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フィクションにおける考え方の違う対立者とは

 前回の記事に関連して。


 「調和を愛する日本はやっぱり 突出した才能を平凡なガラクタに変えやがる」

 日本的な和を重んじるやり方では世界一にはなれない!

 それが『ブルーロック』のテーマなのだが、それがある程度のリアリティをもって受け入れられるのは男子サッカーを扱っているからで、女子サッカーだったら、まあそうはいかないと思う。

 なぜなら、女子サッカーならどうしても読者の多くは、なでしこジャパンの存在を思い浮かべてしまうからだ。

 サッカー漫画を読むからと言って、現実のサッカーにくわしいとは限らないが、なでしこがどのような事を成し遂げていたかは、漠然とでも知っている人が多いと思う。

 エンタメフィクションといえど、現実を完全に度外視するのは困難であるとは、前の記事に書いた通りである。

 でも私もそうだが、言うて今の日本の停滞を思うに、冒頭で引用した冴のセリフに共感したり、少なくとも一理あると考える人も多かろう。

 こんな場合どうするのか?

 私なら、であってこれが絶対の正解ではないが、このようなやり方があると思う。

 主人公を『ブルーロック』で扱われているテーマのような考え方のキャラにする。

 一方でライバルを、日本的な良さを信奉するキャラにして、対立の構図を描く。

 これによってリアリティ、別な言葉で言えば説得力が出るのではないか?

 『ブルーロック』の人気の理由は様々だろうが、思想的な対立構造など描かずに、突き詰めて「集団の和より、個人のエゴを追求しろ」に集中したから、は間違いなくあると思う。

 ではこれがヒットしたから、どんな題材の、どんなジャンルでも応用出来るかと言えば、そうではないとしか言えないのではないか。

 思想的な対立構造を描くか否かは、それぞれの作品によって異なる。

 対立構造が生み出す緊張感も、一つのテーマを突き詰める勢いも、どちらも間違っているわけではない。

 それぞれの作品や、作者の書きたいものによって、向き不向きがあるだけである。

 本当は士道が言ったように「ごちゃごちゃうるせぇよ(大意)」が本音だが、それでは分からないだろうから、説明したのである。

 余談だが「対立構造の書き方がもっと良くなればいい」ではなくて「対立構造そのものを否定して、一つの思想を突き詰める形にしたい」と執着するのなら「なぜ自分はそう感じるのか」と考えてみるのもいいかも知れない。

 案外、原因は作品の方ではなく、自分の方にあるかも知れない。

 作品に出来不出来はあろうが、「対立構造の書き方がもっと良くなればいい」ではなくて「対立構造そのものを否定して、一つの思想を突き詰める形にしたい」と考え、しかもそれに執着するのなら。

 それは執着する読み手の側にも何らかの原因があるのだと思わざるを得ない。

 ここまで読んでくださってありがとうございました。また次回の記事もよろしくお願いします。

 写真はなでしこではなくて、蝋梅(ろうばい)です。

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