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【サスペンス小説】その男はサイコパス 第30話【愛情と温情は、必ずしも最善ではない】

マガジンにまとめてあります。


 カラオケルームは、喫茶店があるビルからさほど離れてはいなかった。店に入るまで、二人は黙って歩いた。

「飲み物はソフトドリンク飲み放題を二人分頼みましたよ。何か召し上がりたい物はありますか?」

 水沢に気を許させ、口を軽くさせるためなら大した出費ではない。

「あ、ありかとうございます。けっこうです」

「会社の方は大丈夫ですか? だいぶお時間を取らせてしまっていますが」

「大丈夫ですよ。大口の商談だと言ってあります」

 これらの気遣いと取れる一連のやり取りは、すべて水沢の口を割らせるためである。それ以外の理由はない。肝心な場面で、急にリッチェル・セキュリティサービスから連絡が来て、中座されるのは避けたかった。話の腰を折られたくはないのだ。それが成否に関わるのなら。

「水沢さん、信じていただきたいのですが、私はあなたの味方です。水樹を悲しませたくもありません。ただでさえあいつは、二回も警察に呼ばれて気に病んでいます」

 知也自身は、警察に取り調べを受けたところで不安や心身の激しい疲れを感じたりはしない。できる範囲で答える。変だと思ったら、弁護士に話すと言い、後は黙秘権を行使する、それだけだ。

 しかし水樹は違う。その点ではまったく普通の人間なのだ。

「水樹は……いい子ですよ。鷹野時道さんがお気に召すお孫さんのことだけはあります」

 その口調には、不満という名の含みが感じられた。自分の娘は見捨てたのに、同じ血の流れる孫には多額の遺産を残してやるのだな、と。そんなところだろうか。

「水樹は今回の件であなたを案じていますから。私としてもなんとかしたいと思っています」

 嘘であり本当でもある。水樹は叔父を案じているが疑ってもいる。俺自身は、と知也は内心で静かに言う。水樹のためでもあるが、何よりも俺自身がそうしたいからだ。

「……高城やよいと示し合わせていたわけではありません」

 水沢は今やおろおろしていた。

「ただ、セキュリティを切ってやりたい、それで何かあっても俺は良心の呵責などない、むしろざまあみろと思う、と。そう言ったことがあります。しかしまさか」

「ええ、まさか高城さんがあのような真似をするとは思わなかった。あなたは怖くなって、黙っておくことにした。セキュリティをわざと切った件は、誰のせいにもせず責任者の追及はせず、自分が管理職として責任を負うことにした。事故、あるいは過失で済ませようとした」

 そうですね? と視線で問い掛ける。問うまでもなく、知也には答えが分かっていた。

「管理職として責任を負うのは、あなたのせめてもの罪滅ぼしでもあった」

「……そうです」

 水沢は、目の前に置かれたアイスコーヒーを手にした。一口だけ口に含んで、コップをテーブルの上に置く。カラオケの音量は最低にしてあったからほとんど聴こえない。最新曲のにぎやかそうなプロモーションムービーだけが、この場にはふさわしくなく流れ続ける。

「あなたがこれからどうしようと、俺は別にかまいません。このまま黙って隠し続けながら生きてゆくのも一つの手です。でもあなたにはそれはできない。高城やよいはあなたのことは黙っている。彼女一人に罪を着せて、素知らぬ顔をすることは、あなたにはできないでしょう」

