幸せの在処
こんにちは。
今日は休日ということもあってゆっくりしている塊です。
仕事のしすぎで、仕事脳が抜けなかったりする中で観る映画や読書は本当に至高だなと最近思っています。
さて、本日のテーマは…
『幸せの在処』
こんな哲学的かつ難しそうなテーマをまだ20代の僕が完璧に書けるなんて全く思っていないけど、感じていることもあるから書いてみようと思う。
幸せって何なのか?
多分幸福感とか生きている実感なんだと思う。
以前、生と死について持論を語ってみたこともあるけれど…
生きている実感とは、頭の中でたくさんのことを考えることができる。
死とは、多分他のことを考えれなくなるみたいなことを書いた。
でもさ、生きている中でも死にたくなったりとかするからこの矛盾ってあるなって最近思う。
生きているから幸せって思えるのは、本当に極地だと思う。
でもこれを極地って表せれるのは、今の自分が生きれているからだし、今の自分が危険に晒されていないからだし、結局のところ僕はそう考えると幸せ者なんだと思う。
昔にとある映像を見たことがある。
それは世界の貧困状況とか、ストリートチルドレンについてやFGMについてなどを見た時、尚のこと自分がどれだけ恵まれて育ってきたのかなと感じた。
でもだよ。
しんどい時はみんなしんどいし、辛い時はみんな同じように辛いんだよ。
じゃなきゃ、感情というものは存在しない。
本来、その人が持つ感情は多分他の人と比べちゃいけないんだよ。
環境がとか今の状況がとか、それより酷だと思うことを目にしてしまった時、人は自分の置かれている状況を整理することができたりしちゃう。
それは感受性でもあって、感性でもあって受け取り手によって大きく変わる。
こんなことで幸せを感じるの?とかこんなことで凹むの?とか。
人様々だし、そこに他人が踏み込める余地ってないように思う。
誰かといることとか、愛を感じるとか、幸せの種類、在処はたくさんあるけれど、それらは自分自身が感じていることで他の何にも変えれない。
マイナスなことをポジティブに変えることもポジティブをポジティブのまま維持することも自身の状況を考えると難しかったりするかもしれない。
だからこそ、その人が思う幸せの在処をありのままに体現して欲しいなって思う。
今時SNSとかでは様々な欲が飛び交っていて、様々なことが問題になっていたりする。
自分が他の人と違うことなんて当たり前だけど、それが変なんじゃないかとか、この考え方してるやつやばいんじゃないか?とか。
それはそれで、ありのままの自分というのが、結局1番の魅力だし、小さなことでも幸せと感じれることほど本当に素敵なこと。
もちろん人間は独りでは生きていくことすらできない。
生きていくこと、というのは必ずどこかで誰かを必要としないと苦しくなるし、生活というのができなくなるからだ。
でも、全ての物事からもらえるわけじゃない。
批判だってあるし、全てをプラスに持っていくことなんてできっこない。
だからこそ、自分を主体に置いて、今感じていることをありのままに出していけるようなそんな世の中になるといいなって思う。
多分それが一人一人にある幸せの在処だし、多分それが感じることの極地だと思う。
でも、イメージや固定概念は定着されちゃうし、嫌なことを嫌っていうのも難しかったりするよね。
でもさ。
幸せだと思えたら幸せ。
それがハッピーだと思う。
辛い時は辛い。
だから周りに託す。
この繰り返しが生きていくことなんだと思った。
※FGMについては気分が下がってしまう方もいるかもしれないため、省かせていただきます。