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3年ぶりの帰郷

先日、妻の江西省の実家に3年ぶりに里帰りした。今回1歳になったばかりの娘を連れての帰郷だった為、義父母は大喜びしていた。去年はコロナ初期に義父母は生家のある農村が封鎖され、二カ月以上も農村に閉じ込められており大変な目にあっており、帰ることができなかったが、やっとのことで腰の重い妻の尻を叩いて帰ることが出来た。その際、色々考えることがあったので、今回NOTEにまとめてみることとする。

後で気づいたが、この建物は実は鎮政府ではなく、県政府のものだった。妻の実家がある鎮と県の中心地は徒歩20分ぐらいの距離でもあり、ここに県政府が置かれていても全く違和感は確かにない。

農村の固定概念

毎回帰省すると、妻と義父母の間でいざこざが起きる。まず妻は帰宅次第冷蔵庫を開ける。何故か?何故だか知らんが今までは冷蔵庫の中にプラ袋(ビニール袋)が大量に入れているだけで冷蔵庫の体をなしてない上、電源を抜いていることから冷蔵庫としての存在意義がまったくない有様だった(要は倉庫代わりに使っていた)。幸い(?)今回、娘に噛みつかれるのを恐れた(?)義父母が事前に用意していたのか、電源は入っており、中にはミネラルウォーター、スイカなどが入っていた。私はその光景を見てほっとした。今までだとそっからすごい剣幕でキレだす妻は止められないぐらい恐ろしいものだった(笑)(普段妻は非常に温和な性格で、めったにきれることがないのだが、何度注意しても聞かない変えようとしない人間に対しては容赦ない。それは私でも二人の息子に対してでもそう)

冷蔵庫に限らず、妻が買ったクーラーや、洗濯機、扇風機等白物家電は義父母は一切使わない。真夏ですら、だ。では、彼らは何故それらを使用しないのか?理由は簡単である。電気代がもったいない、そもそも使う気がさらさらない義父母の世代は現代中国で一番苦難の時期を経験している人である上、農村の人間である為、自分たちの昔ながらの習慣や価値観を全く変えようとしない人達なのである。贅沢は敵、1角(0.1元)でも高ければ買わない、愛煙家である義父に「中華」(1カートン750元ぐらいする)なんぞ送ったらびびって吸わず、誰かに売ってしまう(笑)今回は妻のアドバイスもあり、250元の利群にしたが、普通に吸ってくれていたのでほっとした。

また、毎度困るのが食べきれない程の量の料理を作ってくれることである。向こうからすれば、娘や私たちが返ってきたことが嬉しくてもてなす意味もあって作ってくれるのは理解しているし感謝してるのだが、如何せん食べきれない。しかも野菜が1皿もない、ひたすら肉料理のみ(鳥、鴨、牛、豚)。これは本当に苦しい。量が多く食べきれない為残すこととなる。しかも、ひたすら「たくさん食べなさい」とがんがん料理を皿に入れてくるので無理やり飯を食わされてる感が半端なく、心の中で「いや、ほんま勘弁したって」となる。食べきれなかった分は、次の食事の際に持ち越される。また、鍋で加熱して同じ料理と向き合う羽目になる。これはさすがに息子二人も参ってしまった(笑)食間もフルーツやら自家製のお菓子などを食べなさい食べなさいと言われるもんだから、食べないといけないという義務感から食べることになるのだが、それが余計に次の食事の際の食欲不振につながり、義父母が余計に不満顔になるのである(笑)この負のループは実家を去る時まで止まらず未来永劫続くのである。

「うちらの習慣はとにかくたくさん料理を作って、たくさんの肉でもてなすんだ。たくさん食べないなんて選択肢はないんだ」と義父に脅される為、仕方なく減量中の私も覚悟を決めて死ぬ気で口に料理をぶっこんで、米酒(自家製、アルコール度数40度超え)を飲んでただひたすら義父が潰れるのを待った(笑)案の定酒が強くない義父は先にダウンしたw

今回改めて義父母と数日一緒に暮らして思い知らされたのは、「俺らのしきたりはこうだから、お前らも必ず従え」という農村の人達は自己の価値観を他人に押し付ける傾向が非常に強いということだった。もちろん、彼らに他意等ないことは百も承知である。彼らなりの愛の表現の仕方であることもよく理解している。ただ、異なる価値観を持つ人たちを変えようとしたりすることや彼らのような人達と仕事をやるという選択肢は本当にないなと思った。他人を変えるより、自分が変われともいえる。また、「己の欲せざること、人に施すべからず」(己所不欲勿施于人)である。今回もまた色々勉強になった。義父母の作る料理はいつも通り美味しかったし(めちゃ濃い味付け)、子供達も美味しいを連発していたので義父母は大変喜んでいた(上海に戻ってから何を食べても味がないと思ってしまうようになってしまったが…)。

