきた訳だが、ここからはまず「仕事」という言葉を一度整理していきたい。

 ボクは言葉の縛りに大変敏感で、しばしば縛られては身動きが取れなくなっていたりする。
 一度身動きが取れなくなると、その問題が自分の中で完全に解決するか、時が経って気にならなくなるまでそれが続くので、厄介だな事だと思っている。

 「仕事」という言葉の縛りにも、これまで何度も囚われ、苦しめられてきた。
 もしかしたら、今も苦しんでいる最中かもしれない。

 今、そうなってしまっているあなたの為にも、まずは「仕事」という言葉の定義を調べてみたいと思う。

【仕事】

  • 何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。「やりかけの―」「―が手につかない」

  • 生計を立てる手段として従事する事柄。職業。「将来性のある―を探す」「金融関係の―に就く」「週の半分は自宅で―する」

  • したこと。行動の結果。業績。「いい―を残す」

  • 悪事をしたり、たくらんだりすること。しわざ。所業。「掏摸 (すり) が集団で―をする」

  • 《「針仕事」の略》縫い物。裁縫。「お前急に一つ―をしてくれんか」〈紅葉多情多恨

  • 力学で、物体が外力の作用で移動したときの、移動方向への力の成分と移動距離との積。単位はエネルギーの単位ジュール、その他ワット秒・ワット時など。

                           (goo辞書より引用)

 goo辞書ではこうなっている。

 着目すべきは1と2で、1はそこに「金」が介在してもしなくても通じる意味となっており、2には完全に「金」が介在している。

 ボクの中の「仕事」は2の意味として強く認識されており、「金」の絡まないものは「仕事」とは思っていなかった。

 しかしそんなボクの常識を覆したのが、カウンセラーさんの言葉だった。

 「やりたい事があっても金を稼げるか、本当に仕事になるのか?と考えるとなかなか手が出せなくて・・・。」

 こう言ったボクに向かって彼は、

 「それがお金になっていようがいまいが、何かを一生懸命にやる、それはもう立派な仕事です。
 とにかくその作品を完成させて発表して下さい!
 そこから必ず道は拓けます!」

 と言ってくれた。

 ボクはこの言葉を胸に初めての漫画を描き始め、ブログで発表し始めた。
 それが後の出版に繋がったのである。

 彼はまず、1の意味で「仕事」という言葉を使ったのだろう。
 そしてそれが2の意味の「仕事」に繋がる可能性が大いにある事を知っていたのだと思う。

 実際ボクがブログで漫画を発表していた時、ボクはこの漫画で1円も稼いではいない。
 漫画を描き続けたボクのモチベーションは「金」ではなく、「この漫画は何としても描き上げなければならない」という使命感にも似た強烈な意志だった。

 
 面白いとは思わないだろうか?

 「金」の事を全く考えずに創り出したものが、後に「金」を生み出すものになる事もあるのだ。

 ・やりたい事、好きな事を始めよう。

 ・金がもらえるものでなくとも、自分がそれに夢中になれるなら「仕事」と定義できる。

 と、ボクは考えているのである。

 次は、やりたい事、好きな事を始めようとした時、邪魔をしてくるものについて話していこう。

 心を病みがちな人、ネガティブ思考の強い人は、何かを始めようとする時、必ず邪魔者が現れる。

 それは一体何者なのか?

 具体的な例を見ていこう。

 今から27年前、父親からの解放を望み、親元を離れて地元から遠い高校に進学したボクが高1、15歳から16歳になろうとしていた頃、それまでしてきた、父親の望むような人間になろうと仮面を着けて自分を演じる為の頑張りもとうとう限界を迎えようとしていた。

 初めは授業についていく為、頑張ろうとしていたが、段々に気力を失い、頑張る事が馬鹿馬鹿しくなってきた。
 まだ入学してふた月目程の時期の事だ。

 授業中は大抵寝て過ごし、元気になるのは体育、美術、家庭科の時間、昼食前の弁当販売争奪戦時と、再開できる事を楽しみにしていたサッカー部の活動時(美術部と兼部)くらいのもので、中学までは優等生を演じていたボクは、高校に入ってすぐに、誰の目から見てもわかりやすい落ちこぼれになっていった。

 髪をブリーチ剤で脱色し、耳にピアスを空け、授業をサボってカラオケへ行き、劇的に値下がりしたマクドナルドのチーズバーガーを貪り食う。
 そんな日々を続ける中、事件は起こった。

