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東京谷中『探墓行』🐾海童道江月師〜日本伝統音楽研究者上原六四郎篇

寺と坂のある街として親しまれている谷中。

そしてめざすは、谷中霊園。
徳川慶喜のお墓がど真ん中にあります。


読んで字のごとく谷間に位置していたと言うことで谷中。


まずは根津駅から善光寺坂を登り谷中霊園に向かいます。

今回も尺八研究家の神田可遊氏に引率していただきました。感謝です🙏
前回の東京探墓行の続編という形ですね。




まずは最初に訪れたのは、根津駅からすぐの、


天眼寺てんげんじ



天眼寺は東京都台東区谷中にある臨済宗妙心寺派の寺院。
武蔵国忍藩松平家の菩提寺。

↓「猫の足あと」HPより




このお寺は、神田氏の海童道の師匠、東明義(海童道江月)師が住職でおられたお寺。



実は海童道師の弟子は横山勝也のみ、なんてどこかで見たので、そうなのかと思っていましたが、海童道師の弟子は沢山いるとの事。



墓地にある歴代住職のお墓前で献笛をさせていただきました。


稽古をしていたという本堂も見せていただきましたが、何とも静かで気持ちのいい、ああずっとここに居たいと思うような場所。本尊のお釈迦様のせいでしょうか。癒し効果抜群です。まっすぐな線ばかりに囲まれたお寺の中は、最高です。

境内のお地蔵さま。
菊の花一本、というのがまたいい。



余談ですが、私は、以前半年ほどヨーロッパに滞在した時、とにかくゴテゴテと装飾の無い日本のお寺、障子等のあの四角いもの、そして黒い影というか、とにかく暗い場所が、恋しくて恋しくて、そんな理由でやっぱり日本でしか住めないなぁと実感したことを思い出します。




そしてテクテクと歩いてさらに北上。


大雄寺の高橋泥舟の墓



日蓮宗の寺院。




境内には槍一本で名を馳せたという、幕臣・高橋泥舟たかはしでいしゅうの墓があります。
高橋泥舟は勝海舟、山岡鉄舟らと並び「幕末三舟」の1人。


高橋泥舟は1835年(天保6年)に旗本・山岡正業の次男として誕生。山岡家は忍心流槍術の名家として名高く、泥舟も幼い頃からよく修行を行って「神業に達する」と評されるまでに槍術の道を究めていく。
高橋泥舟の噂は幕府まで届き、1860年には講武所槍術の師範となる。また、浪士組を再編した新徴組の取締役になるなど、その名を高めていきました。
さらに、一橋慶喜(のちの将軍・徳川慶喜)に随行して上京したり、官軍への恭順を説得したり、従五位下伊勢守を与えられるなど。最後の将軍・徳川慶喜に信頼されて、よき相談役として慕われていたとされている。

骨董品買取専門店「なんぼや」HP参照



日本初の歴史戦国ポータルサイトBUSHOO!JAPANに詳しくあります↓



境内の大クスノキ。



日本史に超疎い私は、ここで神田氏に高橋泥舟の話を色々をお聞きし、一つ一つ知らないことを知ってゆくのでした。
ありがたや🙏




途中には、観光地らしく、
下町風俗資料館付設展示場「旧吉田屋酒店」があります。




そして、谷中霊園へ。


高橋お伝の墓




谷中霊園の入口には「明治の毒婦」と呼ばれた、高橋お伝の墓があります。

(高橋続きますね。)

供花が絶えないそうな。



「高橋阿伝夜叉譚」
国立国会図書館所蔵




毒婦と呼ばれたのは、歌舞伎の題材にされたからで、本当は恋仲になったやくざ者市太郎の為に、借金を頼んだ男に騙されて殺害してしまい、斬首刑に処されてしまった不幸な女性。
お伝をモデルにした仮名垣魯文(かながきろぶん)の小説や、河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)による歌舞伎が上演されて大ヒット。物語の中では夫の浪之助をも殺害し、男達を手玉に取る毒婦として描かれていたことから、毒婦のイメージが浸透していったとのこと。東京・台東区にある谷中霊園のお伝の墓には、今も手向けの花が絶えないのは、波乱に満ちた人生に対しての同情と、詣でると三味線が上達するというジンクスがあるからだそう。この墓はお伝の三回忌に仮名垣魯文が中心となり、歌舞伎役者などが寄付を行い建立されたそうな。


参照・和楽WEBよりhttps://intojapanwaraku.com/culture/117232/




尺八が上達する誰かのお墓、どこかに無いですかね?



お次は、尺八楽の発展に貢献したという、上原六四郎の墓へ。
こちらですがお参りすればきっと上達するはず!


