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釣りを通して気づいたこと【海でみた技術の功罪】

最近、釣りをするために自ら海に行くようになりました。

工業団地になっている釣り場を選び、しばらく釣りをしていたら身体が黒くなっていることに気づきました。
明らかに、目と喉が少し痛い。

真っ黒になった原因は、釣り場の近くにあった火力発電所から出る「ばい煙(すす)」でした。

その日は、風が強かったから、かなりばい煙が飛んできていたのだと思います。すごく目にしみたので硝酸系の成分も吸着していたのではないかと感じます。

こんな感じじゃ、脱炭素の主張を理解できる気もするなと思いながら、家に帰ってからばいじんの回収装置を調べていました。

90%回収できる電気式集塵機が導入されていても、あれだけのすすが舞っていたら中で働く人は大変だろうなと考えていました。
私は工場のプラント自体は好きな方なので、複雑な気持ちでした。


それ以降、公害の歴史に興味がわいて、調べた末、国家のある計画を知りました。

第二次世界大戦後、国は、国民たちが豊かな生活を送ることを期待して、殖産興業の強化に勤めていました。そこの工業地帯も、当初は周辺に農地がある計画だったそうです。

しかし、住民たちには工場勤務で稼いだお金を近隣の娯楽施設で消費するサイクルが出来上がってしまい、農地への働き手はつかず、目標は達成されなかったとか。

工業化を促した国家を悪とも言えず、
『人』をもっと上手く理解していればまた別な解決策もあったのではと思えてなりません。

過去の政策に足りなかったものとは?
それには、『話し合いの場』が含まれるはずです。

国家と国民、雇用主と労働者
今の社会は、正当に意思の疎通ができているのでしょうか?

過去の国家と国民のすれ違いが、
工業地帯の在り方や技術の功罪といった姿に変わり、現代の課題に対しても解決の術を訴えているようにも感じます。


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