 できる人間もいる。それは先天的にそう決まるだけではない。水沢はできないように生まれつき、そのように育ち、ここまで来た。

 それでも、意を決して警察に出頭するまではできない。

 どちらもできない。そう、できないのだ。だから、俺は背中を押しに来た。

 知也はフライドポテトの山盛りを注文した。

「召し上がりませんか? もちろん私のおごりです」

「あ、ありがとうございます……いただきます」

 フライドポテトが運ばれてくるまで、しばらく間があった。二人とも口を開かなかった。知也は落ち着いたものだったが、水沢はそわそわしつづけていた。

 主導権は間違いなくこちら側にある。後もう一押しだぞ。

 注文したフライドポテトを持って店員がやってきた。知也は立ち上がり、ドアを開けて受け取る。

「どうも」

 軽く礼を言ってから、店員が遠ざかるのをドアのガラス越しに見送った。

「なぜ分かりました?」

 ようやく水沢が口を開いた。

「あなたのことなら水沢さん、水樹から話を聞いたときにです。疑うべき状況から考える。単純な考えをしただけです。時道さんに恨みを持っていそうな方が、たまたまセキュリティの事故の責任者だった。でき過ぎているでしょう? もっとも、現実には往々にしてそのような偶然もあり得るものですが」

 でも俺は偶然ではない可能性が高いとは思った。当たりだった。

「高城やよいが全てやったと思うのですか?」

「はい」

「何故です?」

 知也はすぐには答えなかった。フライドポテトを口に入れていたからで、他に理由は、ない。

「最初、時道さんに石をぶつけ、家政婦の高木さんを刺したのは男だと思っていました。単なる先入観です」

 そう、単なる先入観だ。本物の名探偵ではないので、そんなこともある。知也は続けた。

「女の力でも、簡単な作りの投石器のようなものを使えば可能です。Y字型に枝分かれした木と、丈夫で太いゴムバンドで作れます。パチンコと呼びますね。ギャンブルではない方のパチンコです。ご存知でしょうが。子どものおもちゃにもなります」

「はい、パチンコ、知っていますよ」

「普通は小石やどんぐりなどを飛ばすだけで害はありません。しかし、太く丈夫なゴムバンドで、大きめの石を飛ばすとなると、窓ガラスを割って、中にいる人に怪我をさせるくらいにもなりますね」

 水沢はうなずいた。

「そうですね」

「二階で窓ガラスを割ったのも、同じ手口です。庭からパチンコで割ったのですよ。二階に誰かがいたわけではなかった」

「あ、なるほど……」

「しかしあの時には、二階にいると考えました。それで、窓を割って石を時道老人にぶつけた者と二人、犯人がいると思い込んでしまったのです。敵が二人、それも男だと応戦するのはきつい。犯人の一人が庭に潜んでいる可能性を考え、さらにもう一人に来られるとまずいので、広い庭を逃げるより、塀をさっさと越えさせたほうがいいと、私は思ったのです」

「そのお話は水樹からも聞きました」

 今にして思えばそれが裏目に出たのだ。水樹は俺と違う。あんな状況で冷静にはなれないし、簡単に俺を置いてもいけない。それで思ったより手間取った。時道老人は水樹よりは胆力があるが、年寄だ。身軽には動けない。怪我もしていた。

「それで、かえって高城やよいに不意を突くすきを与えました」

「はい、それは水樹からだけでなく、報道でも言っていました」

 この間、知也は平然としたもので、今はまた話を止めて、フライドポテトを食べていた。水沢は何も口にしていない。

 食欲が出ないか。普通は、そうなのだろう。食っても食わなくても事態は変わらない。だったらおごられたのなら食えるだけは食えばいいのに。そうはいかないんだろうな。知也は思う。

「高木さんを刺したのは? 窓の外から石を飛ばして、その後どうやって中に入り、高木さんを刺したのですか?」

「これは私も是非とも警察に確かめたいのですが。私が個人的に聞いても話してはくれないでしょう。割られた窓がもう一箇所はあるはずです」

「ではそれもパチンコで?」

「おそらくは」

「なるほど……事件は昨日起こったばかりです。報道もそこまでくわしくは、まだ」

「ええ、そうでしょうね」

 水沢は自分の前に置いてあるアイスコーヒーを一口だけ飲んだ。フライドポテトには、やはり手を付けないままだった。

続く

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1話あたり2,000から3,000文字です。現在連載中。

第一作目完結。83,300文字。 共感能力を欠く故に、常に沈着冷静、冷徹な判断を下せる特質を持つサイコパス。実は犯罪者になるのはごく一部…

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