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なぜ多くの議員は仕事ができないのか

今日の話はもちろん全ての議員に当てはまる話でない(と信じたい)が、この数週間で目に余る話がいくつも出てきたのでここに記す。

そう言えば交通事故を選挙中に起こして、それが当選後発覚した木下なんちゃらという都議は今頃どうしているのだろうか。議員の不祥事は全国各地で後を絶たないが、それはまだ発覚することがまあ多い&発覚した後は大きな批判にさらされるだけまだましだと思う。もっと酷いのは、『市民の課題を知り、その課題の根本的原因を把握し、その解決に向けた方法を住民とともに議論していく』ことをしない、あるいは放棄している議員は一般市民からも発覚しにくいばかりか、本人も自覚しないという悪影響がある。


1.町の中における大切な人の意見を聞いていない

私の仕事の一つに、兵庫県下の様々なまちづくり活動を視察し、審査するというものがある。年間で、文書レベルで18~24件ほどで、そのうち視察までできるのは年にもよるが10件ほどである。視察は長くても1時間半程度だが、まちづくり活動に対して真剣に取り組んでいる多くの市民町民とみっちりお話をさせてもらう。なので、その活動がちゃんとしているものか、真剣であるものかはだいたい判明する(そもそもこの事業は100を超える団体の中からある程度の審査を経て選ばれた団体を視察している)。そして、その活動に対して様々なアドバイスをする。アドバイスは、組織運営の事や資金の事、とるべき方向性の事など、、、多くの場合、こういったまちづくり活動をしている人に対して親身になってくれる行政職員が多くないという問題がある。行政は予算とルールがないと動けない。今の状況をより良くしようというまちづくり活動への支援や、まちづくり活動に決まっている予算以上をつけることなどは行政ではできない。

しかし、これはどこにでもある話だ。これを打破するためにはどうすればいいかというと、活動している人が粘り強く行政に交渉するか、行政がその活動を支援あるいは支援を拡充するための「働きかけ」をだれかがしなければならない。それは議員しかできないのだ。

残念ながら、そのまちづくり活動者の多くは議員とのつながりがない。それはなぜかというと、活動者が議員に働きかけるというしていないことは少なく、議員がそういう活動自体を知ろうとしていないし、入ろうとしないのだ。

今日視察したとある人の活動場所(市街花壇を維持管理する活動)は、とある市議の事務所の目と鼻の先だが、活動の最中に「来たこともない」という。これが数年の活動であるならまだしも、この人の活動は30年続いているものである。そしてこの人は地元婦人会の会長も務めている。地蔵盆や小学校の催しなどでは顔を合わせるのに、事務所のすぐ近くで行われている活動については話を出すこともないという。活動は市報などでも取り上げられており、知らないわけがない。

こういったまちづくり活動に議員が参加したり、議員がその活動の悩み事の相談をうけたりということしていないのはこの事例だけの話でない。むしろ、しっかりと議員などが活動を把握して行政に何らかの要望をしたり、議会で取り上げていくこと自体が珍しい。そしてこれは特に都市部に多い気がしている。


2.なぜ議員はまちづくり活動に支援・協力をしないのか

別に議員の多くも「嫌だからしない」わけではない。その取り組みに対して何か関わって「協力」したり、「悩みを聞いてあげる」ことの重要性が分かっていないことが多い。すでに行政からいくばくかの助成金がでていたり(もちろん圧倒的に足りない)、表面上は「うまくいっている」ように見えるからである。しかしこれは議員の仕事としてはあまりに稚拙である。いろいろな活動が抱えている課題などをいかに深くヒアリングして、とりあえず少しでもうまくいけるようになる現状の別の補助制度を教えたり、今の活動団体のできていないところや改善できる点を指摘して少しでも現状から活動を良いものにしていくことはできるはずである。なぜなら、私ですら年に10件ほどそれをしているので。しかも初見で。しかも交通費のみの無報酬で(県のそういう委員に任命されているので)。

※ちなみに指摘などできなかった活動も数件あるが、それはあまりに現状で完璧すぎるからだ。兵庫県福崎のとある自治会の活動や、兵庫県多可町の田野口むらづくり協議会などがそうだった。