 あれは古文の授業だっただろうか?はっきりとは覚えていないのだが、ボクはいつものように机に顔を突っ伏し眠っていた。
 何かのきっかけで目を覚ますと、ボクの耳には静寂の中に響き渡る紙にペンを走らせる大量の音が入り込んできた。

 ボクはゆっくりと頭を上げ、まだ寝ぼけてうっすらとしか開かない目で周りを見渡した。

 するとそこにあったのは、真剣な面持ちで必死に板書を写すクラスメイト達の姿だった。
 それがボクの心には何とも奇妙な光景として映り、こう思ってしまった。

 「こいつらは何でこんなに必死で勉強をするんだ?」

 「何で何も感じないんだ?」

 「何で疑問に思わないんだ?」
 と。

 勉強をする意味を完全に見失っていたボクにとって彼等の姿は、実に眩しく、実に奇妙だった。

 ボクが通っていた高校は県内で一流と言える程ではなかったが、期待を込めてつくられた新設の進学校で、まあ二流くらいのレベルであった為、一部の落ちこぼれ以外の多くの学生が、入学時から既に明確な目標を持っていてそれに向かって努力する事は当たり前だったのかもしれない。

 その中に、父親の支配から逃れる為だけに遠方の高校に入学してきたボクが入っても、勉強に対するモチベーションの違いを見せつけられて浮いてしまうのは当然だ。

 その出来事をきっかけに、ボクは自分がこの学校にいる意味を見失いはじめ、徐々に不登校になっていった。
 そして夏休みが明けた頃からはほぼ完全な不登校になってしまったのだった。

 ボクは布団に潜りながら、何故自分は他の人間と同じ事ができないのだろうか?と悩み苦しみ、自分を責めた。

 ボクはもうずっと、自分が仮面をつけている事には気付いていた。
 明確に気付いたのはおそらく小学校低学年の頃で、高校生になる頃にはその事による苦しみは耐え難いほどに増していた。

 その結果ボクは、自分が「生きていない」ように感じる程になっていた。

 肉体は生きているのに精神は死んでいた。身体の中にボクの心の屍があって、動ける身体が勝手に動いてそれを引きずっているような感覚で、感情はほとんど死んでいた。

 今であればこれがうつ状態だったのだという事はわかるのだが、両親は、ただのボクのわがままだと捉えていたように思う。
 二人は医療従事者であったが、特に母は精神科に勤めていたが、まさか自分の子供がそうなるとは考えもしなかったのだろう。
 もしボクの元にドラえもんがやってきて、過去に戻る事ができるなら、二人に特大の喝を与えたい。
 そしてネチネチと皮肉や嫌味を言いまくって心をえぐってやりたいものだ。

 ボクは「生きて」みたかった。

 この時のボクはまだ、言語化できる程自分を理解できていなかったのだが、自分として生きこれず、ずっと苦しんできたボクはただただ自分自身として「生きて」みたかったのだ。
 
 生きているという実感が欲しかったのだ。

 自分自身が生きている事を感じられるようになる為には、何が必要なんだろうか?と考え続けた果てにボクが見つけた答えは、命を削る事だった。

 この考え方は危険だ。一歩間違えれば自傷行為に繋がりかねない。
 しかしこの時のボクはそこには向かわなかった。
 ボクが考える命を削る事、それはボクシングだった。

 ボクはボクシングの試合をテレビで観るのが好きだった。

 ボクが子供の頃はまだ、プロレス人気も高かった時代だったが、ボクはプロレスには何故か興味がなかった。
 プロレスがショーである事を何となく感じ取っていたからかもしれない。

 しかし、ボクシングは違った。
 
 正に命を削って、命をかけて、命を燃やしているように見えた。
 傷ついても倒されても立ち上がり、相手に向かっていく様は本当に輝いて見えたし、そこに「生」を感じていたのかもしれない。

 休学した頃、ちょうどハマっていた漫画『はじめの一歩』の影響も大きかった。

 しかし、おそらくだが、ボクシングのテレビ観戦が好きだったのも、『はじめの一歩』にハマったのも、全ての始まりはテレビアニメ『あしたのジョー』にあったと思う。
 『あしたのジョー』は未だにボクのバイブル的存在であるし、矢吹丈の生き様はボクの憧れだ。