上原六四郎の墓


生年:嘉永1年(1848) 没年:大正2年(1913)
明治期の音楽理論家,物理学者。旧名は重之。江戸下谷長者町生まれで,武州岩槻藩(埼玉県)藩士。開成学校(東大の前身)に学び,陸軍士官学校,東京高等師範学校などで教官を務め,東京音楽学校,東京美術学校など多くの学校で教鞭をとった。手工(工作)教育の先駆者としても知られる。尺八をよくし2代目荒木古童に師事,虚洞と号した。それまでの尺八譜を改良し,尺八楽の発展にも大いに貢献している。明治28(1895)年刊行の著書『俗楽旋律考』(復刊,1927)は,日本伝統音楽の音階研究における最初の科学的業績として名高い。

朝日日本歴史人物事典




日本音楽の原点!


俗楽旋律考ぞくがくせんりつこうとは、

日本音楽の理論書。上原六四郎著。 1895年刊。最初の本格的な日本伝統音楽の音階に関する研究書。洋楽が入ってまもないにもかかわらずきわめて科学的な研究で,今日の研究の重要な基礎を築いた。この研究で俗楽に陰陽の2種類の音階があること,また五音音階であることなどのすぐれた発見がなされた。しかし旋法と音階の概念を混同する結果を招いたことや民謡の資料不足による誤りなど欠点を指摘される面も少くない。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典


国立国会図書館アーカイブで見れます。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1193874

俗楽旋律考


尺八本曲旋法の事


『琴古流系探墓行』の川瀬順輔の項に、チラっと上原六四郎が登場しました。初代川瀬順輔は上原六四郎に師事。

初代川瀬順輔(竹友)(1870-1959)
旧水野藩士、川瀬賢造の長男として山形市に生まれる。虚無僧榊原三虚山師の門付けに感銘し、尺八を学びはじめる。
21歳で上京、二代目荒木古童(竹翁)に入門し、また上原六四郎師(虚洞)に日本音楽の原点と符点式楽譜を学んだ。



そしてすぐ、ご近所には宮城道雄のお墓。



誰もが知っている、超有名な箏曲演奏家ですね。

生田流(いくたりゅう)箏曲(そうきょく)演奏家、作曲家。本姓菅(すが)。前芸名中菅道雄(なかすがみちお)。4月7日神戸市に生まれる。7歳ごろ失明し、8歳で神戸の2世中島検校(けんぎょう)に入門。2年後師匠が病没し、3世中島検校に師事、11歳で免許皆伝となる。13歳のとき、一家の生計を支えるため朝鮮半島に渡り、父の在住する仁川(じんせん/インチョン)で箏(こと)の師匠となる。修行なかばで師のもとを離れた彼は既習曲の反復だけでは飽き足らず、作曲を志し、1909年(明治42)『水の変態』を作曲。翌年京城(現ソウル)に移住、1913年(大正2)入婿して改姓し、芸名をやめて本名の宮城道雄を名のる。1914年、尺八家吉田晴風(よしだせいふう)に会い生涯の親友となる。宮城は朝鮮時代にもたびたび神戸の旧師中島や熊本の地歌(じうた)名手長谷幸輝(ながたにこうき)を訪れて修行を積み、1916年大検校の称号を受ける。1917年、先に上京した吉田に呼び寄せられて東京に赴き、1919年第1回作品発表会を東京・本郷中央会堂で、第2、第3回を東京音楽学校奏楽堂で開く。彼の才能は葛原(くずはら)しげる、高野辰之(たかのたつゆき)、山田源一郎、田辺尚雄(たなべひさお)ら洋楽系作曲家、評論家、学者などに注目され、助言や後援を受ける。1920年、本居長世(もとおりながよ)と協同で新作発表会を「新日本音楽」と銘打って開く。放送やレコード活動、さらに1923年から尺八家の初世中尾都山(なかおとざん)と組んで各地を演奏旅行し、その名声は全国的に広まった。またフランスのバイオリン奏者ルネ・シュメーは宮城の『春の海』(1929)を編曲して宮城と合奏し、それをレコードに吹き込み、世界的名曲ならしめた。1930年(昭和5)東京音楽学校講師、1937年同校教授となる。

小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)



色々知ってしまうと、聞きたくなりますね。


以前、同僚にお箏を弾いている子がいたので、その時私は三段の調べを習ったばかりで(琴古流の方がこれくらいは知っておいた方が良いと教えてくれた)、一緒に合奏しよう!と言ったら、宮城道雄派なので、彼が作曲した曲以外の曲は弾けないと言われ、そういうもんなんだと初めて知りました。残念。。。

そういうもんなのかな。



さて、谷中探墓行はここでおしまいです。

せっかく、日暮里まで来たので、夕やけだんだんに観光に。
ちょうど、夕暮れ時。

谷中銀座。


観光客は多少は増えたようです。


移動して最後は浅草にて、打ち上げ!をして終了。


今回は、幕末から昭和初期までの偉人たちの墓巡り。


この辺りは、ちょいと歩けば、いろんな過去や歴史の詰まったものに行き当たります。おもしろいですね。色んな人がいて。



私は、日本史はそれこそ60歳過ぎてからかな、なんて思っておりましたが(世界史のほうが好きでして…言い訳)、尺八の歴史とは切っても切れない日本の歴史!今の目標としては、せめて60歳までには、終わらせたい(笑)



今後も先輩の皆さま、ご教授よろしくお願い致します🙇


古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