議員は、汗をかかなければならない。もっと深く活動に入り込み、その活動を後押しするような行政の仕組みを説明してあげたり、活動メンバーが増えるように支援したり。活動するメンバー一人一人の悩みを聞いてあげたり、付近の住民でその活動に懐疑的な人がいるとすればその人に対して説得することもしていくぐらいは必要なのだ。今日視察したもう一つの活動では、町内のメインストリートを花の道にしてその維持管理を行っている団体だったのだが、その道に面する商業施設からは、「花の入れ替えの時砂ぼこりが舞って迷惑」と言われているという。しかし、もしそこに花壇がなければ、景観が殺風景になるばかりでなくおそらく違法駐車がその道は蔓延する。そのようなことに頭が回らない商業者のレベルも悩ましいが、そういうことをしっかりと把握して問題提起をできるのはこの日本において議員が一番その役割を担うべきなのである。また、商業者に都市の環境維持活動のメリットを説いて回るのも、行政職員だけでなく議員も積極的に行うべきであるのだ。


3.偉い人、一部の人の話しか聞かない議員

その昔商店街活性化の仕事を行っていた時、各商店街は新年会や忘年会をやるのが大変忙しいようであった。そこには市長や市のお歴々が集まり、幾人かの議員もいた。そういう議員は商店街の理事長などとは懇意にしている。しかし、年々空き店舗は増え、人通りは減り、経営者は高齢化し若手の継承者は現れない。一方で、議員は理事長たちには「しっかり行政を動かして予算を付けた」という。しかし、その予算が執行されても商店街は良くならない。なぜかというと問題の根本が理事長も議員も分かっていないし、自分がつけた予算が無駄金であったかどうかのマイナスの検証などしないからである。

商店街の若手が少ないなら、意見を聞くべきは理事長ではなく若手経営者そのものであり、出ていった若者、そのまちで商売をしたくないという人の意見を聞くべきである。そこができていない。

また、一部の議員は話を聞きすぎると「その人のためになんらか動かなければならない(動かなければ支援を失う、あの議員は使えないという話が広まる、選挙で悪影響がある)」という意識があるので、『自ら火中のクリに手を突っ込む』ということはしたくないという人までいる。先に述べた婦人会長の件はこういった背景もあるのではないかと推測する。だから、小学校の運動会などで会うときに挨拶はするが活動の悩み相談などをすることはない。

議員の人は町中に「相談所」を設けて、色々な話を聞ける体制を整えている人もいる。しかし、そこのネットワークで拾い上げる声は結局「いつもの人の声」「支援者(のみの)声」しか拾い上げられていない。

こうした現状を、県内や全国様々な人たちの活動の多くで見てきた。しかしこれは今の日本の政治不信が生んでいるものなのか、政治と人々の距離がいつの間にやら広がってしまったからなのか、そこまで踏み込んで考察は後日に回したい。
一つ言えるのは、町の人の声を聴いて政治に取り組みます!というている議員は多いが、実際にまちづくりの活動などにしっかりと絡んでいる議員があまり見当たらない(もちろんゼロではない)ことは、街の将来には大きなマイナスである。

特に都会部での議員がこういう傾向が顕著であるように感じる。都会では議員の数も多いが、議会以外でも様々な委員会や党内の勉強会などもあり、それに忙殺されていることも考えられるが、それだって土日は休みであるし、委員会は365日あるわけでもない。選挙期間だけでなく、日ごろからどのように活動しているのか、もっと市民も議員をチェックするべきなのだろう。

※残念ながら、日々市民の声を聴いていると本人が思い込んでいる議員もいる。聞いてくれて「正しく」行動してくれればいいのだが、問題の解決をあまり深く考えずに表面的な解決法を議会でしゃべったり(その結果行政は混乱するし、最悪その案件へとても消極的になる)、なにか少しでもその案件が進展すると、その進展は市民一人一人のものであるのに『俺がやった』という喧伝をするような議員、何かあると関係者に電話しまくり、自己アピールをする議員もいるのだが、、、(ちなみに先日もとある県会議員から電話があったのだが、言うたこと全然してくれない)

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