 話はそれたが、そうして「生きる」=「ボクシング」だと考えたボクは、意を決して両親に、高校を中退して東京へ行き、プロボクサーになりたいと告げた。
 16歳になろうとしていた高1の秋のことである。

 ボクの発する言葉を、ソファーの背もたれに身体を預け、眉間に皺を寄せて聞いていた父親は、ボクが最後の言葉を言い切る前に怒声を上げた。

 「そんな事お前にできるわけがないだろっ!!」
 と。

 心理的虐待の教科書に載る程の素晴らしい否定のお言葉をいただいた。

 人が何かチャレンジングな事を始めようとする時、否定的な言葉をかけてくるのは、基本的にその世界を知らない素人であり、自分が自分の理想とする未来を勝ち取れなかった過去を持つ人間だ。

 ボクの父も例外ではない。

 だが、そんなものに惑わされる必要はない。

 あなたが心から好きな事、チャレンジしてみたい事を見つけたなら、周りの否定的な声など無視して突き進めばいい。
 もし仮にそのチャレンジで手痛い失敗をしたとしても、周りの声に従って好きな事もできずウジウジと死んだように生きていくよりは、自分の意志で進む事を決め、その失敗を次に活かす方が余程有意義だろうし、後悔も少なく済むのではないだろうか。

 ボクの場合は当時、父の怒りを跳ね除ける程の言葉も精神力も持っていなかった為、ボクシングの道は諦める事になってしまったのだが・・・。

 ただ、ボクの父親のような、自分のやりたい事を否定してくる周囲の人間が、先に述べた「邪魔者」なのではない。
 勿論これらの人々も非常に鬱陶しい存在ではあるのだが、実は真の「邪魔者」は、自分の「外側」ではなく、「内側」にいるのだ。

 そう、真の「邪魔者」とは、「自分自身」なのである。

 やりたい事をやろうとしているのは他ならぬ「自分自身」なのに、何故「自分自身」がそれを邪魔するのか。

 その答えは、自分の中にある「自己否定感」や、自分の中で形成されてきた「常識」、「固定観念」が、新たな事を始めようとする自分の意志を、否定、攻撃、阻止しようとしてくる為なのだ。

 これは以前、専門家から聞いた話だが、人間には変化を好まない性質がそもそも備わっており、良い変化にも悪い変化にも同じようにストレスを感じるのそうだ。 
 これには驚かれる方も多いだろう。
 ボクもこの事実を初めて耳にした時は衝撃を受けた。

 ボクの場合であれば、父からの心理的虐待によって非常に強い「自己否定感」を植え付けられ、更に彼は「常識」を盾にボクに自分の価値観を押し付けた。
 ボクの「常識」はそのようにして作られていった。
 その常識の上で少しずず凝り固まってしまったのが「固定観念」というやつだ。

 ボクが何かを始めようとした時、それらはいつもボクの邪魔をしてきた。
 実のところ今も邪魔をされている。

 何かを始めようとすると、それらが咄嗟に騒ぎ出す。

 「お前なんかにそんな事はできない。」

 「どうせ稚拙なものしかできない。」

 「いい歳こいて恥ずかしい。」

 「求める人もいないのだからやる意味なんかない。」

 「お前は無価値だ。」

 そんな言葉が頭の中を巡りだす。

 ボクはその声にビビって萎縮し、後退りをしてしまう。
 そして結局始める事ができず、グジグジと何日も何ヶ月も、場合によっては何年も動き出せないなんて事が起きるのだ。

 ボクは音楽を諦めて地元へ帰っってからというもの、自分が音楽をやってきた事、「本当の自分」が音楽がやりたがっている気持ちを心の奥底に閉じ込め、無視し続けた。
 自分の本当の気持ちを直視し、やりたい事ができていない「今の自分」に、「今の自分の状況」に酷く落胆してしまう事を恐れていたのだと思う。

 けれど本当の自分の気持ちを無視し続ける事は、心を酷く傷付けてしまうものなのだ。
 それも知らず知らずの内に、確実に。

 震災・原発事故が起こって地元を離れ、最終的に東京に出て、カウンセラーさんのサポートのおかげで何とか漫画を描き終えようとしていた頃、音楽活動を再開する事ができた。

 ボクが本当は音楽がやりたいとカウンセラーさんに告げた時、彼は本当に嬉しそうな顔をして、 

 「それは楽しみですねぇ!」

 と言ってくれた。

 彼に出会わなければ、ボクは漫画を描く事も、音楽活動を再開する事もなく、ずっと心の膿を無視し続け、自分の心を傷付け続けながら生き、そのまま死んでいったのかもしれない。

