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最後に会いたかった人。
数ヶ月前の話。とある駅前で辻立ちをしていたら、高齢のご婦人が近づいて来て話しかけてくださった。
「50年来の友人が今日亡くなって、最後に会えなくてとても悲しい気持ちでいたところ、あなたがそこに立っているのを見つけたの。」
と始まり、彼女はその悲しい気持ちを吐露して立ち去って行った。
宗教というのはいざと言う時に誰かの役に立つんだなと実感した。
と共に、いざ病気になったら神も仏も無い。
その時私は、そうですか...、それは悲しいですね、と答える事しかできなかったが、実は涙をこらえて、ちょっぴりもらい泣きをしていた。
彼女の話を最大級に同情して聞いていた。
ちょうど私も、20年来の友人が末期の癌と分かって入院していたのだ。
あの時もっとああしていれば良かった、こんなことしてあげれば良かった、後悔は次々と沸いて出てくる。
私の友人は、織物作家でもあり先生をしていた。彼女は、銀座のデパートで売ったらすごい値段がつくような手染めで手織りのマフラーを、私には格安で売ってくれた。はじめてそれを見た時、彼女も「これ虚無僧にぴったりじゃない?」と勧めてくれた。
私はそのマフラーのおかげで冬が越せているし、大人としての格もついている。ボロボロの格好でも、マフラーが一つ上等なものだと人間見違えるのだ。
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虚無僧にピッタリ。
そして、もう一つ彼女が特別なのは、私の尺八の音をとても気に入ってくれていたことだ。
彼女の家に行く時は、尺八持って来てね!と必ず頼まれて、彼女の為に一曲二曲吹いたものだった。そんな友人はとても希有である。
虚無僧も全面的に応援してくれて、彼女の家の近くで虚無僧する時は必ず来てくれた。
その上、彼女は9条の会の呼びかけ人でもあり、色んな現実を教えてくれた人でもあった。とにかくパワフルな人だった。
そんな友人のことを想いながら、また別の駅前で虚無僧をしていたら、今度は一人の男性が声をかけてきた。
なんと、その友人との共通の知人であった。しかも尺八つながりの。
彼女が呼んだかのようだった。
その時はまだ彼女と連絡ができて、その事をメールしたら「なによ、彼も虚無僧すれば良かったじゃない!」なんていつもの調子で返事が来たのであった。
そうこうするうちに、彼女は逝ってしまった。
後悔の嵐である。
いつか良くなると楽観視していた。
だってあんなにパワフルな人なんだもの。
コロナなので会いに行くのも遠慮もしていた。
コロナの馬鹿野郎だ。
いや、コロナは関係ない、自分が会いに行かなかっただけだ。
会えたかも知れない。
いや、抗癌剤治療して弱った時にむやみに人に会ってはいけないのだ。
待つしかないのだ。
いや、気晴らしになる贈り物くらい送れたはずだ。
後悔堂々巡りである。
…こんなことがこれからどんどん増えていくお年頃だ。
ホント、勘弁して欲しい。みんな私が死ぬまで元気で生きていて欲しい。
彼女の訃報を聞いた翌日のこと、近くの都立公園に散歩に出かけた。
お腹がすいて、公園内の売店でお団子が三つ串に刺さったのを買ったのだが、団子に顔が書いてあって、その顔が泣いた顔だったのだ。
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そうだよ、悲しいんだよ。
なんて思いながら食べていたら、何やら白い雨が上から降って来た。
見上げると木々の上の方には鵜の巣があった。
鳥のフンが降って来たのだ。
彼女の笑った顔が木々の間から見えた気がした。
闘病している彼女の辛そうな姿しか思い浮かばなかったが、何泣いてんのよ、と彼女がいたずらしたみたいだった。
その時は、少しだけ気が晴れた。
その時に衣服やカバンについた白い点々も、嬉しくてそのままにしてある。フンじゃなくてウン(運)が付いたのだ♡
とりあえず、彼女に会うきっかけを作ってくれた仲間にもまた感謝だ。
どうかみんな、がんばって私より長生きして欲しい。笑
今回は、ただの「気休め」独り言。
悲しい時は「悲しい」と言うに限るし、言えない時はこっそり日記なんかに書くに限る。
私も前述のご婦人のように、ここに吐露させていただく。
ああ、悲しい。
古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