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『ケルトの神話〜女神と英雄と妖精と』より『ダーナの神々』感想

 ヨーロッパ文化の源流とも言えるケルト文化の研究で、その筋では有名な井村君江さんの『ケルトの神話』から、『ダーナの神々』の感想をお送りします。

 ケルト民族の多くは、ヨーロッパ各地に散らばって他の民族と混じり合い、独自の文化を今日(こんにち)分かる形では残せなかったのですが、アイルランドに渡った『島のケルト』と呼ばれる人たちは、古代にローマ帝国の侵攻を逃れたため、中世の初期辺りまで文化や神話を守り続けたそうです。

 ケルト民族側の文献は残っておらず、古代のローマやギリシャ人の記録を読むことで、ケルト神話は研究されているそうです。

 また、中世初期のキリスト教徒側からの見方も残っています。まだ布教が完全に行き渡らず、土着の神々への信仰が残っていた時代があるのです。

 アイルランドは何度か支配する一族の入れ替わりがあり、そのうち、後世にダーナ一族と呼ばれた人々の神話に関する解説が、この『ダーナの神々』となります。

 ここで解説されている神々を読むと、日本のファンタジーゲームや漫画やライトノベルなどに与えた影響の大きさを知ることが出来ます。

 通常、日本でケルト神話と言えば、このダーナ一族の神話を指すと思います。

 ダーナの一族は、自らを女神ダーナの子孫であると名乗っていたそうです。ダーナは後にブリジットと名を変え、キリスト教の聖女である同名のブリジットと同一視されます。

 聖女を祀る場所で、異教の女神に捧げる火が焚(た)かれた、とキリスト教徒側からの記録が残っているそうです。

 割と中世の初期辺りまでは、比較的異教に寛容というか、寛容に振る舞いつつ巧みに布教していった様子がうかがえます。

 聖女ブリジットとの同一視は、どちらかというとキリスト教徒側が布教のために促進した説もあるようです。

 この本では、旧来の信仰がまだ残るために、キリスト教の聖女への崇敬と分離されていなかったと書いてあります。

 聖女ブリジットについては、残念ながらこの本ではよく分かりませんが、ケルト神話の主神であるダーナ女神と同一視されるくらいです。きっと多くの人々の崇敬を集めた人だったのでしょう。

 だったのでしょうと過去形にしましたが、今でもカソリックの方々にとっては崇敬の対象の一人であるはずです。

 ウイキペディアによれば、聖女ブリジットは異教徒を父に持ち、母親はキリスト教に改宗していたとあります。貧しい人々によく施しをし、それが父親の怒りに触れ、修道院に入れられて修道女となったそうです。


 修道女となってからも、おそらくは人々の信望を集め、実行力もあったのでしょう、アイルランド各地に修道院を建て、死後はアイルランドの守護聖人の一人とされるようになります。

 宗教改革前のキリスト教は、聖人聖女を多く列聖することで、一神教に多神教的な要素を取り入れたのだと言われています。

 布教のために異教的な要素にも寛容であろうとしたのだと言われています。(後にプロテスタント側から、キリスト教本来の信仰のあり方とは違うと批判されます)

 聖女の存在は寛容と慈愛、人々の崇敬の証しです。それはきっと歴史的な事実です。

 でも今日的な、あるいは日本的な多神教的な考えからすると、ある種の独善を全く感じないわけにもいきません。少なくとも私はそうです。

 ケルトの女神への信仰に取って代わった聖女ブリジットの存在は、私にはそんな二面性を感じされるのです。

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