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至極の土曜日

ガンガンと何かを叩く音で目が覚めた。7歳息子が惰性で見ているテレビのなかで、誰かが鉄を叩いて何かをつくっている。昨夜に彼が見ていたのは原始的な方法で屋外に家をつくる男性二人の動画だった。そのあと息子はここを漂流し、今朝になってこの動画に行き着いたらしい。

目覚まし時計をかけずに寝たのは、いつぶりだろう。4歳娘はどこにいるのかと定位置に手を伸ばすと、彼女の柔らかいあたたかい手に触れた。まどろみながら猫のように私の胸元に転がり込んでくる。彼女のサラサラの髪の毛とモチモチの太ももを撫でながら、今日は何をしようかなと考える。

「11時に子どもを迎えに行く」と元夫から連絡がきた。私は子どもたちをチャイ屋さんに連れて行きたかったので、一緒に行こうよと言ったら「OK」と返事が来た。雨なので車を出してくれるらしい。「キレイな格好をさせてほしい」と言われたので、新品のカーキ色ロンパースを引っ張り出し娘に着せる。息子にはキレイなTシャツを着せたが、洗い上がりのズボンがなくて昨日と同じのを履いてもらった。洗濯物のサイクルがうまくいっていない。

チャイ屋さんは半年前まで我が家の裏の通りにあった。徒歩10秒は言い過ぎだが徒歩3分はかからない、そんな距離のところにあったオーラ漂う場所だった。彼らは先月にひっそりと、場所を移して新たなスタートを切っていた。子ども達に「なくなった店が別の場所に移動した」のを見せたかったし、何よりここのチャイを二人に飲ませたかった。ちなみに私はフライングして、先週に友人と訪問済である。

新しいチャイ屋さんの場所は元夫と私が結婚前に住んでいたエリアだったので、交差点の名前を言っただけで場所は伝わった。道中で「パパ、テロリストってなに?」とずっと7歳息子が話している。担任の先生がテロリストについて話したらしい。私は私で元夫と仕事の話をしたかった。元夫は運転しながら、7歳息子と私の話を交互に聞いた。

チャイ屋さんの待ち時間で暇を持て余した子ども達は、私のバッグからスラムダンクを取り出し読みはじめた。7歳息子はすぐに飽きた様子で私の膝に乗ってきたが、4歳娘は1ページずつ丁寧に読んでいる。「これはだれ?」「小暮くん」「これは?」「桜木花道」「これは?」「流川」「これは?」「赤木」「これは?」「三井」「これは」「海南大付属戦で敵方の4番...」「牧ですね」。チャイ屋さんは私よりスラムダンクに詳しかった。

チャイとクッキーではお腹がいっぱいにならなかったので、4人でランチを食べに行く流れになった。店では元夫と私で、7歳息子と4歳娘の教育環境について話し合う。課題に感じている部分はほぼ同じ。向こうのほうが私よりもさらに同調圧力や社会への嫌悪感が強く、パンクぶる私よりもよっぽどパンクだ。

今は写真家・ビデオグラファーとして洒落た生活をしている元夫を見ながら、彼がここまでくる道のりは大変だったんだろうなと想いを馳せる。ご縁がなくて夫婦としては成立しなかったが、私は元夫を尊敬し信用している。こんなに信用できる人は他にいない。厳格に時間を守る、部屋が病的にキレイ、有言実行、人に迷惑をかけない、ウソをつかない、意思決定が一貫している。

4歳娘が小学校に入るタイミングが何の判断のポイントになると結論が出た。息子と娘の教育環境を整えたい。私は3年ぶりにまともな意思決定ができる経済状態になった。子どもにはできる限りのことをしたい。東京以外でまたふたつの家を借りるのか、はたまた一緒に住むのもあり得るのか。方法は不明だが方針は決まった。形式など、何でもどうでも良い。

「離婚している」「普通に仲が良い」と二つの情報を伝えると「何で離婚したのか分からない」「いいんじゃないかな」と自分の意見を言ってくる人が5人に1人くらいいる。はっきり言うと、ちゃんちゃらおかしい。あなたが理解するかどうか、どう思うか関係なく、我らが離婚しているのは事実だ。あなたの理解や共感は、当時も今もこれからも求めていない。実の親にも離婚後に離婚報告を伝えて驚愕されたくらい、我らは個人主義なのだ。

「子どもが幸せならいいんじゃない」とおせっかいな心配をする人もいる。そんなことは初対面のあなたには分からないはず、というか元夫にも私にも分からない。子どもが自分で幸せを感じられるような子に育つよう、最大限の努力をしている。発言主は大概おじさまなので「あなたの奥さんは幸せですか?」と聞き返しても良いかもしれないが、その答えは定年退職後に本人が奥さんからもらうはずだから私は黙っておく。

完全な子育てシフトスケジュールを搭載した「珠玉の離婚」だ。毎日連絡を取り合う。会いたいといえばもう一方の親にいつでも会える。正月は集まるし互いの親戚の集まりは離婚後も継続している。節目は全員でお祝いする。各々プライドが高くパワフルなので、活動力と経済力と生活の質に不足はないし今後も心配ないであろう。4年前の11月22日、つまりその日の役所に来るカップルの99.999%が結婚届を出す日に、元夫と私は離婚届を出した。そっちの窓口はガラ空きだった。

ランチを食べたお店で腕相撲を始めた息子と娘。いつもケンカしているのに二人で笑いあってる。この状況は奇跡だと感じた。子どもが可愛いと感じられる精神と肉体、経済状況ががそろって初めて、子どもを可愛いと思える。当たり前は当たり前ではなくて、この全ての条件を揃えた人のみに許される極上のご褒美だ。

赤ちゃんはもちろん可愛いが、4歳だって7歳だって反則級に可愛い。元夫が7歳息子と手を繋いで歩きだしたら、4歳娘はいじけて黒目がちな目で二人の様子をジッと見つめながら口を目一杯とがらせていた。モチモチでサラサラのとろけるようなほっぺに涙の粒が乗っかっていた様子は、見とれるほど美しい。7歳息子はコロコロコミックの懸賞応募が「9/14消印有効」だったので真剣に焦っていた。お出かけにコロコロコミックを持参し、懸賞応募のための銀剥がしを実行するタイミングを常に伺っている。そのまっすぐな気持ちが冗談みたいに可愛くて愛らしくて、思わず抱きしめてしまう。

子どもから出ているオーラは、静謐で汚れがない。思惑渦巻くこの世の中の中で、子どもは圧倒的に絶対的に美しい。彼らの存在自体が妊娠・出産を乗り越えた賜物だと思うと、達成感で卒倒しそうになる。「子どもたちが日に日に可愛くなっていて泣ける」と言ったら「産んでくれた優ちゃんには一生感謝ですよ」と返された。子どもを愛しいと思う感覚を 、誰かと共有できるのは幸せだなと思う。

こんな風に、休日に小ぎれいな格好をして子どもに新しい服を着せ、余裕のある時間の過ごし方をしたのは久しぶりだった。何と贅沢で幸せな時間。同じような時間の過ごし方をしても、結婚時代はこんなことは当たり前だと味気なく感じていたし、仕事イマイチ時代はソワソワしてどこか楽しめなかった。そして今。落差が幸せの感度を上げると実感する。こんな何気ない時間が、貴重で愛おしい。

3人を見送ったあとに一人でイヤホンでBen Foldsを聞いていたら、"The Luckiest"の歌詞が今日の自分に重なってさらに泣けた。美しい曲。


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