※華村氏のNOTEを読んで改めて思ったのだが、義父母からの私への「押しつけ」はモーマンタイで、私がこうして欲しいああして欲しいということについては、中々ハードルが高く向こうが受け入れてもらえないというのも常に感じている。相手を変えることは出来ないので、もう無我の境地である。


城市、县城と周辺の乡镇方言の違い

今回三日間の妻の実家に滞在している中で、外で散歩していると暑さの為冷たいものが欲しくなり、スーパーや個人商店等で飲料やアイスクリームを買ったのだが、妻が全て標準語で喋ってるのを見て、「おや?」と思ったのである。私は何故かを理解しているのだけれども、意地悪く「何で方言で喋らないの?」と聞いてみた(笑)

妻は、「私はここを離れて久しいからあまり喋れないのよ…」と返してきたが、実際の所は「县城」と彼女の本来の実家であり生家でもあった「乡」との方言の差異があることに起因することは間違いない。

私は言語学者でもなんでもないただの素人であるが、中国の方言の研究考察については、下記本が詳しく、興味のある方は一読をお勧めする。


簡単に言うと、城市(日本で言う「〇〇市」)→乡镇→村と行政単位が変わるにつれて同じ「市」であっても言葉が大幅に変わってくるということである(同じ市内でも言葉が変わるということも往々にしてある。だから中国の方言は非常に難しい)。これは、中国の戦乱の歴史及びそれに伴う民族大移動の繰り返しによるところが大きいが、同じ乡镇であっても山の向こうや川の向こうの村人とは同じ言語で意思疎通が出来ず、所謂「標準語」を使わなければコミュニケーションが取れないという極端な例も少なくない

昔、湖北省荊州の友人(武漢在住)に聞いたことがある。「地元の言葉と武漢の言葉違うじゃない?何で武漢語喋れるの?」と。彼から返ってきた言葉は非常に的を得ていてなるほどなと思った。「KENさん、あなただって母語は関西弁なのに、普通に日本の標準語使いこなしてるでしょ?荊州語と武漢語だって確かに違う言葉だけど、発音やイントネーションを覚えれば大体喋れるようになりますよ。」もちろん、これは同じ言語系列であるかもしれない湖北省内での言語のやり取りの話にのみ限定されるのかもしれない。(細かい話になるが湖北省の中でも信陽や赤壁のように、北方の方言(山西省、北京、東北)のように語尾が儿化する方言も存在する)

念の為、義父母にも同様のこと聞いてみた。曰く、「县城」の発音とイントネーションに合わせているとのこと。ただ、私が思うほどの差異はないとのこと。だからそこまで意識して喋ることはないそうだ。

よくよく考えれば、国土の小さい日本でも多数の方言が存在するし、関西弁でも京都・大阪・神戸で微妙に違う。我が兵庫県についても、瀬戸内海沿岸部(赤穂市除く)、中部、北部でも言葉がまるで違う為、別に中国だけに限った話ではないのかもしれない。にしても、場所による方言の差異を妻の実家で改めて認識した次第である。

物価がクソ安い

まあ、言わずもがななのだが、所謂「北上廣」(北京上海廣州)と比べると江西省の片田舎である「县城」の物価は私の妻も驚くほど安い。

江西省名物で唯一(?)世間に誇れるビーフンも、上海で食べると30元近くするのが、「县城」で食べると5元スタートである。ワイマイ(出前)頼むと美団などのプラットフォームが25%程抜くので高くなっているが、それでも6元とか10元で食べれる。しかも、量が多い(笑)

「老公、老公!」と興奮気味に私を呼びつける妻。「なんやなんや、どないしたんや?」と聞くと、「さっきね、美団の騎手(配達員)があんたのビーフン届けてくれたんだけどね、こんな田舎なのに騎手はちゃんと美団のヘルメット被って制服着てたのよ!すごくない!」と(笑)いや、別に正装しとってもええやないか…どんだけ自分の田舎Disっとんねん…w

食べたいものがたくさんあったのだが、結局は前述の通り、義父母が毎日恐ろしいほどの数の料理を作ってくれるので、ワイマイのチャンスは殆どなかった。次は江西省の省都である南昌に旅行で行ってグルメの旅しようと妻とこそこそ話をするのであった…


次は、旧正月に帰省するかな。


義父「常回家看看〜回家看看〜」(こまめに帰省して親孝行しろよ!)


これを歌われるとものすごいプレッシャーを感じる私であった……

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