見出し画像

日大アメフト 廃部は『正しい』選択なのか

日本大学アメリカンフットボール部が廃部となることがほぼ決定事項となった。

ネットでは、廃部は当然、遅すぎる決断だという声と、廃部すればいいという問題か、他の学生がかわいそうだ、という二つの声があり、前者がおそらく多数を占めているような状況である。

しかし、組織の人間が不祥事を起こし、それがその組織風土というものに根差しているから廃部というものなのであれば、それはなぜ「学生」「スポーツ」など、団体活動にことさら当てはめられるのかという問いかけもあっていいと思われる(先日発生した宝塚歌劇団での事件についても根本的には一緒だと思われる)。

たとえば、先日2件の不祥事が発生した、日本テレビグループでの着服事件(日本海テレビの24時間テレビ寄附金着服と、読売テレビの業務上横領事件)だが、これはテレビ局という公益性が高い企業でありながらこういった着服事件は視聴者の信頼を大きく損なうものだし、企業の構造や風土に根ざしているものでは無かろうか。ではなぜこういった一般企業では廃業とはならないのか(当然経営TOPは責任を負い、当人は職を失い、社会的制裁を課されるわけだし、場合によっては官公庁の入札に参加できないなどの大きな打撃もあろうが、それは不祥事そのものではなく、不祥事の内容によって左右される。)。

大学生というのは、まだ社会人ではない。だからだろうか。

とはいえ大学の中において体育会スポーツは、その分野で一流校であればあるほど社会人との接点が多くなる。監督、コーチはほとんどが社会人で、実業団などでも引き続きそのスポーツ界で活躍している人、あるいは一定の成果を上げた人である。そして、試合の際はもちろん、週末ともあればいろいろなOBOGが集まり、練習に参加して学生を鼓舞したり、アドバイスをしたり、時には練習後個人的にお酒を飲みながら進路の事やメンバー間のコミュニケーションの事、恋愛問題まで相談に乗ったりする。その中で、学生は社会人としての様々なことを学んで行ったりする。體育會が就職活動で企業から信頼されるのは、日ごろから社会人としてのマナーをすでに身に着ける活動をしてきたことが評価される。
であれば、こういった不祥事で「当該学生だけが処罰されるのではなく、その団体そのものが存続を認められない」という処置をされるのは、社会人と日頃から接している体育会の学生から見れば、理不尽な連帯責任と言えるのではないか。

かつて私が学生時代にも、部活動で大きな事件が起き、その部が廃部になるということがあった。もう23年前にもなる話だが。

https://www.kendo.or.jp/old/column/150.html
上記の(10)にある、死亡事件である。
当時国士舘大学は寮制度があり、1年生から4年制が原則各1名ずつ一つの部屋に入り、学生生活を送る習わしがあった。事件は、その部屋で4年制の学生(実は私は中学から知っている超強いやつ)が、同部屋の後輩1年生の態度が悪いと蹴り上げた際、胸にかなり強いダメージを与えてしまい、結果心不全を引き起こしたと記憶している。

この事件が起きた時、私はKO大学體育會剣道部3年生として、そして関東学生剣道連盟の副幹事長(3年生なのにとある事由で相当責任のある立場になっていた)として、試合開催のための準備運営など大学学生剣道界の仕事にあたっていた(あまりに忙しいので練習ほとんど出てなかったので同期や後輩から幽霊部員と揶揄されていたくらい)。

今でもこの事件を知ったときの記憶がある。部活の傍らアルバイトで近所のコンビニで夜勤に入っていた私は、朝6時に家に帰り、大学に出発する7時まで少し寝ようと思ってベットに転がって10分後、都の西北大学故安藤先生(学生剣道連盟運営の重鎮でもある)の携帯から携帯に直接電話があった。

片桐「おあようごあいます!!」
安藤先生「寝てたか?」
片桐「ぃいえ、、、、寝てまいた」
安藤先生「新聞あるか?内容確認したら折り返し電話しろ」
片桐「あいぃ。。。?」

恐れ多くも剣道界で範士八段という達人からのモーニングコールを頂くことは後にも先にも無いだろう(あったら困る)。

そして、リビングに行き朝日新聞を開くと社会面にその事件記事はあった。

一瞬で眠気は吹き飛び、安藤先生に電話を掛けた。

安藤先生「見たか」
片桐「はい、、、」
安藤先生「今、他の先生方と連絡を取り合っている。連盟本部(日本武道館の事務室の中にある)で待機していろ」
片桐「はい、、、先生すみません、しかし1限の語学の授業は出席しないと単位が、、、」

恐れ多くも剣道界で範士八段という達人に対して単位があるので重要な会議に遅くなるなど申し立てることは後にも先にも無いだろう(あったら困る)。

とにもかくにも授業後大慌てで九段下の日本武道館まで向かう(キャンパスが藤沢市だったので1時間半かかるのだが)。時刻は昼過ぎであったと思うが、多くの先輩方(国士舘大学の矢野博志先生、関東学生剣道連盟学生幹事長の国士舘大学4年制の先輩T氏も含む)が集まっており、当面国士舘大学は活動停止という話を聞かされた。

そして、
安藤先生「とりあえず、今後いろいろな電話がかかってくるだろうが、片桐が一元的に対応するように」
片桐「はい!      

