見出し画像

【厳然たる事実に立ち向かえ】ウィルトンズサーガ2作目『深夜の慟哭』第19話

マガジンにまとめてあります。



水竜



「うわあ、この舟もなんかすごいな」

 ウィルトンは、令嬢の後に続いて乗り込みながら感嘆の声を上げた。舟もまた、水色で透明である。触るとすべらかで冷たい。令嬢の指輪と同じ石で出来ているのかと思った。大人がゆうに十人は乗れるだけの大きさもある。

「見事なもんだ。朝昼、太陽の下で見たらもっとすごいだろうな」

 続いてアントニーが乗り込んだ。

「水竜のうろこは石ではありませんが、石に似ていますね」

「舟はうろこで出来ているのか?」

「水竜のうろこは自然と剥がれ落ちた分が、拾い集められて宝石のように加工されます。そのままでも使えますが、一度溶かして別の形にしてから、また固める手法もありますね」

「さすがはアントニー様。よくお分かりね。この美しい舟は、古王国時代からの真の貴族でいらっしゃる方に相応しいですわ」

 ウィルトンは不吉な予感がした。令嬢は称賛のつもりで言ったのであろうが、今の情勢を考えれば不吉としか思えなかった。それだけ他の貴族から、脅威だと思われるわけではないか? そう言いたかった。

 そんなウィルトンの思いには気がつかない様子で、アントニーは令嬢にこう尋ねた。

「その指輪も、ですね。舟もまた、同じく古王国からの遺産でしょうか」

「その通りですわ、アントニー様。水竜もこの舟も指輪も、我がバーナース家に譲ったのはデネブルです。彼自身が他の貴族から奪った物を私たちの先祖に渡したのです。完全に味方につけるために、ですわ。奪った物を与えられれば、奪われた者は先祖を恨みます。デネブルに忠誠を捧げるしかなくなりますの」

「なるほど、分かりましたよ。ますますもって悪どいヤツです!」

 ウィルトンは思わず叫んだ。デネブルに明主であった時があったとは最初は信じられなかった。

 しかし、よくよく考えれば、同じ領民統治のやり方を、善きことに使うか、悪どいやり方にするかの違いであって、根本は変わらないのかも知れない。そう考えるようになってきた。

「私も愚かでしたね……この四百年間」

「何言ってんだ、お前が愚かなわけがないだろう」

「本当を言えば、心のどこかで期待していました。彼が元の彼に戻ってはくれないかと」

「彼って、デネブルがか?」

「はい」

「ああ、そうなれば、ある意味では一番良かったのかも知れないな。貴族同士は争わない。争っても必ずデネブルが介入する。理想的だ。明主に統治された三つの王国」

「ええ。でもそれは夢です。現実には、ああなるしかなかったのです」

「そうだな」

 ヴァンパイアになっても、人としての限界は超えられなかった。そういうことなのだろう。今でもデネブルへの憎しみや怒りが消えたわけではないが、それはそれとして冷静に見られるようにもなってきた。

 舟は猛烈な勢いで、湖の闇色の波間を進む。水竜は人の手で漕ぐよりも、遥かに速く運んでくれていた。

「もう、向こう岸が見えてきた」

 ウィルトンの言うとおりだった。湖の岸辺には、明かりを湖面に落とす、瀟洒な屋敷が見えた。エレクトナ令嬢が暮らすバーナース家の屋敷よりはずっと小ぶりで、煉瓦で出来ているようだった。

「あれが、アーシェル・フェルデス・シェルモンド殿の屋敷か」

「そうですわ。もうじき着きますわね。向こうで待っておいでなの」

「待っている? 俺たちを、ですか? しかし俺たちが来ると何故分かっていたのですか」

「私が連れてくると言いましたから」

「え? あなたは最初からそのつもりで、俺たちに、センド様がお疑いかも知れないと言ったのですか」

「ええ、そうですわ」

「もし俺たちが行くと言わなければ? いかがなさいましたか?」

「あなた方は一緒に来てくださると信じていましたわ」

「何故です?」

「あなた方は賢いから。私の祖母を、安易に信じはしないでしょう。でもアーシェル殿なら、お味方に出来るかも知れないと考えるはずですわね?」 

「確かに俺はそう考えています」

 アントニーもうなずいた。

「そうでしょう。何故なら、アーシェル殿は私の祖母と違い、より力ある者と組むことで、得をする立場だからです。そうではありませんかしら? 私の話を聞いて、そうお考えになったのでしょう、お二人とも?」

「ええ、貴女の言われる通りです」

 アントニーは感心した様子だ。

「アーシェル殿は、どんな方ですか? お会いする前に、くわしく聞いておきたいのです」

 ウィルトンは尋ねた。

「金髪碧眼の素晴らしい美男子で、剣技の達人でもいらっしゃるわ」

「ほう」

「湖の向こう岸は都市もなく、芋畑と果樹園、湖から流れる川だけの田舎だと、アーシェル殿はおっしゃるわ。田舎貴族の自分は、都市の暮らしには馴染めないと、そういつもおっしゃるの」

「そうですか」

 何となくウィルトンは、まだ見ぬアーシェルに好感を抱いた。都市の貴族と違い、田園に暮らす貴族はもう少し親しみやすさがあるのかも知れないと。

 水竜は、アーシェルの屋敷の側にたどり着いた。舟は岸辺に泊(と)まる。

「さあ、舟から降りますわよ」

「これはこれは、エレクトナ様。お待ちしておりました。お連れの方々も」

 不意に闇の中から声がした。落ち着いた、品のある若々しい男の声だ。

「アーシェル殿かしら?」

 エレクトナは、指輪の明かりを声のする方へ向けた。

 すらりとした銀の鎧姿が見えた。令嬢の言った通り、金髪碧眼の背の高い美男子である。ウィルトンよりは低いが、アントニーと同じくらいだ。

「これはこれは、デネブルを倒した英雄どの。お会いできて光栄です」

 アーシェル・フェルデス・シェルモンドは、そう言ってうやうやしく頭を下げた。

続く

お気に召しましたら、サポートお願いいたします。