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Lightning Could Strike

こんばんは。
本日も皆様お疲れ様でした。

今回の題材は。

『Meet joe black』

この映画は愛がテーマで、愛を知らない死神と愛を知っている父親がさまざまなことを通して、愛が何か。恋が何かを教えてくれるそんな映画だ。

内容の説明を上手くできる自信がないので、割愛するけども何せ名作だと感じた。

名作だと感じた理由。
それは映画を見終わった後の余韻の長さ。

タイトルの『Lightning Could Strike』という言葉は父親役=ビルが放った言葉で、いづれ雷が落ちるほどの情熱のある愛がわかるというものだ。

正直僕には愛が何かわからない。
なぜかって、恋をすることと愛を与える・感じることはとても大きな差があると思っているからだ。

恋とはあくまで自分が中心なもの。
言ってしまえば、自己中心的な世界だ。

愛はたぶん違う。
相手への信頼と責任だけじゃなく、とてつもなく恋が凝縮されたものだと思う。

その違いをこの映画で感じた。

ビルは妻を既に亡くしており、愛するものがいたということ。
愛することの深さをとことん知っている。
一方で死神は愛することではなく恋をすることもこれまでなかったのだ。

そんな死神がキスの味からピーナッツバターの味を知っていくことで1人の女性に対して恋に落ち、相手からの熱い情熱がある愛を感じていくが、本来人間界にいてはいけない自分の存在を相手が知ってしまった時、その愛が壊れてしまいそうで口にできない。

たぶん恋をしているからこそ、自分のことを知られるのが怖いとか、本当の自分を知ってしまったらどうなるんだろうというものなのだろう。

すごく理解ができるし、僕が居る場所もそこだった。
知られることの恐怖などは安心ではなくて、不安なのだ。

最後の方のシーンのビルがジョーブラック(死神)にいう言葉がとても好きだ。

好きなものを奪う?それは愛とは言わない。
愛の本質とは、奪うことではない。
生涯をかけて相手への信頼と責任を全うする。
そして相手を決して傷つけぬこと。
それに、無限と永遠をかければ愛に近づく。

ジョーブラックをよろしく(1998)

これが愛だった。

僕たちは常日頃、恋をしている人や好きな女性・男性に愛を感じる事がある。
それは、相手が自分を信頼してくれていて、自分を傷つけたりしないからなのかもしれない。

でも、簡単に愛を伝える。愛をわかり合うというのはできない。
なぜならば、長い時を経て愛は成立するものだと僕は思うからだ。

この映画で僕はたくさん泣いた。
孤独だったジョーブラックが恋を知るけども愛を知ったからこそ、彼は別れる選択をした。
これは、彼がまた孤独の世界に戻るということを指しているようにも感じたのだ。
その時のブラッドピッドの演技がとても好きだ。

また父親や母親の愛はとてつもなく大きいものだとも感じた。
それを誰かに説く姿もカッコよくて、必死さを感じたのだ。

この映画は必ず見たほうがいい。
正直うまく書けていないと思う。
順序が無茶苦茶だし。

でも想うことを書くとこうなるような気もしていた。

僕もいずれ愛を知っていきたいし、愛する人がいる人生を過ごしていきたい。

涙は綺麗なものだけど、綺麗な涙を流せるそんな作品に出会えた僕はとてつもく幸せ者だ。


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