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ネットで出会った大事な縁

今週の星座占いを見ていた時に、

お世話を感じた人に祈ったりお礼を差し上げたりしてみて下さい。

ってワードが書いてあった。

お世話を感じたり支えてもらったりした人かあ、って思い浮かべた時に、精神面でいうと、大きく支えてもらったのって、ネットの顔も名前も知らない人たちだったなあって思って。

うちの家族は兄弟が多いから、母親は毎日手一杯で、心も子どもへの最低限の気配りと自分のことでいっぱいいっぱいで。進路の話以外じゃ母親と面と向かってゆっくり話を聞いてもらった思い出ない。学校で泣きたいような出来事があっても、聞いてお母さん、って言えなかった。

愚痴とか悩み事とかのネガティブな話って、話す側は軽くなる分、聞く側に負担が移るとこがある。

いたいのいたいの飛んでいけ、じゃないけどさ。そんな感じで。

だから、聞く側に心の余裕がないと、ネガティブな話って、相手に苦しさを与えてしまう。

私の高校生の頃、高校生からケータイ所持するのが普通、って時代になった辺りで、ネットの世界に初めて浸かったのね。その時はSNSが発達してなくて。でも、大好きな漫画やアニメの二次創作にたくさん触れる機会ができて、毎日それを見ることで癒されてた。サイトが主流だったから、感想送ったりして、好きなことをたくさん話すことで元気をもらってた。

そのうちツイッターが流行り始めて、サイトで仲良くなった人たちとこっちでも話をするようになって。リアルタイムで簡単に投稿できるから、相手との距離がすごく近付いた感じがした。

ツイッターの良い所って、名前の由来でもあるひとりごと、が基本なところだと思う。

だから、愚痴とか悩み事とか、ネガティブな事を、ここなら好きなだけ吐き出せた。日記とは違って、呟くと誰かが目にするわけだから、勝手に聞いてもらえてる気になれた。それで十分満たされた。

あとツイッターの良い所は、ひとりごとに返事したりいいね(昔はファボ)ができること。

ここに勝手にひとりごとを吐き出すわけだけど、仲良しな人がその時心に余裕があったら、気にかけてリプくれるの。心に余裕がなかったら、ツイート見たよ、大丈夫?とかの意味で、そっといいねを押して反応をくれる。

吐き出せた事である程度すっきりするけど、本当に聞いてもらえたり、愚痴を聞いてくれた相手がいるって認識できるのってやっぱり違う。

だから、心がしんどい事があったらツイッターに流す事で、それにフォロワーさんが何か反応をしてくれる事で、しんどい事をなんとか乗り越えて生きてこれたと思うの。相手に負担になるから、って遠慮して抱え込みすぎることなく、言いたい放題吐き出せてきた。もし私のネガティブツイートを見て、嫌な気持ちになった人がいても、ミュートとかできるから、変な遠慮もいらない。だって基本はひとりごとだから。

長々と書いたけど、そういうわけで、精神面で主に支えてもらってきたのは、顔も名前も知らないネットの人たちだったなって思ったわけです。だから占いの通りに、ここでお礼と、あとお空に向かって祈ります!

これまでたくさん、そしていつもありがとーー!!!!

ちなみに占いは好きだけど半信半疑!笑

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