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無知の境地

いつ考えるの?

そりゃあ今でしょ!!

今考えなければ、先延ばしにして忘れてしまうでしょう?
だって毎日仕事に、家事に、勉強に、デートに忙しいんだから。
でもコロナだからデートは無理だね。
じゃあ時間ある?


無知は時として凶器である。
何も知らなかったでは済まされないし、
そもそも知ろうともしなかったことは犯罪に値するのかもしれない。

私は無知だったし、世間知らずだったし、
自分の都合の良いようにしか捉えていなかった
空想家だった。

社会はそんなに甘くはない。

最初のきっかけは、記憶は定かではなかったけれど、後述より今回から調べてみたら2014年だった。



都会育ちではないけれど、
そうかと言って田畑に囲まれたような田舎育ちでもない、
地方都市の県庁省在地に住んでいた私は
畑も農作物もどのようにできるのか知らなかった。
土に肥料を撒き、種を植えて水を撒いて世話をすれば植物は育つのかと思っていた。

だいたいは多分そうなのだろうが、
と言ったら農家さんにお叱りを受けてしまうが、
その農作物を育てる際にどれほどの水と肥料と土地が必要なのか知らなかったのだ。

例えばトマトひとつ育てるだけでも50Lもの水分を必要とするらしい。
(ナショナルジオグラフィック2014年10月号より)

そう、これがきっかけなのである。
また別分野には感心があったのだけれど、農作物を栽培する際の水資源の使用量なんて考えるたことがなかったのだ。
だって水なんて循環するから、一定量は確保されているのかとずっと思っていた。無知だったのだ。

ちなみに50Lとは『人間らしいくらしをするために1日に最低限必要な水の量』らしい。

(世界保健機関(WHO)が定めた「一日に最低限必要な水の量」より)

なんだ私もトマトも同じような体のつくりなのかしらなんて関心してしまったけれど、
そういうことではない。

はい続く。

しかしトマト1株で実がひとつしか実らないだなんてそんなバカな話にはならないので、
仮にトマトのサイズをよく食べるであろう中玉とすると、


『1本仕立てで育てた場合、だいたい6段目まで花房をつけることができます。
 
1段の花房につく花の数は、10個~20個です。
すべての花が着果するわけではありませんし、摘果をすることがあるため、
1段につける実はだいたい8個~12個くらいが多くなるかと思います。
 
これを6段目まできちんとつけることができれば、
48個~72個の実を収穫できる計算になります。』

(2021 トマトの育て方.comより)

つまり上記平均の1株60個とすると、1株あたり必要な水は3000L=3m3となります。

しかも農作物を育てる際は家庭菜園とは違い同種を一気に何株も育てるのでこれの何倍か。

ちなみに日本のトマトトップ生産地である熊本県の2018年の収穫量は

『部会の平均10アール当たり収量11.4トン(個人最高は同19.9トン)、出荷数量4111トン』

『トマト農家96戸が38ヘクタールで生産している。』

(JAグループ熊本 【トマト】10アール11.4トン取り 出荷量も高水準/JAかみましき より)

中玉トマトひとつは約155g(可食部含む)なので、この村の収穫量4111tだけでも、
トマトは26522580個!

つまり水は1326129000m3!!!

トマト1個=人間1日分の水使用量なので
26522580人分/日であり、
72664年分/人である。

ちなみに、
『ストレスの程度(水需給が逼迫している状態の程度)を表す指標として、「人口一人当たりの最大利用可能水資源量」がよく用いられます。この指標では、生活、農業、工業、エネルギー及び環境に要する水資源量は年間一人当たり1,700 m3 が最低基準とされており、これを下回る場合は「水ストレス下にある」状態、1,000 m3 を下回る場合は「水不足」の状態、500 m3 を下回る場合は「絶対的な水不足」の状態を表すとされています。』


(国土交通省 水資源問題の原因より)

ともあり先述の50Lの365倍の単純計算とは数字が変わってしまいますが、引用する文献によって数字が変化するのはよくあることで、どれを引用するかとかはまた話が違ってしまうし、話が複雑になってしまうので、この話はスルーし、50Lを押し通します。

『経済協力開発機構(OECD)の「OECD Environmental Outlook to 2050(2012)」によると、2000年時点の世界の水需要は約3,600km3であり、』
(国土交通省 水資源問題の原因より)

ですが、日本の一部農家の一部作物だけでも1.3k m3なのだから、
これが日本全国、はたまた世界各地で農作物を育て、水を使うようであれば、それは膨大な量になるだろう。 

ひとまずこの数字を追うのは疲れてしまったので、少し休ませていただきたい。  
私は論文を書くつもりはないので、おおよそで失礼させていただきたい。


トマトは野菜の中でも水分量が多いから、相対的に他の野菜よりも必要な水が多いことは考えてみれば当たり前のことなのだが。


こうして水資源の視点からみていくと、トマトを無駄にすることが環境に悪いことなのか少しでも分かっていただけるかもしれない。
それで食物を無駄にすることがどれほど環境に負担をかけているのかも分かっていただけると嬉しい。

そこからまた私がまた知ったのは、
担当者が誇らしげにTVで教えてくれたことなのだが、
あるメーカーの化粧品に使われているのは、
その日の朝に取れたばかりのピチピチの新鮮な食用のアボカドなのである。

なんと森のバターとも呼ばれるほど栄養価の高く、
せっかく丹精込めて資源を大量に消費して育てたにもかかわらず、
なんと新鮮で美味しいアボカドは食べられることなく、 
しかもたった数分だけ顔に塗られただけで洗い流されてしまうのである。
なんということだろう!!!
しかも顔の表面から吸収される栄養なんてたかが知られているというのに。
あぁ、森のバターが下水に流れていく…。

アボガドは『結実年数は接木苗で3~4年、実生で4~6年で』と栽培期間が長く、トマトと比較にならないほど水資源を使うと言うのに、
たった数分顔に塗られてわずかな栄養を取るためだけにこんなにも長い年月に労力と手間暇を資源をかけて育てられるのさ!
全くなんということだろう!!!


