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モーツァルトオペラ『ドン・ジョバンニ』について、感想など

 今回は、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』について、思うことを書いてゆきます。


 モーツァルトは18世紀にオーストラリアで活躍した作曲家です。1756年の生まれです。

 このオペラには元になった台本があり、それにモーツァルトが曲を付けました。

 ドン・ジョバンニはすごいプレイボーイで、身分や年齢を問わず、数多の女性を落としては捨ててきた男です。この主人公が、最後に破滅するまでの物語が、このオペラ『ドン・ジョバンニ』です。

 主人公は、騎士長の娘ドンナ・アンナを誘惑して、モノにすると捨ててしまいます。怒った父親の騎士長が、ドン・ジョバンニを追いかけて来て決闘を申し込みます。

 受けて立つドン・ジョバンニ。彼は腕も立つため、騎士長を倒し、絶命させます。

 ここは解釈が分かれるかも知れませんが、おそらくは殺すつもりはなかったのだと思います。

 けれど、決闘は危険な行為なのでお互い死を覚悟でやるものです。相手よりよほど強くないと、手加減は出来ないのですよね。こちらが死にますから。

 しかし兎にも角にも人を殺したのに反省の色もなく、恋愛遊戯にふける主人公。ある時、自分が殺した騎士長の墓を見つけ、そこに騎士長をかたどった石像が立っているのを見つけます。

 従者のレポレロの忠告も聞かず、挑発的に「我が家にご招待する(来れるものなら来てみろ、死んでしまったお前には何も出来ない!)」と告げて去ってゆきます。

 どうもヨーロッパの伝説では、死者は招待されなければやって来られないと言い伝えられているらしく、本当にドン・ジョバンニはわざわざ余計なことをしたわけです。

 その日の晩、実際に騎士長はやってくるのです。

 動く石像がドン・ジョバンニの住まいに押し入ります。

「ドン・ジョバンニよ、招待されたのでやって来たぞ」

 騎士長はそう告げるのでした。

 冒頭のリンク先は、まさに騎士長がおどろおどろしくも荘厳な音楽と共に、ドン・ジョバンニの前に現れるシーンから始まります。

 騎士長は何度も悔い改めるよう迫り、従者レポレロも騎士長に謝罪してくれと頼みます。しかし、ドン・ジョバンニは一向に聞き入れません。

 ついに騎士長は「もう時が来た」と言って姿を消し、その後には、地獄の業火の中に落ちてゆくドン・ジョバンニの姿があったのでした。

 聞くところによると、モーツァルトの時代、石像が動き出す物語に恐怖を感じる人が多かったようです。

 単に読んだり聞いたりするだけでなく、舞台芸術と共に、音楽で盛り上げるわけですから、18世紀当時観た人々は、かなりの迫力と恐れを感じたのではないかなと思っています。

 こちらの動画は『アマデウス』なる昔のモーツァルトを主人公にした映画のワンシーンです。騎士長登場シーンを、モーツァルトが指揮する場面です。当時は、とても評判になった映画でした。オペラは18世紀のイタリア語のままですが、英語の字幕がついていますね。

 個人的には、騎士長登場のこの場面が大好きです。最高によく出来た展開と、もちろん音楽です。

 主人公に何度もまともな忠告をしたのに聞き入れないと、主人公と言えど何らかの報いを受けることになる。

 モーツァルトの時代にも、それ以前にもあったテンプ……いえ王道的な展開です。

 ドン・ジョバンニは主人公なので、行いがどうであれ観客は感情移入しますよね。特にドン・ジョバンニは、モテる役なので、基本的には声だけでなく見た目も良いオペラ歌手(高めのバリトン)が演じます。

 いきなり報いを受けると納得されないかも知れません。このオペラの場合、何度も何度も、何度も忠告も警告もされるのに聞き入れない姿を見せて、「ああ、仕方ないな」と思わせるのに成功していると思います。

 それはモーツァルトがというよりは、脚本を書いた人が偉いのですけれど、音楽的にも、騎士長が悔い改めを迫るシーンは、迫力ある音楽にセリフが乗せられて、真に迫っています。

 こうした迫力ある、そして納得感のある場面を、自分も様々な手法で表現したいなと思っています。

 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

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