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週末の小咄、はじめます。『シャツとコーヒーとクライアント』。

こんにちは、カタカナです。

金曜日はカレーの日、は海洋自衛隊と、私の友人の家のお決まりのメニューです。その時にならないと食べられないスペシャルメニューです。
そんな話を聞いて、私も週末を何かちょっと珍しい日にしたいと思い、気紛れに週末に更新するnoteはエッセイでもコラムでもない【小咄】を、つらつらと綴る日にしてみたいと思います。短い小説です。ご興味ある方はぜひ。


週末の小咄
『シャツとコーヒーとクライアント』


俺はとある客先で、打ち合わせの時に出されるコーヒーが苦手だ。

俺はそもそもブラックコーヒーが飲めない。だから喫茶店で頼むのはもっぱらミルクティーとかそのあたりのものに決めている。

しかし、俺のクライアントであるその企業は、来客者には必ずブラックコーヒーをお出しすることが決まりになっているらしい。そして来客対応をする愛想の少ない秘書さんは、何故かミルクも砂糖もつけてくれない。
俺にとっては、黒い泥にしか思えない。とは言え、一口も飲まないのは失礼だろうと、俺は毎度、口を付けては真剣な顔をするふりをして、その苦味に耐えながら商談をする。この苦みに耐える時間、無駄だな、と思いながら。

そんなクライアントから、クレームが入ったのは本日金曜日の午前中のことだった。
いつもToで俺に来るメールの宛先が上司となり、CCで俺のアドレスが入っているメール。タイトルからして嫌な予感がするメールには、要するにこんなことが綴られていた。

『前の担当者に変えて欲しい。今の営業担当さんは頼りなさすぎる』

上司がすぐにクライアントに電話をして、クライアントの言い分を聞いてくれた。頼りないとはどういうことか。どういうことを要望しているのか。

「お前の人柄や仕事ぶりというよりは、もうちょっと提案がほしい、と。貴社へ発注をしているのだから、もっと自社を知ったうえで斬新なプランを出してほしいそうだ」

おおっぴらに話すことでもないので、小さい会議室を予約した上司は唸るように俺にクライアントのクレームを伝えてくれた。多分もっと棘のある言い方をされたんだろうが、気を使って柔らかい言葉に変えているのが丸わかりの、上司にしては歯切れの悪そうな物言いだった。

「要は俺はクライアントにとって、自社の理解がない、提案がない、発注をしている意味を感じられない営業担当だ、ってことですよね」

俺は戒めを込めて自分の傷口に塩を塗り込むよう、わざと言葉をきつくして上司に問うた。上司は、眉を顰め「いや、そこまで言ってない。お前は十分頑張ってるよ」と、またもフォローをしてくれた。
いっそお前のせいだ、くらい言ってくれよ。上司に多少いらつきながら、俺はすみません、と頭を下げた。

電話口で上司が相手をなだめてくれたおかげで、大事にはならなかったようだったが、とりあえず月曜日にヒアリングに行くことになった。
見るからに生気のない顔をしていたのだろう、同僚がちょっと飲もうぜとわざわざ声をかけてくれたので、その優しさに甘えることにし、俺たちは二人で会社近くの焼き鳥屋に入った。

「真面目すぎるんだよ、お前は」

頼んだ焼き鳥をほおばり、少し酒の入った同僚はプチ説教モードに入った。コーヒーに加えて、アルコールも苦手な俺は、ウーロン茶を飲みながらと続きを促す。

「真面目すぎるって、具体的にどこが?」
「四角四面っつーか、お前の企画ってさ、他のクライアントにも話せる内容が多いっつーか。打席に立っても、思いっきり振らないと言うか。わかる?」
「安全策ばかり取るスタンスを改善すべきだ、って?」
「うん、近い近い」

要はさ、と座った目で同僚は俺の胸元を指さした。

「その真面目さが売りです、みたいな白シャツがそもそもイケてねぇんだよ。新人じゃあるまいし」

確かにその同僚は、薄いピンクのシャツにえび茶色のネクタイを合わせた洒落た格好をしていた。上司も、ストライプシャツによく合う艶のあるネクタイをしていた。
一方俺は、入社して数年感、白か水色の無地のシャツと無難な紺かボルドーのネクタイを合わせている。さすがにスーツの皺や肩幅や袖の長さなんかは気にしているが、服装にこだわりがあるかと問われたら、まったくない。相手を不快にさせなければいい、くらいの無思考だ。
予想を外した盲点を突かれて俺は笑った。

