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スタートアップはいかに成長し、いかにおかしくなるか

以前、ちいさなIT会社の取締役を務めている時、その当時の社長(40代半ば)が、50歳ほどの女性IT企業社長から、こういわれたらしい。

「会社が成長するには、社員それぞれに、限界点より高い目標を設定する。また、会社の目標も現状では到底無理そうな金額をあえて設定する。そうすることで皆が自分の120%を引き出し、業績が上がる」

これを真に受けたその社長は、、、という昔物語すると長編小説くらいになるので割愛するが、この女性社長のような考えは、往々にして多くの中小企業経営者は抱くものである。

自分の120%を引き出すというのは、アスリートの世界のような話である。おそらくこの女性社長の言葉に対して嫌悪感を抱く人も一定数いるのが現実だろう。しかし、上場とかをゴールにすると無茶な数字はどうしてもつきものである

企業が成長するにはある程度厳しい数値目標が設定されるのは当然といえば当然だ。そうしないと同業他社に負けるので。会社を存続させようと思えば思うほど、限界を超えた働きや成長を促し、数字を積み上げていくしかない。しかしそれがうまくいく会社とうまくいかない会社は、「成長を目指すための」仕組みづくりで差がついていることを経営者自身が理解していない場合が多い。

例えば、報奨制度や評価制度といった人事戦略が大切である。また、よく言われる話であるが、会社のビジョンや哲学を明確にし、社内に浸透させ、その社会的意義を達成するために社員一人一人のモチベーションを高めていく、、、ということが言われるが、そもそもそこに限界はある。乾いていない馬に水を飲ませることはできない。そこまで意識高いスタッフを採用するのも極めて難しい。

スタートアップが成長するのは、その社会的意義や、これからの成長期待というものに胸躍らせる「憧れ」「希望」「起業というカッコよさ」などなどの、心理的モチベーションが主になって会社が成長する。そのビジネスモデルの表面的な社会性や公共性が高ければ高いほど志の高いスタッフも集まるし、最初のうちはメディアも注目する。起業を後押しする自治体の部局や商工会もそういった新しい会社が伸びることはもろ手を挙げて歓迎している。

スタートから2,3年後には、成長していることそのものがメディア的には種になり、余計宣伝する。しかし、このころにおかしくなる最初の兆候が現れることが多い。

一つ目は初期のスタッフへの待遇だ。成長して人が増えていけば増えていくほど、そのマネジメントに忙殺される。そのため、さすがに社会的意義だけで働くというところにも限界が来るので、当然待遇面も要求していくのは自然の流れだ(20代で起業家に加わって、5年働いても給料が年収240万円くらいということは多々ある)。しかし、成長しているといっても、こういう企業は人材に先行投資しているため、キャッシュはいつもカツカツである。VCなど入れて資金が豊富にあるように見えても、取締役報酬を際限なく上げることもできない(まれに、そういう会社があるがそういう企業はだいたい数年で破綻する)。

そうして、さすがに袂を分かつ人が出てくる。

もう一つは、業務効率化が進まず、スタッフに過剰な負担がのしかかることだ。内部情報共有などはITツールを駆使していても、案外社内承認やクリティカルな意思決定の形についてはアナログな部分が多く、手間がかかったりする。顧客管理や売り上げ計上の部分もだ。経理系の手間が煩雑になるのは、様々な顧客を広げすぎて、統一の業務フローに落とし込めないことなど様々あるが。あとは単純に、業務が多すぎて回らないことだ。こうして残業どころか土日もないような業務が続く。

一方、成長していることによって次年度目標はさらに高い数値を要求する。VCなどがいればもっとその金額はシビアなものになる。しかし、最初のころに描いていた事業成長計画は、もともと「絵に描いた餅」である。この餅のようにうまくいくことなどほとんどなく、その数字通りにいっているとすれば、初期スタッフの泥臭い営業や残業代など全く計上されていない中で作られたものだったりする。要は、無茶して作った数字だ。それにさらに無茶をかける数字目標がセットされる。こうして心身ともに疲労してさすがに離れるスタッフが現れる。