、、、へ?」

その後、3日間くらい様々な電話が来た。マジで寝れないくらいのストレスになった。俺が倒れるかと思った。

マスコミからは
・国士舘大学の対応はどうなるのだ?→しらん、大学に聞いてくれ
・国士舘大学の学生責任者の電話番号を教えろ→個人情報www一番面倒くさかった。非常に高圧的だし。剣道界全体がこういう風潮なのだろうというような口調で、さすがにこちらも切れて対応した。毎●新聞社会部、貴様は今でもゆるさん。
関東学生剣道連盟としてどういう処分をするのか→これが一番厳しい質問で、先生方からは国士舘大学を連盟が除名するなどの処分がいいのではないかという声は確かにあったのだが、あくまで大学当事者の判断を待つという姿勢だったので、濁して答えるしかなかった。しかし、今から思えばまっとうな質問であったと思う。

あと、OBからの「寛大にしてくれ」という電話もかなり多かった。他大学のOBからも電話があった。
連盟の仕事でもお世話になったM山先輩とは結局1時間半くらい長電話しただろうか。結構ねぎらってくれて、本当にあの時は救われた。

しかし、この時は全日本学生剣道優勝大会の抽選会直前。この年予選である関東大会を優勝していた国士舘大学は不出場。審判員としてお願いする予定である方も出ていただくわけにもいかず、ただでさえ忙しいのにさらに業務が重なった。おかげで語学の欠席回数も増えることに、、、全国のOB先輩方に大会関係の書類を送るのも直前(たしか大会4日前くらいに速達で出した)になり、大会運営会議で学生事務局はとても怒られた。準備があるからということで運営会議はでなくていいように働きかけてくれた当時のM大学N村さんI上などにはとても感謝している。

そして、最終的に国士舘大学剣道部は廃部ということを大学側が自主決定した。

で、その一連の動きを受けて大学剣道連盟としてはどのように評価するのかを取材したいとテレビ朝日のニュースステーションが取材に来ることになり、結果的にテレビのインタビューを受けることにまでなった。20秒ほどコメントが使われただけだが。親に言わなかったので、後日親族から母親に電話が入って大変だったが。

コメントしたのは、「大学側が自主的に判断するということなので、それを評価してこちらはそれを受け入れるだけ」ということ。このへんも裏で各先生に確認を取ったりと調整大変だったが。

その後、報道は下火になった。数年後、新しい師範を頂き非暴力宣言を大学が出したりと改善に努め、今では国士舘大学剣道部は復活を遂げている(そして相変わらず強い)。

昔話が長くなって恐縮であるが、ここからが本論である。

たとえ、組織の体質がそうだったからと言って、個人の問題が発生した時に、その部を廃部という判断を大学が下すというのは正しいのだろうか。

少なくとも、私が学生の時に体験した剣道界での事件の時は、廃部は当然と思われていた。私も当時はそう考えていた(そうでもしないと収まらないだろう、という雰囲気であったし、実は裏でさらにいろいろあったのだがさすがにここでは書けないのでお酒奢ってくれる人にだけ話しします)。

ただ、「大学生だから(もしくは高校生だから)」という理由で、同じ部活のメンバーの人生にも大きな影響を与える「廃部」という決断を大学が下すというのは大学の決断として本当に正しいのだろうか。罪の深さによるというのであれば、残念ながらかつて私が経験したように死亡事件も起きたし、帝京大学ラグビー部や京都大学アメフト部の部員が関わった強姦事件も起きている。しかし後者2つについてはその際出場辞退ということはあったが、「廃部」には至っていない。薬物問題、それが部内で常習化していたという問題(3人という数字も多いか少ないかの問題もある)の重さと強姦事件などの重さは誰がどう計るというのか。

日本大学を弁護するつもりは毛頭ないし、あの大学の経営陣のコンプライアンスのなさなどは驚きを通り越すレベルとは思うが、それと学生の興した罪の重さと処分については分けて考えるべきで。
ついでにいうと、日大、アメフトとは別のスポーツも含め、色々な大学でスポーツ部員の大麻やその他問題でニュースになっていないだけで大会出場辞退とか有名な選手が退部したとかいう話は残念ながら結構ある。
もちろん、スポーツ部以外で大学生が事件や事故を起こして退学やその他処分をされるということもある。

そして、たとえどんな罪があったとしても、その事件が起きたことを、学生自らが反省し、学生自体がどう二度と起こさないよう、10年先20年先も考えて何をすべきかという機会も奪ってしまい、廃部ということで終わってしまうことはどうかと思う。それこそ教育機関として問題とは思わないのだろうか。

真面目に取り組んでいたであろうメンバーもいただろうし、大麻などを本気で怒る先輩やOBもいたかもしれない。
そういう方々の声が再評価される機会も失われてしまうのではないか。

今回は、起こしてしまったこと自体より、その後の大学の処置のまずさで世論が厳しくなったことが否めない。その点において学生さんたちには同情する。


そして、アメフト学連の学生さんが、この件でかなり対応に追われたり変なジャーナリストから取材を受けて厳しい言葉を投げかけられていないかを同情する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?