「そんなもんで顧客受けが変わるのかね」

半ば疑問に思いながら、俺は同僚と別れたその足で、閉店間近の百貨店に足を運んだ。焼き鳥屋臭くて申し訳ないと思いながら、紳士服売り場に向かった。そこには、これまでの自分なら絶対に手にすることのなかったであろう、様々な色や柄のシャツがずらりと並んでいた。
半信半疑ながらもこうやって相手の言うことをいったん実行してみる、という意味では真面目なのかもしれないなぁ、と新しく買ったシャツとネクタイを入れた袋をぶら下げて、俺は帰路についた。


「あら、珍しいですね」

翌週の月曜日、月初の経費を申請するために事務のデスクに向かうと、事務員の彼女は少し大げさに目を丸くして、俺の姿をじっと見た。彼女が何を珍しいと思っているのか、よく理解している俺は、恥ずかしさをごまかしつつ、自分を見下ろすことで彼女の視線を避けた。

「先週、呑んだ勢いで買いまして」
「似合ってますよ、濃い色ってあまり着られない印象でしたから、新鮮ですけど」
「自分でも見慣れないんで、落ち着かないです」
「すぐ慣れますよー、素敵ですよ」

彼女のリップサービスか無責任なお愛想か、どちらも同じようなものだけれど、とりあえずそれをありがとうございますと受け取って、俺は代わりに頭を下げて領収書と経費申請書を手渡した。

どうやら自分はよっぽど「薄い色のシャツを着ている人」というイメージが強かったらしく、社内で複数人に珍しい服を着ていると声をかけられた。企業の事業内容的にも、金融やコンサルティングとは違い、多少自由な服装が許される中、自分は何も考えずにグレーだの紺だののスーツに無難なシャツを合わせていたが、思ったより周囲は見た目というものを重視しているようだった。同時に、俺は、自分がどれだけ他人に興味を持っていないかを痛感した。他の人間が何を着ていようが、どうでもいいと思っていた。

「じゃあ、行くか」
「はい、よろしくお願いします」

件のクレームが入った企業への訪問時間が近づき、俺はジャケットを羽織ってカバンを手にとる。週末にもう一度、その企業の情報を集めて目を通していたので、それらを念の為入れているが、重いだけだったかもなと若干後悔しながらエレベーターに乗ると、見慣れない印象の自分が鏡に映った。
普段と同じスーツのはずが、多少濃いめのグレーのシャツに柄の入ったネクタイを合わせただけで、まるで別人のように感じて少し居心地が悪い。多分、似合ってはいるんだろう。けれど自分らしいとは思わない。

「今更なんですけれど、この格好、大丈夫ですかね」

クレームを受けた後に色気づいた服装で訪問をするのはいかがなものか、と急に不安になり、俺は上司にこっそり伺う。上司はきざっぽく笑い、

「大丈夫、大丈夫。これぐらい洒落た服装のほうが、先方も、もしかしたら砕けて話してくれるかもしれないしな」

暗に、普段は洒落ていないと指摘された。


どうぞ、と相変わらず愛想のない秘書さんにいつもの会議室に通され、上司と俺はいつも通りの席順で座る。そして失礼します、と秘書さんはいつも通り、ブラックコーヒーを人数分、机に置いて去って行った。

しばらくすると、クライアントが入室してきた。クライアントは恐らく上司と同じような年ごろの、40代半ば頃の男性。あまり表情は変えないが、じっとこちらを見定める視線が何となく苦手だったが、ふと今日は彼の服装に目が行った。恐らく自分が服装を変えて意識していたからだろうけれど、クライアントは洒落たストライプのシャツを着こなしていた。スーツの襟にまっすぐにつけられた社章を、俺はかっこいいと思った。
上司と俺は席を立ち挨拶をし、勧められて着席。いつも通りご自由にどうぞ、とブラックコーヒーを手で案内され、俺は覚悟を決めてカップを手元に移動させた。

「先日はご連絡を頂きありがとうございました。どうも、うちのはまだまだ未熟な部分はありますが、今後ともどうぞよろしくお願いします」

上司がフランクな口調でいい、俺に目線だけよこした。俺は意図を察して、準備していた台詞を言う。

「この度はご不安な想いをさせてしまい大変失礼いたしました。御社のためによりよいプランをご提案できるよう、精進いたします」

言い終わって俺は頭を下げた。先ほど出されたブラックコーヒーと目があった。そういえば、と俺はふと思った。

クライアントは、毎度コーヒーを勧めてはくれたが、飲んでいる姿を見たことはあっただろうか。クライアントがその日どんな服装をし、どんな様子で会議に臨んでいるか、考えたことはあっただろうか。そもそも俺は、目の前のクライアントである「彼」を、知ろうとしたことは、あっただろうか。

