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地域活性化に対して商店街が足かせになる理由

政治ネタも書くのが疲れてきたので、本来の問題意識と視点での物書きに戻ろうと思う。
私は2年間ほど近畿圏の名の知れたとある都市の中心市街地で、商店街活性化の事業の中心人物であった。そのときに、嫌というほど商店街の良さと悪さを思い知った。そして、その時をはじめとして、多くの商店街を見てきた。今衰退期にある都市において、商店街という組織は核になりうることもあるが、多くの場合は足かせになるのを感じている。木下斉氏は商店街の空き店舗問題を、リンク記事のように指摘しているが、私はそもそも商店街組織自体とそれを取り巻くいくつかの団体に、多くの問題が起因していると思う。

①商店街という組織の難しさ

商店街は、ある一定のエリア(多くは通りに面しているエリア)の商店が加盟する組織であり、法人格を持っている(任意団体のところもある)。小さな通りの商店街組織もあれば大きなエリアを網羅しているのもある。小さくとも大きくとも、加盟店は一つ一つが「店舗」である。八百屋さんから町医者から税理士事務所から全国チェーンの居酒屋までさまざまである。様々であるから、意見がまとまらない。商店街振興の方策として有名な「まちバル」はいわゆる食べ歩きイベントで町の飲食店のファンづくりに一躍かっているが、町医者や税理士事務所、理髪店には効果が薄い(そういった業種向も含めてイベントしているところもあるが)。また、何度も開催していると、地域の人からは飽きられる。遠方から参加の人もいるが、商店街が大事にしなければならないのは毎日のように来てくれる常連客である。そういう人が利用しにくい期間を作ってまでイベントをするべきでないという人もいる。いろいろな業種がいるからこそ、どういう方針を取るべきなのかが組織として定まらない。


②発言権はなぜか高い

政策というのは、世の中の課題を解決するものだ。ただ、その「課題」をどう扱うかは、課題を提起する人たちの声の大きさによる。課題の本当の重要性によって政策が取り上げられることは少ない。要は、『商店街の衰退は地域衰退の象徴であるから、真っ先に何とかしなければならない』という人がいて、その声が『大きい(≠多い)』から、予算が付いたり支援が行われるのである。実際は、その地域地域で違うはずである。商店街が衰退したのは地域衰退の象徴であることはある程度事実である。ただ、商店街を復活させる、賑やかにさせることが地域衰退を防ぐことはイコールにならない。
だが、商店街組織は古くから存在し、一定の行政との結びつきがある(商業振興策への協力、行政の各種啓蒙活動への協力など、行政の役を担っている部分も大きいが、その一方で支援策や商品券振興策への要望なども多い。その支援策の効果は限定的であるのに。行政としては、そして当然政治家としては無視できない存在なのである。
これは個人的な問題になるかもしれないが、こういった繋がりがあるので、商店街の理事長や役職ある人はとても「強固」である。言い方をひどくすれば、「自分たちは支援されて当然(≒支援がなければ存続できない)」ということを傲然と言う人がいる。個々の店は、このコロナ騒ぎもあるが、日々生き残るためあの手この手で頑張っている。しかし、商店街組織となると、そういった「生き残る」ための努力をあきらめているように見える。


③地域活性化の足かせになる理由

地域活性化に対しては、地域みんなの意見を吸い上げて、戦略を練り、実行していくとされている。しかし、木下氏はじめ多くの人が指摘するように、そういた「船頭多くして」の状態では、責任感もなく、行政主導(さらに、委託先への丸投げ)でついていく人もあまりおらず、ということになる場合が多い。
とはいえ、地域のみんなの意見や同意が無いうえで進めるのも得策ではなく、様々な方からの意見は必要だ。ではその意見はだれが出すかというと、商工会や商店街といった「経済団体」からとなる。地域住民からの声も大切だが、多すぎるため、自治会長などが代弁する。しかし、そういう意見交換会議で、地域住民から地域の商工会や商店街への意見がされることはない。
地域の住民の多くの本音は「地元の商店街で買うものなんてもうない」ということなんだが。
ここに足かせになる理由があり、商店街振興施策をしようとも、商店街内部でも意見がまとまらず、一部の業態だけしか盛り上がらないイベントや広告にその振興補助金が費やされる。本来なら、商店街のリフレッシュを行い、「地元の人に本当に愛される(=利用される)」商店街づくりを行うことが、地域経済の循環の面から見ても大切なのだが、一過性のイベントやPRにしかならない。もちろん、そういうイベントも、消沈している商店街の方々の目先を変えて、今後のことについて考える契機になるという意味はある。ただ、それを何年やっても同じことしかできないのであればその契機も潰える。結局、商店街などの声に引っ張られた行政の地域活性化施策は実りなく終わることになる。

商店街は買い物の場所として誕生したがイオンや大型商業施設にその場所を奪われ、ごく一部の業態しか地元の人の「買い物の場所」としては機能していないし、今後も取り戻せない。かといって、今までもこれからも町の機能としての「行政からの橋渡し役」は他の何かがすぐに取って代われるものではない(自治会も、地域によっては運営に苦戦している)。
商店街組織の維持というお題目から離れ、地域のためにこれからどういうことをしていくことが必用か、町の住民、商売をする人、働くために他のところからきている人、学生なども含めて考えていけるようになるかがカギだと思う。その中でも真剣にならざるを得ないのは「商売をする人」のはずなのだから。



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