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優しい世界

  クリスマス・イブの夜、一人で改札に向かっていると、全ての人々が幸せそうに見えて、全てが敵に見えてくる。貴方は一人ですか?かわいそうですね、なんて心の中で笑ってるんだろ?知ってるんだよ、こっちは。歪んだ心はこっちだというのに、人のせいにして肩で風きって堂々と歩く。


 クリスマスに早く寝なくなったのは、サンタクロースは来ないことを知ってしまったからで、だってサンタクロースは良い子のところにしかこないから。だって私は悪い子だもの。それなら、寝ずに明日を迎えたい。頭の上にプレゼントがあるかもなんて期待をせずに、朝を迎えたい。


 誰かが、天にツバをはいたら、自分の顔に落ちてくるといったけど、それなら私はそのツバが落ちてくる前にその場から立ち去ります。素早く走りながら、天にツバをはき続けたい。振り返ったら私のツバだらけで、世界がてらてらと光るかもしれない。なんて気味の悪い光景だろう。それでもいい、私は世界にツバをはきつづける。


 愛されたいなら愛しなさい、受け入れられたいなら受け入れなさいと言うけれど、それは見返りを求めているからの行動で、そのくせ、見返りを求めるななんて、したり顔で言うから、言ってること矛盾していますよ。愛したら愛してくれるんですか?受けれたら受け入れてくれるんですか?愛したくないけど、愛されたいと言ったら、鬼のような形相で我儘だと怒られたけど、だったら、貴方が愛してくれたら愛してあげますよ、だってそれとこれは同じことでしょう。私が愛す前に、貴方が愛してください、私が受け入れる前に、貴方が受け入れてください、それは目に見えるようにしてください、言葉とか感情とか、目に見えないものに信用を置けるほど賢くないのよ。


 見返りを求めるなと言うなら、就職活動の面接で「ボランティアをしてました」とキラキラと目を輝かせながら言う青年たちに採用のハンコを押すのをやめていただけますか。自分の人生に、人の人生を利用するなんて、不純で汚らしい。だって、誰かのためなんて、口に出した瞬間に不純物を含んでしまって、汚れていってしまう。


 今日も戦争反対戦争反対と叫ぶことで、相手に戦争を仕掛けている。それは貴方の正義なのかもしれないけど、相手の正義ではないのです。相手の意見を受け入れてしまえば、思考の停止と嘲笑われ、自分の意見を押し出せば、自己中心的と罵られ、黙っていれば意見は無いのかとしかめ面。じゃあどうするのが正解なのですか。わかっています、正解などないのです。何をやっても間違っているなら、このまま目をつぶって眠っていたい。


 逃げるのは悪いことじゃないというけれど、でも良いことだとも言ってくれないでしょう。逃げることはけして悪いことじゃないのに、それは全ての選択肢を試した後に残された、たった一つの命綱みたいなもので。逃げ道を用意しておくことが、卑怯なことだと教えてくれたのは、誰だっただろう。

 多くの人が、慈愛に満ちた顔で、逃げることや休むことの重要性を語っている。私達は頑張りすぎていると警報を鳴らしている。彼らは心地よい「救い」の言葉を並べるけれど、そんな心地良い言葉を真に受けた人間を影で蔑むのはなぜなの。本当に実行した途端に、慈愛の表情が一瞬で鬼の形相に変わっていく。

「私の人生は私だけのもの」だから、「あなたの人生はあなただけのもの」だから、あなたの人生には責任もないもの。脱落しようが、逃げようが、立ち止まろうが、知ったこっちゃない。むしろ脱落者が一人増えてラッキーです。

立ち止まったら最後、世界は私一人のために動きを止めるほど優しくないから、瞬きした次の瞬間には、一人取り残されている。

 やめて、置いて行かないで、一人にしないで。

 でも、それ以上は入ってこないで。

 正直なことは良いことで、わがままなことは悪いこと。じゃあ、その線引はだれがしてくれるの。正解を教えてよ。私が知りたいのは「常識」ではなく「正解」なの。

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