 ボクが心を病んでから、今に至るまで、彼はずっとボクを励まし支え続けてくれている。

 「大丈夫、カトーさんならきっとできます!」

 と、いつでも力強い言葉をかけ続けてくれた。

 本当に彼には感謝しかない。

 このように、既に強くなっている「自己否定感」や、「常識」、「固定観念」を、自分一人の力で打破し、自分が本当に望んでいる事を実行するのはなかなかに難しい事なのだ。

 「殻を破る」とも言い換えられかもしれないが、これを成すにはカウンセラー等、第三者のサポーターの力が大きな助けになる。

 親、兄弟、友人等、普段から付き合いがあり、自分をよく知っている人に相談し、理解してほしい、背中を押してほしいと願うのが人情かもしれないが、正直これはおすすめできない。

 大体否定や反対をされ、それによって関係がこじれてしまうからだ。

 この理由についてははっきりとはわからないのだが、「多重関係」というものが影響するのだと考えている。

 「多重関係」とは、そもそも親や兄弟、友人としての関係がある者達が、重複して別の関係を持つ事を指す。

 例えば、母がピアノの先生で、自分はその生徒であるとか、夫婦でありながら小さな会社の社長と専務であるとかだ。

 こういったケースは、関係が上手くいかなくなる事がとても多いのだそうだ。

 だからボクは、「第三者」であり、信用できる専門家に相談する事を強くお勧めする。 

 しかし、実のところボクは今、音楽に関して、二度目の大きな「できない期」の真っ只中にある。

 『しんさいニート』を描き上げる前にバンドを組み、一曲目を制作し、漫画を描き上げた後、バンド活動を本格化させた。
 活動は1年半程続いたろうか。
 そんな時にベース担当が家庭の事情で脱退してしまった。

 その際ボクは、自分自身が否定されたような気持ちになってしまい、それ以来ギターが触れなくなってしまった。
 それから約5年間、残されたボクとドラム担当で新曲を作ろうという話が何度も持ち上がり、何とかギターが触れるようにはなったが、結局、1曲も書き上げる事ができないまま今に至っている。

 せっかく12年ぶりに再開できた音楽活動はわずか1年半で終わり、またできないまま5年だ。

 我ながら情けない話だが、子供の頃から培われてしまっている「自己否定感」はそれ程根強いものなのだ。
 カウンセラーさんのサポートでせっかくできた急ごしらえの「自信」は、とてもかぼそく脆いもので、ちょっとしたショックで簡単に壊れてしまう。

 その「自信」を立て直すには、非常に大きなエネルギーと時間、そして良きタイミング要するのである。

 だからもし、何かをやり始めたあなたの中に「小さな自信」が芽生えたのなら、赤ん坊にするように大切に大切に守り育ててあげてほしい。
 攻撃してくる外敵から遠ざけてあげてほしい。

 ボクみたいにはならないように。

 揺り戻しは何度も何度もやってくる。
 心の問題を解決したと思っても、ちょっとしたそよ風に吹かれて、また折られてしまうなんて事も起こりうる。

 でも心配しないでほしい。

 どうか絶望しないでほしい。

 そんな事を繰り返していく内に、心は少しずつ、ほんの少しずつではあるが強く太くなっていくものだ。
 へこたれない強さが養われていくものなのだ。

 ボクも音楽を諦めたわけではないし、今、音楽ができない事にもきっと意味がある、きっと何かの役に立つはずだと思っている。

 こんなものはただの気休めかもしれないが、こんな気休めを言える程にはボクも成長したのだと思うと感慨深い。

 一時は絶望の淵にいて、自分の人生を自分の手で終わりにしようとまでしていたのだから。

 自分が望むと望まざるとに関わらず、自分で命を絶たない限り、身体が健康であれば人生は続いていく。
 例え今すぐにやりたい事ができなくても、やりたい事が再開できなくても、焦る事はない。
 チャンスはきっと巡ってくる。その時に備えて自分の中に芽生えた小さな希望を大切に育てておくといい。

 