(アボガドの育て方 トロピカルフルーツネット より)

これではアボカドを廃棄しているのもほぼ同然ではないのだろうか?

美容雑誌でさえ、肌表面から栄養を取るには限りがあるから栄養は口から摂取もするべきだと公言してしまっているのに!!!

そりゃあ下水にネズミだって出るよね。
きっとアボカドジュースにでもなっても栄養価はそのままじゃない?  

ネズミも今日は美味しい蜜を吸っている。


こう言ってしまえば、きっと批判されるが、でも言う。
言論の自由がある限り、私は発言する権利があるのである。


美容は社会生活を営む上では身だしなみを整える上では必要だが、
それ以上の美容は贅沢で、
一個人の趣味娯楽の範囲を越えるものではないと思うし、
個人の自己肯定感を高める以外には全く必要のないものではないかと思う。
だからなぜ単なる個人の自己満足のためだけにこれほどの犠牲と無駄を支払わねばならず、
なぜそのツケを無関係な私も負わなければならないのか。全く不愉快。

しかもそういう方のブログをたまたま拝見したことがあり、 
こういった話は自分のテンションが下がるから情報を入れないように意識して避けているのだそう。

そう?

なんということでしょう!
資本主義の申し子がここに!!!

余剰作物なら海外に輸出するなり、寄付するなりすれば良いのに、
(また世間知らずの私に語弊があるのかもしれないが)
それをしないのは廃棄するコストの方が、
輸出したり寄付するためのコストより安いということなのだろうか。
さすが利潤重視の資本主義!合理的!!!

一時期植物原料を配合した化粧品の商品開発ブームがあり、CMでも雑誌でも、テレビでも広告でも、店頭でもよく見かけた。

それは植物由来成分が肌に優しいとか、
循環に関して植物由来成分の方が環境負担が少ないからとか、
そういった親切な話ではなくて、
化粧品の新たな市場拡大のためのブームだったのではないかと思えてしまう。

その証拠に、主原料は変わらず、化粧品の原材料の最後に少し名前が入っている程度だったからである。

ちなみに化粧品も食料品も、原材料名は含有量が多いものから併記される。

しかも植物由来成分=肌に優しいとは限らない。

日本では以前茶葉を含有した石けんの集団アレルギー事件が起きたことで、ある特定物を皮膚からでも一定量以上摂取するとアレルギー反応を引き起こすことが判明した。

そう、だから単なる化粧品の市場拡大なのではないかと。

さらに言えば、以前シャンプーで〇〇産の植物オイルを使用したと謳い文句のある商品の広告を見たが、
本来自生している植物以外を栽培することになれば、農地を開拓しなければならず、
環境破壊を進めることに繋がる。

農業は生活のために必要不可欠な手段ではある。しかしその方法はいつまで続くのだろうか?

たとえば保湿力が高いがモロッコにしか自生しないため高価であるアルガンオイルには、
不純物が含有する粗悪品がある。
粗悪品は保湿力は劣るだけではなく、肌にも悪いのである。
でもそこにも多少は希少な純正のアルガンオイルは配合されている訳なのだから、その不純物のアルガンオイルがゴミになったとしても、
私たちはアルガンオイルを無駄にしたことになるのである。
このような製品は無駄なだけでなんの役にも立たないどころか、ただお金を出させるためだけに、経済を回すためだけに作られたものなのである。

アルガンオイルの粗悪品が増えたのは、
需要が増加したためであるから、
この無駄を産んだのは私たち自身、
いや個人の自己肯定感のためだけなのである。

ここまでしてまで美容に執着するのは?


最近ようやくSDGsと言って地球環境がなんて話をしているが、
そんなことちょっと考えてみればわかりきった話してではないか?何を今さら?
しかも私が雑誌をよく読むせいか
あ、矛盾が。
こぞってSDGsを意識することはオシャレなことであるとのイメージ戦略をとっているあたりが気に食わない。
だってそう言う人たちのために犠牲にしてきたところでしょう?
なのになぜ反省もせずに、しれっと流行に乗るかのごとく流行らせて偽善者ぶっているのか全く理解しかねる。



『水需要は2000年から2050年の間に、主に製造業の工業用水(+400%)、発電(140%)、生活用水(+30%)の増加により、全体で55%の増加が見込まれています。 2050年には、深刻な水不足に見舞われる河川流域の人口は、39 億人(世界人口の40%以上)る可能性もあると予想されています。』

(国土交通省 水資源問題の原因 より)

オシャレでなければ、流行にしなければ、私たちは関心を持てないのか。
だからこそ、流行にしたことを讃えるべきなのだろうか。
でもなぜ現実を直視できないのだろうか?
その現実を直視できない原因は何なのだろうか?

また端々に疑問と疑念と私の無知さがまた露わに。

もっと簡単にまとまると思っていたけれど、やはりそう一筋縄にはいかないね。

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