見出し画像

『今昔物語』杉本苑子編訳より『いのししにだまされた坊さま』感想

 この本は講談社から出ており、正式なタイトルは『21世紀版 少年少女古典文学館 今昔物語集』です。

 近代以前の古典を子ども向けに分かりやすく訳し直し、解説も付け加えたものです。

 この『今昔物語』に関しては、杉本苑子さんが解説を付けています。杉本苑子さんは、文化勲章も受けられた著名な歴史小説家です。

 この子ども向け古典シリーズはそれぞれの古典を、著名で権威のある作家が、翻訳や解説をしている贅沢なシリーズです。

 物を知るのに、こうした子ども向けも馬鹿にならないものです。学習漫画や図鑑も良いですね。

 さて、『いのししにだまされた坊さま』の感想を書いてゆきたいと思います。

 『いのししに〜』は、何故か、きつねでもたぬきでもなくいのししが、観音様に化けて修行中のお坊さんの前に現れた話です。

 賢いはずのお坊さんは(当時、僧侶は知識人階級でした)正体がいのししであると見抜けず、学のない猟師が「生き物を殺す仕事をしている自分にまで見えるのはおかしい」と見抜くわけです。

 多分、その時代には、猟師は仏教の教えから、賤業とされていたのだと思います。その猟師が真理を見抜く。仏教説話としてこの話が収録された意味があるのですね。

 杉本苑子さんは、「いのししは別に悪いことをしていない。そのままお坊さんが信じているとおりにしてあげたらよかったのに」と書いておられます。

 解釈や受けとめ方は個人の自由なので、それはそれでいいのですが、私はやはり元々の説話に教訓として明記されていたとおり、見かけにだまされる坊さんは、修行者失格なのだと思います。生き物を殺す仕事をしている猟師のほうが賢明であった。ここに意味があるのでしょう。

 古典を読む時、今の価値観や感覚で考えるか、当時の世相などを考慮するか、問題にされます。

 私の考えは、当時の世相などを考慮した上で、現代に活かす、です。

 要するに、今の時代でも、偉い人だとか賢い人だと思われているが実は見かけにだまされてしまうような、本当の意味での知恵のない人はいると思います。

 猟師は反対に、人々に必要とされる仕事をしながらも、見下される立場の人です。現代でもそうした人々はいます。残念ながら。

 しかし、そんな人でも真の知恵を持っているかも知れない。

 つまり、社会的地位や肩書、また見た目では相手の本質はつかめない。それこそが、平安時代から今に至るまで、普遍のテーマだと思うのです。

 皆さんは、いかがお考えになりますか?

 読んでくださってありがとうございました。

お気に召しましたら、サポートお願いいたします。