見出し画像

About "AI"

こんばんは。
久しぶりに『Future』について記事を書いていきたいと思う。

将来的にテクノロジーが革新的に進化していく中で仕事内容が”AI”に替わることも出てくるだろうと感じてる。

具体的にそんな仕事ってどんなものだろうと考えたとしても、大体のものが該当してしまうような気がしてしまうのだ。

最近著しく進化しているなと感じるのが、スポーツだ。

特に野球に関しては、ほとんどのものが、機械で代替されてきている。

例えば、球種などを決めるサイン交換、ストライクとボールの判定、セーフ、アウトの判定など。。

何が言いたいかって、審判が必要なくなってしまう事が将来的に考えてもすぐそこまできているのだ。

他にも言える。
事務的な作業や、接客業などは全て機械に置き換えていける世の中になってきているし、そうなっていくだろう。

『そんな世の中になったとしても反論していきたい』

人だからこそ感じれる”リアリティ”や、適切な感情などの処理は人間だからこそできているものではないのか?と思うのだ。

ゲームに『Detroit become human』というものがあるが、家事、仕事全ての事をアンドロイドが代替できるという中々えげつなく、すごく考えさせられる作品があったが、あのような世の中になったとき、確かに人とアンドロイドの差が何なのか?は正直分からなくなるような気もしなくない。

しかし、人間によるサービス=サービス精神というものは、マニュアルはあれど、その人の温かみや感情が乗っかった上での接待である。
特に日本ではおもてなしの精神があり、そこには理論で語れるものではない温かみがあると感じている。

おおよそアンドロイドができる範疇はケースバイケース=定型的な対応であると信じたい。

そうなると客との誤差が生まれてしまう瞬間や、その場での対応で臨機応変さはどんどん欠かれていくようになるのだろう。

なぜ、このようなテーマで書いているかっていうと自分がこれからしようとしている仕事もAIに置き換えられる可能性があるからだ。

だからこそ言いたい。
人間個人が行っている活動はその人自身だからこそ成せているものだと。

手に職を持っている人なんてまさにその塊だ。
機械では再現できないものがある。


それは作り手の感情や想いだ。
その想いが伝播するから付加価値が生まれる。
高級ブランドなんて全て歴史がきちんとある。

要するに自分も人に対しても何に対しても、自分だからこそできる役割や自分だからできる接客というものを今後も磨いていきたいと思う。

考えることは進むことだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?