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その瞬間の記録-22-07-08

今日がこんな日になるなんて全くもって思ってもいなかった。

正直noteを書くか迷った。
でもこの時の気持ちを勝手ながら残しておきたいとも感じた。

まずは、安倍さん難病と戦いながらも、日本を支えていただきありがとうございます。ご冥福をお祈りします。

何故だろうか。
いつも思ってしまう。

優秀な人ほど早く亡くなっていく。

でも今日の気持ちとして一番に伝えたいのは、

「命を甘く見るな」

SNSを散見すると、容疑者に対して死刑を宣告しろなど、罵倒が続いている。

今回の事件に関しては、もちろんのことながらあってはならない暴力によるものだ。怒りの矛先が向いてしまうほどのことをしたのだ。
仕方がないといえば、選択できる感情はそうなるのかも知れない。

言葉の暴力を含む暴力からは何も生まない。生むのは憎悪や復讐心だけ。
しかし、受けた側は人生に変えれないほどの打撃を喰らう。
理不尽すぎる世界。

初めに伝えておくと、もしかしたら適切な言葉を綴れていないかも知れないので、ご了承願いたい。

どれだけすごい発明をしてきた天才で、後世に残るほどの偉人の命と、一般人と呼ばれる方の命の価値は実績や功績などから見ると、偉人の方が命の価値は高いと感じてしまうのかも知れない。

しかし、「人間の心臓は一つで命の価値は誰であっても平等である。」

別に法が全てだ。とか固い話をしてるわけじゃない。
これは至って真面目にそうなのだ。
生まれてきてはいけなかった人などいないということ。

しかし、命を軽く見る人たちは何故か出てくる。

だから、僕の怒りの矛先は命を軽くみている人たちに向けたものになる。

生きている限り、その「人」にはそれだけで十分なのだ。
でも、死んでしまったら元も子もないというと、実績ありきみたいな言い方になるので、変えると奪われた命ほど、悲しいことはないし、あり得てはいけないことだ。

元総理以前に、1人の人が死んでいるという事実に目を向けない限りこの社会は変わらない。

今もなお、たくさんの命が亡くなっている中、個人的な恨み・感情で他人の人生を潰すなんてことはあってはならない。

それほど、命というのは儚いものである。
生きているだけで、笑顔にできたり、生きているだけで喜怒哀楽を味わえる。それだけで誰かに与える影響力は計り知れない。

そもそもを考えてほしい。

今この世に生きている人命はかなりの確率で生き抜いた精子が卵巣に辿り着き、受精し、女性が生死をかけて生まれてきたのだ。

女性の誰しもが死ぬかも知れない思いをして、生まれてきているのだ。
それなのに、命を軽くみてしまうような事態はあってはならないではなく、論外だ。

どれだけの可能性とどれだけの未来を奪うことになるのか、考えれないのだろうか。

その先の生きるはずだった時間を奪うことになるということに何も感じないのだろうか。

悔しくて仕方がない。

今日という7月8日は、とてつもなく悲しい日になった。
だけど、今日だけじゃない。

誰かが誰かの意思を汲み取っていくように誰しもがたくさんの故人の方の意思を受け継ぎ、未来を作っていくのだ。

半端には生きれない。


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