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暮露ってだれ?『七十一番職人歌合』を読み解く!

暮露と文学 其の一!



中世の頃、虚無僧の前身といわれる「ぼろぼろ」「暮露々々」「暮露」という人々が存在しました。

彼らは一体どのような人々であったのか⁉️


『暮露』の名称は以下に記録があります。

 

十四世紀初め『徒然草』では「ぼろぼろ」「ぼろ」(始原として「ぼろんじ・梵字・漢字」)

十四世紀頃の『暮露々々のさうし』では「暮露々々」「暮露」

十六世紀初めの『七十一番職人歌合』では「暮露」

 

 
ここで簡単に…、

「暮露」の特質

★形姿は小刀所持、高下駄履き、白衣と黒袴着用。その様態は、集団をなし、あるいは単独で、河原、野など寺社の外で仏教修行するものであった。

★社会的地位は、一般に恐れられ厭われる存在であった。既成教団との直接的関係は見いだせない。存在形態や殺生行為から中世非人と見る事が可能。

★仏教史上の本質的性格は当時の既成教団を離れた古代仏教系の”行”的僧侶であるとしたい。



ようは、仏教の修行者である。



では、1500年頃成立された「七十一番職人歌合」に登場する暮露の歌を読み解いていきたい。



 

「七十一番職人歌合」

『職人尽歌合 3巻ー』  東坊城和長 書[他] 1744年 国立国会図書館蔵

 

「七十一番職人歌合」とは、 

71番、142職種の職人姿絵と画中詞 (1)、および詠者 (3) が職人に仮託し月と恋を題材とした左右284首の和歌とその判詞 (4)が収められている。


  1. 【画中詞】絵の中の詞書(2)

  2. 【詞書(ことばがき)】1和歌や俳句の前書きとして、その作品の動機・主題・成立事情などを記したもの。2 絵巻物の絵に添えられた説明文。

  3. 【詠者(よみて・えいしゃ)】歌・詩を作った人。作者。

  4. 【判詞】判者が優劣・可否を判定して述べる言葉


 

職人歌合類は中世前期に製作された『東北院職人歌合』をはじめ『鶴岡放生会歌合』、『三十二番職人歌合』などの存在が知られ、時代を経るごとに登場する職人の数が増加していることから、七十一番職人歌合は中世期の社会的変遷に伴う職人の分化を反映させ、これらの職人歌合類を受け継ぎ発展させたものと考えられている。

世界大百科事典


歌合うたあわせとは、歌人を左右二組にわけ、その詠んだ歌を一番ごとに比べて優劣を争う遊び及び文芸批評の会のこと。

 


右手に暮露が正座しており高下駄と傘が置かれています。白衣は紙衣だったようです。
左手には通事。



通事とは、「通詞」、「通辞」などの字も宛てる。通訳のこと。本職人歌合の月の歌では、中国人という設定。 暮露と通事は、前者が真言を唱えたとすれば、後者も外国語を話す関係でつがわれたか。(参照・注解「七十一番職人歌合」下総俊一)



では、本文。

 

四十六番

法(のり)の月ひろくすましてむさし野に  おきゐる暮露の草の床かな

すみよしのいり江の月やふるさとの 姑燕城外のあきのおも影

 

暮露の心月、いかはかりの法の光をか ひろめ侍べき。信仰もなく覚ゆ。右、住の江の月に対して、名たかき楓橋のわたりをも、わか故郷といひ出たる所、他人のよはさる風躰、彼中麿か三笠の山の月にもすみまさりてこそ侍らめ

 

おとふなよ かよふ こゝろの むまひしり 人のきくへき あのをともなし

から やまと しるへする身のかひそなき おもふ中には ことかよはさて

 

右は、たゝよのつねのことはりきこえたるのみ也。左の馬ひしりは、あのをとせすゆかむ駒もか、といへる万葉の古風もりきたりて、神妙に侍り。尤可為勝。

 

 

解説


以下、下総俊一氏の『注解「七十一番職人歌合」』を参照。

 

法の月ひろくすまして 「法の月」は、煩悩を照らす仏法を、夜を照らす月に例えた言葉。「広く」は、次の「武蔵野」の縁語。 法の月の清らかな光を広く世間に行き渡らせて。

【縁語】(えんご)とは、一首の中に意味上関連する語を連想的に2つ以上用いることで歌に情趣を持たせる、和歌の修辞技法のひとつ。

むさし野におきゐる暮露 「武蔵野」は歌枕であるが、諸国を行脚していたらしい暮露が、京都から遠い武蔵野で野宿することは、ありそうなことと思われたであろう。「起きゐる」は、夜寝ないで起きていること。「暮露」の「露」字から、草葉に置く露を連想し、それと同じく、秋の武蔵野に起きいる暮露、といったのである。

草の床 草を床とする、つまり、野宿することをいうのであろう。

すみよしのいり江 「住吉」は、もと「すみのえ」と称したが、平安初期以降、「すみよし」とも称されるようになった。判詞には「住の江」とある。現大阪市住吉区一帯。古くは、住吉神社のすぐ近くまで海であった。「住吉」は古来の歌枕であるとともに、応仁乱後、遣明船の発着地となっていた堺に近く、通事の歌に詠み込むのにふさわしい地である。