 さて、新しい事を始める際に現れる「邪魔者」にどう対応すればよいかを話してきたが、ここからは自分の「好きな事」、「やりたい事」をどう見つければいいかについて語っていこう。

 幼い頃から、自分の気持ちを殺して仮面を着け、生きてきたボクが自分の本当にやりたい事を心の中から見つけ出すのはそう簡単ではなかったが、ウツになってからはその比ではないくらい見つけにくくなった。

 心の中は苦しみに覆われ、自分を探す事ができない。

 自分の心なのに覗く事すら難しい状態で、自覚できる気持ちはとにかく「苦しい」、「死にたい」しかなかった。
 何とか苦しみをかき分け自分の本当の気持ちを探したいのだが、分厚く覆われた苦しみの層を掘り返し、「自己否定感」や「常識」、「固定観念」との闘いに挑むだけの気力は無かった。

 心を病んでしまっている状態では、それだけのエネルギーを捻出する事ができないのである。

 もしあなたが、心を病んでいる状態なのであれば、先に述べたように、まずはカウンセリングを受ける事をお勧めする。
 その中で、一枚一枚苦しみの層を剥がしていく事で、少しづつ自分の本当の気持ちを探す事ができるようになるはずだ。

 ただ、これはあくまでも、「探す」という行為ができるようになるだけで、「見つける」事ができるようになるわけではないと思っている。

 ボクはカウンセラーさんに出会い、完全に凍りついてしまった心を溶かし始めたわけだが、そう簡単に事は進まなかった。

 長年かけて培われてしまった「自分の本当の気持ちを隠す能力」は伊達ではないのだ。

 カウンセリングに通い始めて5ヶ月くらいたった頃、

 「本当にやりたい事をやって下さい。」

と言われ、心の中を見回してみたが、一向に見付ける事ができず、ほとほと困り果ててしまった。

 寝ても覚めてもその言葉が頭の中を駆け巡り、ボクはずっと考え続けたが、それでも出でくる事はなかった。

 そんな日々が2~3ヶ月続いた頃、ボクは、これだけ一生懸命考えても何も出てこないのであれば逆に、一旦考える事をやめてみようかと思い始め、しばらく気のおけない友人の家で何も考えず、気楽に過ごすべく、バイクを走らせた。

 友人宅で、子供達と遊び、友人夫婦と話し、ゆっくり寝て、のんびりと過ごしていた時、ふと思い付いたのだ。

 「あぁ、そうだ、ボクは小さい頃から絵を描く事が好きだったじゃないか。」

 「好きな事ってそういう事か。」
 と。

 ちょうどその時、描きたいものがそばにあった。

 バイクである。

 ボクは昔からオートバイに対して強い憧れを持っていた。
 おそらく発端は仮面ライダーだと思う。
 それがいつしか大好きな音楽と結び付き、カフェレーサー(バイク乗りのスタイルの一つ)への憧れに変わっていった。

 「バイクだ!バイクを描いてみよう!!」

と思ったボクは、友人の長男のスケッチブックの紙を一枚もらい、鉛筆を借りてバイクの絵を描き始めた。

 この時の気持ちといったら、もう嬉しくてたまらないといった感じだった。

 ずっと考えてきた自分のやりたい事、好きな事を見つけられた喜びと、絵を描く喜びに脳みそが溶けるような感覚だった。

 そうしてボクはその絵を描き上げると、ある事を思い立った。

 遡る事三ヶ月前、本当にやりたい事を探し始めたボクがまず思い付いた事があった。
 それは、父親による虐待と震災・原発事故、その後にウツになってしまった経験を小説にして世の中に発表したいというものだったのだが、途中でペンが進まなくなり、辞めてしまっていたのだ。

 頭の中で、絵を描く事と、自分の経験を発表したい思いが繋がったのである。

 思い立ったが吉日だ。
 
 ボクは友人宅を後にし、自宅へと帰り、準備を進めてコミックエッセイ『しんさいニート』を描き始めたというわけだ。

 何が言いたいのかというと、人の「本当にやりたい事」のヒントは、幼少期にあるのではないかという事だ。

 あなたにも、幼少期に好きだったものが必ず一つはあるはずだ。

 読書が好きだった人もいるかもしれない、野球が好きだった人もいるかもしれない、車が好きだった人もいるかもしれない、アニメが好きだった人もいるかもしれない、粘土遊びが好きだった人もいるかもしれない、お人形遊びが好きだった人もいるかもしれない、お裁縫が好きだった人もいるかもしれない。

