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「日本刀を後世に残す事が大事」は一見ごもっともだが、難しい

「日本刀を後世に残す事が大事」

ごもっともな意見で実際「綺麗な言葉」でもあるので唱えれば多くの人から同意を得られる事でしょう。故にこれを唱える人も多いです。私含め。
しかし同じことを唱えている人でも背景を見てみると、視野が小さいか大きいかという違いがある事にも気がつきます。

それぞれどういうことかというと、まず視野が小さい方は、ひとまず自分の手元で管理している刀を後世に引き継ぐのが大事と考えているような人。
私含め多くの愛刀家がこれに当たると思います。

視野が大きい方は、ある特定の日本刀ではなく日本刀全般を1振でも多く後世に残すのが大事と考えているような人です。
これはどちらと言えば業界関係者や、刀を持っていない方が唱えている場合が多いように感じます。
勿論愛刀家で唱えている方もいます。

両者は似ているようで違います。
どちらが優れた意見とかではなく「視野が違う」という話です。

自分の管理出来る範囲で刀を買い後世に綺麗な状態で引き継ぐ、という事は私含め各々の愛刀家が思い思いにやっていけば良い事として、今回の話は後者の方、「日本刀全般を後世に残す事が大事」についての話です。

これは意外に難しい問題に思います。
何が難しいかもう少し具体的に書くと、偽銘で出来の悪い刀をどう残すのか、というのが難しい問題に思います。
在銘や無銘でも鑑定書の付いた刀は良いのです。
鑑定書が無くとも出来の良い刀は良いのです。(名刀には意図的に鑑定書を付けていない物があるのも事実です。存在が知られていない事に価値がある為です)
それらは需要が一定数あるので特に対策など考えなくとも値段がある程度付く限りは勝手に残るといえば残るでしょう。

問題は鑑定書の付かないような刀(偽銘や、刃が無い、鍛え割れが多いなど状態の悪い刀)などでしょうか。
偽銘になるとオクなどで売られるようになります。
それでも出来の良い偽銘や大銘物の偽銘は価格が付き需要もあるのでこちらも後世に残りやすいといえます。

では何が残り難いかと言えば「偽銘で出来の悪い刀」に思うのです。
こうした刀はもはや二束三文の値段しかつきません。
売る人は少しでも高く売る為に、まだ鑑定に出した事ないよ、審査合格保証などと適当に言葉を並べて売るかもしれません。
そしてそれを信じて買って鑑定に出した結果、不合格となり高く買い過ぎた、問い合わせても音沙汰無しと嫌な思いをする人もいるかもしれません。

勿論値段が全てではないですし、鑑定書が全てではないのですが、そうは言いつつも3万円の刀と1000万円の刀を同列に大事にする事の出来る人はそう多くは有りません。
この例えは極論ですが、値段が高い物をより大切にする傾向があるのが人間です。その価格差を決めるのに鑑定書というシステムが大きく絡んでいる事もまた事実です。


鑑定書などどうでも良い、自分の眼がすべてだという数寄者が増えると本当はこうした刀も後世に残る可能性があるような気もするのですが、残念ながら殆どの人は安全を求めて鑑定書を頼りに刀を買います。(実際鑑定書付きを買った方が安全です)
では偽銘の出来の悪い刀をどうすれば後世に残す事が出来るかを考えると、「銘を消して良い研磨を施す事、綺麗に見えるように、状態が良く見えるように繕うこと」などが挙げられます。

一般的にこれらは良くない行為と思われがちですが、これにより例えば保存や特保審査に合格して、「欲しい、買いたい」と思う人が増えたら刀を後世に残すという目的においては良い事に繋がるような気がします。
こうした繕いを施した刀を無疵無欠点などと言って高く販売する行為は悪質な気がしますが、刀自体が綺麗になることはそうした意味でも一概に悪い事ではないと思います。

そう言えば以前、今まで鑑定に出した「履歴」みたいなものを公開してほしいと思った事がありました。
例えば過去重要審査に2回出して不合格になっている履歴が事前に分かっていれば無駄に審査に出さなくて良いじゃないですか。
つまり無駄な審査費用の出費が抑えられます。
…と考えた為ですが、「後世に日本刀全般を残す」という視点で見るとここは公にしない方が下心を持って買う人がいる、需要に繋がると思うので履歴は公開しない方が良いのではないかという気が今はしています。個人的には知りたいですが。
協会的にも履歴を出さない方が何度も審査に出してくれて審査費が稼げるので、変わることも無いでしょう。

話が長くなったのでまとめると、「日本刀を後世に残す事が大事」というのは言うは易し、するは難しで、一番の難は「出来の悪い偽銘刀」をどう残す事かと。
そもそもこれらの刀が残るべきか残らないべきかという論争もおきそうなものです。
そうした刀も歴史あるものなんだから当然残すべきだ!と言うのは一見ごもっともで綺麗な言葉ですが、少し視点を変えてそうした刀により騙される人が増え「日本刀は騙しが多すぎて怖い」そうした悪評が広まり愛刀家人口が減った場合は更に多くの残るはずだった刀が残らない可能性もゼロではありません。
まぁ言ってしまえば結局のところ偽銘刀の繕いをゼロにする事なんて出来ませんし、そもそも偽銘を偽銘と100%正確に判断する事は誰にも出来ないので現実はなるようにしかならないと思います。
とは言いつつも例えば刃切れの刀を全て不合格にするのではなく、明記して鑑定書を付けるなどはした方が不遇な対応(例えば刃切れを刃欠けにする行為)を受ける刀は減る気がして良いとは思うので、そうした審査内容の改善など要所要所で検討の余地のある箇所もあるとは思います。


無駄に長くなってしまいましたが結局何が書きたかったかというと、一見綺麗に聞こえる言葉も少し踏み込んで考えてみるとそう単純ではなく複雑で難しいですよね、という事でした。

勿論私も偽銘刀はそれはその歴史があるので残ってほしいとは思います。
以下の祖父の刀も偽銘でしたしね。
偽銘でも祖父の刀だったという事実は私の中で大切に残ります。
ただ私が死んだ後はどうなるのか。
子供に譲るにしても鑑定書付きの刀が多い中で価値以外の要素をどう正しく子供に伝えていくか。
これまた考えさせられますね。
「値段≠刀の価値」これをどう子供たちに伝えられるか、これからの課題です。


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それでは皆様良き刀ライフを!

↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

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