とはいえ、成長している企業ということでマスコミで報道されまくるので、門戸をたたく若い人の姿は絶えない。

そうして、新しい人がどんどん来るので、創業者や経営者の心情としては、「今までのことは間違っていない、どんどんこれから(創業当時のビジネスモデルを)広げるのだ!」ということで新たな成長戦略を描く。

しかし、だいたいの場合ここでさらにおかしくなる。創業当時のビジネスモデルで成長できているのであれば、その営業精度や業務効率なども上がっていかなければならない。だが、そうではなくて中核業務に(無理やりこじつければ)派生するような新しい分野の業務に乗り出すことが多い。それはなぜかというと、創業の時に据えた中核業務のビジネス的限界がある程度見えてきてしまったからだ。収益性、そもそもの市場規模、ニーズの有無、そういそういったものを創業の前から100%見えているはずなどあろうはずもない。どこかで成長は壁にぶつかるものだ。誰も競合のないブルーオーシャンもあろうはずもなく、競合がすぐ現れるようなものも多い。

それはそれとして、多種のビジネスに乗り出すのを「アメーバ戦略」などと言ってごまかすことも多い。中核が定まっていないのにアメーバも何もないのでは、、、と思う。一本足打法はもちろん危険だが、何でも手を出すことはない。しっかりと柱を育てなければならない。そして、その新しい柱にを育てるには、優れた新スタッフが必要だ。

しかし、新スタッフは、その分野でそれなりの人脈をもち、給料を稼いだ人である。その人に見合う待遇を出せるか。そこではその企業の「社会的意義」や「ビジョン」などは、はっきり言って通じない。ある程度社会で戦ってきた人は、ビジョンは大事だが「そのビジョンを達成するにどのような対価を俺に払ってくれるだけの勇気があなた(経営者)にあるのか、そして俺を使いこなせるだけの胆力などがあるのか」をみる。そもそもビジョンなどは、どんな会社も似たようになる。起業前ならまだしも、ある程度成長期にある以上、同業他社はゼロということはないのだから、あとはその新スタッフを引き入れることができるかどうかである。その人が納得するような待遇で。三顧の礼ができるかどうか、そしてその人を使いこなせるか。だいたい、悲しいかなそういう人は定着しないのだ。理由の一つに、初期スタッフが何も能力がないのに偉そうにしていたり、内情の業務やデータ活用が無茶苦茶だったりするのだが。そうして、見た目は成長しているが、実際は自転車操業で、何かあれば崖から転がり落ちる会社はよくある。いま、いくつかの転がり落ちそうな会社があるが、とりあえず様子を見ている。おそらくそんなのは私だけでなく、安く買いたたこうというハイエナのような企業も実は多いのだが。

某日本酒の販売のスタートアップにおいては、社長の給料が、近年採用したスタッフより低い。

これはなぜかというと、成長にそのスタッフが必要で、そのスタッフの実績や能力を見れば、採用前時点の社長を上回っているので、高い給料が必要だということを、その会社への投資家が判断したためだ(投資の条件として、そのスタッフを社長より高い待遇で獲得することを提示した)。

しかし、ここまでできる会社は稀である。

どういう会社が成功したり崩壊するかということを100%判断することはできないが、その企業の表面上の成長率やメディアへの露出だけでなく、人材の定着率やその企業が突き進んでいる(ようにみえる)分野の市場や間接的競合や社会的情勢も見なければならないし、その会社のスタッフすべての給料とどのような仕事を実際にしているのかを事細かにみることをすれば、問題点に気が付くはずなのだが、多くのVCや投資家がこれをしていない。

私を雇ってくれたらその辺しっかり見極める自信はあるのだけど。



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