「木」のこと。
木が三つある漢字は「森」。
私の父方の苗字である。
母方の苗字は「柘植」。
二つの文字が木偏である。
柘植の木が近くに生えていたのだろうか。
「木」の文字を含む苗字が幾つあるのか調べてみたら、なんと750種類以上。
ついでに「森」の文字を含む苗字は380種類以上。「林」は200種類以上。
ついでに(ついでというのもなんですが)「竹」を含む苗字は250種類以上。
竹内史光師の「竹内」はダントツ一位だそうな。
さらに、木偏である「木」の部首の漢字は、436個ある😱(これは私がざっと足した数で、漢字文化資料館のサイトによると1617個あるとのこと。)
いったい私は幾つ書けるだろう汗
一番画数の多いのが29画の「鬱」。
この字、草木がこんもり茂るさま、という意味もある。
鬱症状の時も、頭の中が草木がこんもり茂っているとでも思えば、悪い木(気)もしない。
私にとって「木」とはとても身近で有り難く大好きな存在だ。(誰にとってでもあるだろうけど)
数年前に、樹木環境ネットワークの試験を受け、その活動に参加したいと思っていて、一年間試験を受けるために自主勉強までしたが、ちょうど虚無僧にもなろうと思っていた時期と重なり、こちらを断念した。
植物は知れば知るほど面白い。
何も知らなかった自分に驚いたくらいだった。
とにかく、新しい単語がじゃんじゃん登場するのだ。
その時書いた詩。
<よみ>
木々の役割と他の生き物とは密接で、我々人間も、虫や動物も、草木が無ければ生きて行けない。
そんなことは、普通の大人は全員周知のはずだ。
「豊かになる」に反比例して「自然」がどんどん破壊されている実情に、ただ心を痛めることしかできない自分に残念に思う。
その「豊かさ」というのは明らかに「成果」であり、どこかの誰かが金銭的に「豊か」になっているだけのことなのだ。
そんなわけで、何もできない私は、死刑宣告を受けた神宮外苑の木々にただ会いに行ってきた。
その問題提起をしてくれたのが、学者の石井幹子さん。
なんと彼女のお名前にもまた運命を感じる。
死刑宣告とは大袈裟な表現かも知れないが、なぜ、木にも人権のような、生きる権利が与えられないのだろうとよく思う。
これらの木々は、若いのも年老いたのも含め、虫や動物に住む場所や食べ物を与え続け、酸素を必要としている動物に惜しみなく酸素を排出し、暑い夏には日影をつくり、冬には葉を落とし土壌を豊かにして、それに加えて視覚的にも我々人間を慰めてくれている。
それが1000本も伐られるのだ。
伐るのは全部じゃない、と言われるかもしれないが、では一本ならいいのか?
人間も大勢いるから一人くらい殺しても良いとはならない。
また植えれば良い、と言われるかも知れないが、木も他の生き物と同じく、唯一無二のもの。
執拗な植物愛のある変質者かと思われるかもしれないが、不必要な建造物のために、なぜ命が奪われなければいけないのか。
木々が最小限に伐られずに済む案(日本イコモス案)もあり、なぜこれでいけないのかと思う。
↓こちらが分かりやすい。
石井幹子さんの話はとても分かりやすい。
↑1945~50年ごろ撮影の写真と、現在の神宮外苑の写真がこちらのサイトにある。
新しくできた国立競技場の周りには木々がほぼ無いに等しく、真夏には絶対行きたくない場所。
反対派の意見をことごとく論破している「明治神宮外苑再開発に賛成する」という立場の経営コンサルトの方のnoteを読んで見ると、〈外苑の方の樹木は言ってみれば「豪華な街路樹」程度の存在に個人的には思える〉とのこと。
その樹木全てを伐ることに反対しているというのに。
東京都職員や三井不動産関係の人々も、同じ考えなのだろうか。内部で反対とかにはならないのだろうか…。石井氏がラジオで話していたが、都の職員でも理解を示してくれる人はいるという。
話は変わり、近所の話。
うちのアパートのすぐ近くには神社があり、春には鶯の声が聞こえたものだったが、二、三年前に木を何本か伐ってしまったら鶯がとんと来なくなってしまった。
伐られている途中で見に行ったら、枝をはらわれ裸になった幹に、一匹の鳥がずっと離れずにいた。
巣があったのだろうか。
お陰で、木々で見えなかったはずの向こうのマンションの階段のLEDの電気がやたらと明るく目に入ることになり、夕闇の月や星が霞んでしまった。
さらに話は岐阜県の高山にとぶが、
高山の地方新聞に、「城山という市街にある小さな山から北アルプスが見えるのだが、木々が邪魔で全景が見えない。北アルプスが見えない事はストレスであり、観光客の為にも木を伐採したいと署名を集める事にした。」という記事が載ったそうだ。
私の友人が、それに反対意見を投稿した。
と、そんな話を少し前にその友人から聞いた。
最近高山に遊びに行ったら、友人曰く、署名が400人分集ったので、木を伐採する事にしたとの事。
業者が全部伐採するのを拒否したため、上の方だけ伐る事にしたそうだ。
散歩ついでに見に行ってきた。
木の上の方の伐採なら問題ないと判断したそうだが、ムササビの巣があったそうだ。
さらに問題は、ここから木を切ってまで北アルプスを見なければいけないのか、ということ。
高山市内から、北アルプスが見られる場所はいくらでもある。
別の所に行って、スカッと見たらいい。
だったら、バスで高山に着いたとき、高山市役所が邪魔で山が見られないから、上半分切ってくれ、という話だ。
そんなことを教えてくれた友人、高山の絵本屋ピースランド店主、中神隆夫氏は、高山で創刊発行されている雑誌『かすみ文庫』に連載をしている。
最近発行された『かすみ文庫』vol.6の「脱酸素社会は本当に持続可能なのか」は、原発のこと、再エネのこと、温暖化の事などが、たった2ページに本5冊分くらいの事がぎゅっと分かりやすく説明されている。
是非多くの人に読んでほしいと思うのでした。
発行元はこちら
こどもの本屋、ピースランドにも置いてあります。
あれこれ書きましたが、
もうこれ以上、無駄に木々が伐られることが無い事を祈るばかり🙏
古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