俺は今、らしくない服装をして、会議に臨んでいる。似合わない背伸びしている。だから逆に、いつもなら言えないようなカッコ悪い俺をさらけ出してもいいんじゃないかと、あの、と俺はとっさに顔を上げた。

「今日お召しになっているそのシャツ、実は俺も同じものを、先日購入したばかりなんです」

先週金曜日、閉店間近の百貨店で買った数着のシャツの中に、まったく同じものがあった。着る勇気が湧かなくて、クローゼットの中に眠っている。
突然、話し出した俺に上司は面食らった顔をしていたが、クライアントはほんの少し瞳を揺らして、薄く微笑んだ。

「そうですか。実は私も本日いらっしゃった時から、同じブランドのものを着てらっしゃると思っていました。若い方があまり着ないブランドだと思っていたので、すぐにわかりましたよ」
「やはりそうでしたか。私のような若造には不相応なくらいの上等なものを買ってしまったと思っていたのですが…」
「よくお似合いですよ」

クライアントはさらりと褒めてコーヒーカップを手元に寄せた。しかし、口を付けることはない。上司が資料を出して本日の議題を話そうとしている様子を察しながらも、俺はあの、とさらに身を実り出して、ずっと伝えるべきだったことを、口にした。

「大変申し訳ないのですが、私、ブラックコーヒーが、飲めないのです」

またもクライアントは瞳を揺らした。今度はシャツの話をした時以上に。

「そうでしたか。では、コーヒーフレッシュと砂糖をお願いしましょう」

上司が止める間もなく、クライアントはすっと席を立ってドアをあけ、待機していた秘書さんにそれらを頼んだ。
どういうつもりだ、と上司が俺を肘で突いたが、俺はあえて無視し、その間に週末に読み込んだ会社案内や決算資料、WEBサイトの印刷、街中に配られてるチラシまで、すべてを机の上に広げた。そして、手書きで恰好が悪い、一枚の提案書もともに。

クライアントは、コーヒーフレッシュと砂糖を手に戻り、俺にそれぞれ手渡した。上司は私は結構です、と丁寧に断り、クライアントの手には二つずつ、コーヒーフレッシュと砂糖が残された。
そして彼は、ためらわずにそれらをすべて封を開け、自身のコーヒーに入れた。あえて表現するなら、どばどばと入れた。それから、目を丸くする俺と上司に向けて、これまで見たことのないような、少しバツが悪そうな、笑顔を見せた。

「実は私も、ブラックコーヒーは飲めないんですが、皆様飲まれるのでね。彼女も用意をしてくれませんので、中々お願いできなかったのですよ」

大の大人がカッコ悪くて、と顎を掻くクライアントは、こちらを観察するような冷たい目をした「クライアント」ではなく、身なりに気を使って、コーヒーが苦手な、それを背伸びして隠してしまうような、ちゃんとした人間だった。

それから俺は、週末にかけて読んだ顧客の資料の内容をもとに、とても穴だらけで的を得ないプランを、手書きの見づらい一枚の紙だけを手に話した。上司は、恐らく用意してくださっていた上等なプランをファイルから出すことなく、黙って見守ってくれていた。クライアントは俺の言葉にゆっくりと頷き、一言。

「正直、現実的なプランだとは申し上げることはできません。今後の情勢を考えると予算がかかりすぎます。スパンも、ここまでの長さのものを、経営計画に入れ込むことは難しいでしょう」

でも、とクライアントは続けた。

「これをベースに、営業担当のあなたと相談をさせてください」

俺は企業のことを知ることはこれまでもやってきた。真面目に真剣に。その企業にとって必要なものを提案してきたつもりだった。
けれど、それを形作る人間に、興味を持ってはいなかったのだろう。だから、俺の提案するものはすべて、四角四面でつまらない。俺は知ろうとしなかったからだ。それを担う人たちはどんな人なのか。

ありがとうございます、と俺は頭を下げた。

「今後は御社のことも、この企画に関わる皆様のことも、より深く理解できるよう、ご教示願います」

「べき」を掲げて苦手なブラックコーヒーを無理して飲む方がよっぽど楽だった。シャツとネクタイには正直数十万飛ばした。上司に任せて整ったプランを提案することだってできた。

けれど、俺はクライアントに御社のことを、皆さんのことを教えて欲しいと、言えてよかったと思った。おかげさまで俺はこれからはコーヒーフレッシュと砂糖が入ったコーヒーが飲めるし、何かあった時に、お前のせいじゃないと、宥めるようにプライドをへし折られるのはもう我慢ならない。

結論、らしくない服も仕事の仕方も、たまには面白いものだ。

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