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リルケ詩集より『厳粛な時』感想

 今回は詩集からご紹介します。

 リルケはドイツで活躍した詩人で、20世紀前半、1800年代終わり頃から1900初め頃の人です。

 この間ご紹介したジョン・キーツはそのさらに100年ほど昔の詩人です。

 新潮文庫の『リルケ詩集』から『厳粛な時』の感想をお送りします。

 何が描かれているか、明確な詩とそうではない詩があります。この『厳粛な時』は後者です。

 世界のどこかで理由もなく泣き笑い歩む者は、『わたし』を見て泣き笑い歩んでいる。

 そして理由もなく死んでゆく者は、『わたし』をじっと見つめている、と描かれて終わりとなります。

 世界と自分がつながっている。そんなテーマでは、17世紀英国の詩人ジョン・ダンも有名な詩を作っています。

 「だから教会の鐘が鳴るとき、誰のために鳴るのかと問うてはならない。それはあなたのためにも鳴っているのだから」が特に有名な一節で、アメリカ作家のヘミングウェイは、ここから小説のタイトルを取りました。

 ここで言われる教会の鐘は、死者を弔うために鳴らすのだそうです。

 リルケがジョン・ダンの詩から影響を受けたのか、そうした説があるのかは寡聞にして知りませんが、『厳粛な時』でも、最後に死者を送るのが、一番印象的な節となっていると思います。

 死は誰にでも訪れ、そこに理由があるかといえば無い、ですよね。ただ、そういうものだから、でしかないのです。

 その理由無き死を、世界のどこかで死んでゆく人を、詩人は心の目で見つめているのでしょうか。

 見つめられた死者が、同じように詩人を見つめ返すのでしょう。

 そんな風に解釈しました。

 いかが思われますか? あなたの解釈は、どうでしょうか。

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