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30歳で自立したくなった話15/どうして全てを委ねられないんだろう

引越し日の少し前、ガスや電気の開通のため新居に行くことがあった。
何もないガランとした部屋に、新しく買ったお気に入りのカーペットを広げた。それだけでワクワクして、これからこの部屋がどうなるのか考えるだけで幸せだった。

ガス会社の人が来るまで時間があり、うたた寝をしてしまった。
ハッと起きるとたくさんのクッション、広いソファ、寝ちゃったの?と覗き込む彼の顔、は、ない。
母親の姿が見えなくて泣き出す赤ちゃんのように不安な気持ちに駆られた。
窓からオレンジと薄紫の空が見えた。新しい部屋から見える空は広い。

そんなふうに、私の気持ちはずっとユラユラ動いて定まらなかった。楽しいと寂しいを行ったり来たり。


日曜に引っ越すことと、彼は土曜から出張で家にいないことはあの日の夜に話していた。

それまでの5日間、ふたりとも何事もないかのように過ごした。
今まで通りにご飯を食べて、話して、笑って、手を繋いで眠った。
私は荷造りもしなかった。彼の前で荷造りをするなんて、とてもできなかった。

土曜の朝、いつも通りに彼は家を出て、私は玄関で彼を見送った。
次に彼が帰ってきたときには引っ越しが済んでいるなんて、まるで考えられないくらいに。きっとお互いにあれは夢で、嘘で、これからもこんな穏やかな毎日が続くと思っていたと思う。
自分で決めた私ですらも。

でも、彼がドアを閉めた瞬間に冷静に荷造りをはじめる私がいた。
引っ越しを手伝ってくれる友人がくるまであと24時間。感傷に浸っている暇はない。
彼との想い出はすべてこの部屋に置いていくことにした。初めてのプレゼントだったサボテンや手作りの写真立て、旅行先で買った置物。

そういえば、一緒に暮らすようになってから自分では服や化粧品などの身に着けるものしか買っていなかったことに気付く。そして使っていない部屋があるにも関わらず、自分の小さなクローゼットから自分の荷物がはみ出さないように意識していた。
ひとつ服を買ったら、ひとつ捨てる。ふたつ靴を買ったら、ふたつ捨てる。
そうやって、与えられた自分のスペースを守っていた。人の家で迷惑をかけちゃいけないから。


私は昔から付き合うと相手の家にすぐに転がり込んでいた。少しずつ荷物を増やして、少しずつ生活に私を浸透させていく。
でも決して持ち帰れなくなるほどの荷物は置かないし、自分の家も解約はしない。いつでも出ていけるように。


私がこの部屋から持っていくのは、服と鞄と靴と化粧品だけだった。
それは狭いワンルームに転がり込んだあの日に持ってきた荷物と同じだった。

一緒に暮らすために新しい部屋を契約しても、いつでも出て行ける準備をずっとずっとしたままだった。






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