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オリジナル小説 ディスライク#16

「諸葉ちゃん、ごめんね」
ごめんねごめんねと繰り返しながら、最笙さんが私の頭を撫でた。
「俺が、こんなんだから…諸葉ちゃんも精神的に参っちゃうんだよね」
「どゆこと」
「妻とは別れて、諸葉ちゃんだけにして、諸葉ちゃんを経済的に安定させるから。そうしたら諸葉ちゃんも不規則に働かなくて良くなるから」
妻?
私は首をかしげた。この男は、妻帯者だったのか?
おそるおそる訊いてみる。「子供とか、いないよね?」。
最笙さんは更に目頭を熱くしたようだった。
「いるんだ。三人。下の子はまだ保育園児だから、慰謝料の他に養育費も取られるかもしれない」
私は思わず舌打ちをしていた。
薄々何かあるんだろうなとは思っていたが、私はその何かを確認しようとしなかった自分に腹を立て、悔しくて泣いた。
私はこんな弱い男に庇護されねばならぬ人間なのか?
涙が頬を伝う。
ごめんねと言いながら、最笙さんは私を抱きしめた。
最笙さんにこんな台詞を吐かせ、こんな表情をさせてしまう自分が情けなくて仕方なかった。

配達に訪れたピザ屋は、泣いている私たちを見てあからさまに嫌悪感を露出させ、すぐさま部屋をあとにした。


最笙さんに呼び出されて、近場のファミレスに行った。最笙さんは疲れきった表情をしており、今にも自殺するんじゃないかという危うさすら見せている。
「最笙さん、大丈夫?」
やっと、という感じで笑顔を見せ、「好きなの頼んでいいよ」と最笙さんはメニューを開いて私に渡した。
食後に、最笙さんは独り言のように私に言った。「諸葉ちゃんが幸せにならないと、俺が報われない」。
「そんなこと言われても、困るよ」
最笙さんのやつれた顔が、悲しそうな表情をつくった。
「自分が僕にどんな影響を与えていたか、まったく気付いてなかったの?」
肉の乗った皿に目を落とす。肉の感じる空気までもが、悲しそうである。今日何度目かの溜息を聞きながら、肉にナイフを入れた。ごめんなさい。顔を涙でぐしゃぐしゃにして、土下座しながらそう言えば、最笙さんは満足するの?
思ったが、口には出さずにいた。それを我慢しながら、眼前の男を罵倒したい気持ちでいっぱいだった。
「諸葉ちゃんは」
「うん」
「俺のことどう思ってた? ただの金づる?」
正直に言って良いものか。
「正直に、言って」
おいおい、おめーマゾかよ、と思いつつも切った肉を口に運ぶ。でも、これ以上いい顔するわけにはいかないしなぁ。よぅし、勇気を出すんだ成田諸葉!
「利用、しやすい人だって思ってた」よく言った! 過去形にしているところが偉い。
ああ、やっぱりね……と最笙さんがコーヒーを口にした。
「最後に言っとくけどね、人間は利用できるかできないか、使えるか使えないかだけじゃないんだよ」
最笙さんの目がまっすぐに私を見る。瞬時に、この男に後光が差しているような錯覚にとらわれた。
「マイナスだけじゃなくて、プラスの感情だってあるんだよ。俺は、諸葉ちゃんにそれを感じて欲しかった」
この期に及んで、うるせえよバカとしか思えない私は本当にひねくれている。根性が曲がっている。
「ごめんね、最笙さん。私、そういう眩しいとこ行きたくないの。感じたくないの。だから、私を連れて行かないで、違う人と行って」



「諸葉ちゃん、無知って言葉知ってる?」
ブランコを漕ぎながら白魚が訊ねる。「知らないってことだよね?」。
「そう、知らないってこと」
突然白魚は何を言い出すのだろうと私はドキドキしながら次の言葉を待った。
「例えばー」
白魚が単調な声音で言う。
「いま見てる朝焼けとかー、綺麗だよね。でも、知らなかったら悲しいよね」
「うん」
「それでー、一人暮らしをしているご老人が孤独死した場合、普段から人付き合いしていないご老人だったら、そのご老人が亡くなったことに誰も気付かない時もあるよね」
「うん。悲しいね」
「そうだよね。それらの場合も悲しいよね。とてもとても、悲しいよね」
それでね、と白魚がブランコの板に立って勢い良く漕ぎ始める。
「自分の身近で親しい人間が、物憂げにしていても悲しいよね。しかもそれが自分の知ってる人間の仕業だとしたら、腹立たしいを通り越して虚しくなっちゃうよね」
「そうだね」
白魚は何を言いたいのだろうか。
「私の知り合いでー、それに当て嵌まる人がいるの。もう、諸悪の根源であるその人間を抹殺したくてしたくて、仕方が無いね、はっきり言って」
私は口を閉じた。
朝日が眩しいな、と思った拍子に、体操選手のように、白魚がブランコから地面へと降り立った。表彰状を贈りたいくらい、実に軽やかな動作で。
くしゃくしゃに顔を歪めた白魚が眼前に立つ。あ、殴られるかな。反射的に目を閉じる。静かだ。あまりにも静かなので、そっと眼を開けると、逆光で白魚の表情がよく見えなかった。
「諸葉ちゃんとは仲良くなれた気がしたんだけど、やっぱり許せないものだね。もっと違う形で会いたかった」
「白魚……」
「私は姉ちゃんが大切で、それは今も変わらないから」
太陽が刻々と上昇している。
「じゃあね、諸葉ちゃん」
白魚が去った後も私はしばらく動けないでいた。頭上には青空。


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