ふるさとの姑燕城外のあきのおも影「姑燕城」は、今の蘇州。春秋時代、呉王夫差の宮殿、姑蘇台(春秋時代の呉王夫差が姑蘇山上に築いた台の名)があった。「故郷」は、生まれ育った地の意に取るのが自然であろう。すなわち、この通事は中国人という設定で、住吉の入江の月が、姑燕城外の秋の風情を思い起こさせる、というのであろう。

暮露の心月、いかはかりの法の光をかひろめ侍へき 「心月」は、仏教語で、月のように澄みきった心。歌に「法の月」と言ったことに対応する。「法の光」は、仏法を光に警え(例え)た言葉。暮露風情の心月など、どれほどの法の 光を広めることができようか、というのである。暮露がまっとうな宗教者と考えられていなかったから、こう言うのであろう。

住の江の月に対して名たかき楓橋のわたりをも、わか故郷といひ出たる所 「対して」は、向かって。「楓橋」は、張継(中国唐の詩人・官僚・政治家)の詩で有名な、蘇州の西のはずれにある橋。

風躰 「ふうてい」または「ふうたい」と読む。

彼中麿か三笠の山の月にもすみまさりてこそ侍らめ 「仲麿か三笠の山の月」は、遣唐使阿倍仲麿が、帰国に際して、「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」という歌を詠んだという故事(古今集、巻九 羇旅歌)による。同様の説話が『今昔物語集』二十四などにも見える。「澄みまさり」は、月が澄み増さることに掛 けて、通事の歌が仲麿の歌より勝っていることをいう。【羇旅歌】(きりょか)旅に関する思いを詠んだ歌

かよふこゝろのむまひしり 「通ふ心」から「心の馬」、「馬聖」と続く。「心の馬」は、仏語「意馬」の訓読。 煩悩欲情の抑えがたいことを、馬が暴れるさまに警え(例え)ていう。「馬聖」は暮露の蔑称か。

人のきくへきあのをともなし「足の音」は足音。馬ならぬ馬聖みずからが、足音をさせずに歩いて通う、というのである。本物の馬ではないのだから、派手な足音のしないのは当然である。(私は馬聖なんて妙な名前で呼ばれているけれど、)人の聞き答めるような派手な音は立てない(から、厭うてくれるな)。

からやまとしるへする身のかひそなき 唐と大和、つまり、中国と日本との手引きをする身でありながら、その甲斐のないことだ、というのである。

おもふ中にはことかよはさて 「言(を)通はす」は、言葉を通わすこと。また、そうすることによって思い通じさせること。ただし「通ふ(自動詞)」は、万葉集に見え、平安朝以降の歌にもまま用いられるのに対して、「言(を)・通はす(他動詞)」は、もっぱら散文でしか用いられない。にもかかわらず、ここで「言通はす」を用いたのは、ひとえに、 通事という職能に強引に言い寄せるためである。(唐大和の間さえ言葉を通じさせる身でありながら)恋人との間は話す機会もない、または、話しても心が通じないで。

たゝよのつねのことはりきこえたるのみ也 「世の常」は、世にありふれた平凡なこと。通り一遍の理屈に合っているだけだ、というのである

万葉の古風 「古風」は、歌論用語で、表現や素材が古風なこと。いい意味で使うことが多い。

神妙に侍り 「神妙」は、「しんべう」または「しんめう」。非常に優れているさまで、歌合判詞にまま用いられる。伝統的な歌合判詞をまねた表現。  

  

  

<暮露ガールの勝手な現代語訳>

のりの月ひろくすましてむさし野に  おきゐる暮露の草の床かな

「煩悩を照らす仏の教えのような月の清らかな光が、武蔵野の地に広く照らされている。暮露の身である私は、遠く京都からこの地にて、その法の月の光に照らされながら冴え渡り、草の露に濡れる秋の武蔵野の草の床にいるのであった。」

 

おとふなよ かよふ こゝろの むまひしり 人のきくへき あのをともなし

 

「世間からは心の落ち着きがない馬聖などと呼ばれているけれど、人にとがめられるほどにうるさく足音をたてずに、あなたのところに通いますよ。そんなに嫌わないでください。」


 

いいですね〜、暮露の歌。

「月」と「恋」を詠んでいるわけですが、この奥深さ。

惚れてしまうではないですか!!!笑


 

 

さて、判定結果ですが、

一つ目の歌は、暮露、負けですね。。。なんてボロ負けみたいになっちゃいましたけど、こちらのボロはぼろぼろの衣服の襤褸。暮露は古代仏教系の”行”的僧侶であり、全く別の意味の名詞だ。判定では信仰も無いなんて言われてしまっている…。

二つ目の歌は、「左の馬ひしりは….神妙に侍り」とあるので、暮露の勝ちなのかなとは思うが、暮露の歌は右側なんだけと、これはどういうことなんだ…。難しい…。



東京国立博物館にカラーの模本があります。

『職人尽歌合(七十一番職人歌合)』(模本)狩野晴川(模)_狩野勝川(模)

こちらも参考にどうぞ↓ 



 

そして、

東京国立博物館蔵の一遍上人絵伝(遊行上人伝絵巻)乙巻に、白衣に黒い傘を持った、まさにこの人『暮露』でしょうといった男性が立ってる。左の方にスクロールして探してみて下さい↓



この謎の存在、暮露にますます想いを募らせつつ、またさらに探究して参りたいと思っています。



参考文献
保坂裕興著「十七世紀における虚無僧の生成」
下総俊一著「注解七十一番職人歌合」

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