 何でもいい、幼少期に好きだった物事が、本当にやりたい事を見つける為の足がかりになるのだ。

 何故「幼少期の」がポイントなのか。

 多分だがそれは、人間は成長していくごとに「社会性」という名の鎧をどんどんと分厚くしていくからなのだと思う。
 幼少期にある人間にとって”親”の存在は絶大であり、その親子関係によって子の「社会性」のベースが作られていくのだとボクは推察しているのだが、それが強靭になっていく前、10歳くらいまでは、大人に比べればまだまだ心が社会に汚されてはおらず、より純粋な「好み」がそこにはある気がしてならないのだ。

 表現として正しいのかわからないので、感覚的に捉えてほしい。
 
 そこにあるのは、その人間の、より純粋な「好み」であり、よりプリミティブというか根源的な「好み」なのだと思うのである。

 大人になっても「苦しみ」を抱えながら生きている人が、そこから解放される為に必要なのが、この「自分の根源」と向き合い、本来の自分を取り戻す事なのだ。

 自分の苦しみの扉を、自らの手で開けるという行為は、本当にキツい事だと思う。
 膨大なエネルギーと時間、そして場合によっては金を必要とする。

 ボクもとてもしんどかったし、今もしんどい。
 
 実際無茶苦茶エネルギーを使ってきたし、カウンセラーさんに出会って9年経った今もカウンセリング受け続けているし、カウンセリングの代金もなかなかの金額になっているはずだ(ボクが受けているカウンセリングの料金はかなり良心的なものだが。)。

 しかし、そこに着手せず苦しんでいるままだったら、いずれボクはその苦しみに押し潰されていたろうと思う。

 ボクが苦しい事を理解しながらそこに向き合えたのは、幼い頃からずっと、

 「ここから逃げ出したい」

 「幸せを感じてみたい」

 という強い思いを持っていたからだった。

 だからボクは、どんなに苦しくても、どんなにキツくても諦められなかったのだ。
 自分の本当の想いを、自分自身を裏切りたくなかった。

 だが、全ての人がその苦しみに向き合うべきだとまでは言えない。 
 それほどキツいものだからだ。

 とはいえ、他に手立てがあるのかというと、現状ボクの知る中ではこれが唯一の方法だ。

 覚悟を決めて望まれる事をお勧めする。

 「幸せ」は、社会や誰かがくれるものではなく、自らの手で獲得すべきものなのだとボクは思っている。
 
 幸せになりたいという思いは、誰の心の中にもあるはずだ。

 どうかその気持ちを諦めないでほしい。
 自分が望めば必ずその道は開けてくる。

 
 といったところで、第4回はお開きとする。
 
 今回は、仕事という言葉に意味に始まり、好きな事をやる際のメンタルの作り方、好きな事の見つけ方について話してきたがいかがだっただろうか?

 最終的には「幸せ」になりたいという強い意志がものをいうとは思うのだが、自分一人で自分を立て直せる人は実際そう多くはないだろう。
 そんな時は迷わずプロの力を頼ればいい。

 『しんさいニート』にも描いたように、当初ボクはカウンセリングを受ける事に強い抵抗を持っていた。
 日本においてはまだまだそのような感覚を持つ人も多いだろうが、プロにはプロの技術、知識があるもので、素人が一人で苦しみに立ち居向かっていったとしても、一生改善しない事もあり得ると考えると、カウンセリング等を利用しない手はないのでは?と思っている。

 皆、自分を信用しすぎているし、過大評価している向きがある(ボクがそうだった)。
 しかし、自分の心なのに自分の力ではどうにもできないのが心の問題の厄介なところなのだ。

 ただ、個人的には医者にかかる事はお勧めしない。
 医者は病名を付け、薬を処方してはくれるが、それは根本的な問題の解決にはつながらない、とボクは考えているからだ。
 カウンセラーという職業に就く人の中にも怪しい人は沢山いるが、近年、カウンセラー周りの法整備が進み、国家資格化もされたと聞く。

 この辺りを参考に「新しい自分」を生み出す為のサポートをしてくれる人を探すのも良いのではと思っている。

 次回は、「不労」時の金銭問題にリアルな例を用いて切り込んでいきたいと思う。
 どうぞお楽しみに。

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