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かいじう

きのう、四じかんめのじぎよう中にかいじうが、ぼくの町にきました。

ぼくははじめてかいじうを見ました。

この前もきて、となりの町の小がつこうのこうていであばれて、小がつこうがこわれて

たくさんぎせいになた子どもがいた、と先生がゆいました。

ぼくは

「またか、はやくタダシイマンがきてやつけてくれないかな」

と思いました。

だつて、かいじうはいつも人間にわるいことばかりするし、

タダシイマンは人間のみかただし、せいぎのみかただからです。

でも、ほんとうはよくわかりません。

きのうきたかいじうは、みどりいろの目がくりくりしたかいじうの子どもで、

ぼくの町にきたかいじうは、わるいことをしませんでした。

がつこうのとなりの田んぼの中でひとりで泣いていました。

「ひとりぼちでかいじうもかなしいのかなあ」とぼくは思いました。

「おなかでもすいているのかなあ」

「子どものかいじうもがつこうできうしよくを食べてるのかなあ」

「お母さんかいじうとはぐれてまいごになちやたのかなあ」

と思いました。

そのうちにひこうきで、ちきゆぼうえいぐんが来てミサイるをかいじうにうちました。

かいじゅうは、いたくていたくてたくさん泣きました。

たくさんちが出ていました。

たいへんです。人間の子どもならほけんしつへ行かないと、ゆけつたりようでしんでしまいます。

そのうちに、みんなが「あ、タダシイマンだ」とゆいました。

いおんのほうからタダシイマンが来て、あという間にかいじゅうをたおして行てしまいました。

せんせいは「タダシイマンがきてくれてよかったね~。さあ、じぎようをつづけます。」とゆいました。

みんなは「タダシイマンかつこよかつたね」とゆいました。

ぼくはかいじうのことが気になて、きうしよくもあまり食べられませんでした。

学校がえりにとなりの田んぼにけんちゃんと行きました。

かいじうはどこかにはこばれていませんでした。

かいじうのちがたくさん田んぼにありました。

かいじうのお母さんや友だちはかなしいだろうなあ、と思いました。

みんなのきうしよくをすこしづつ分けてあげたら、かいじゅうも泣かないし、タダシイマンにころされなかたのかなあと思いました。

「にんげんの子どもが泣いていてもタダシイマンにころされるのかなあ」
ってけんちゃんにきいたら

けんちやんは「にんげんの子どもはころされないでしょー」てゆいました。

ぼくはにんげんでよかたなあ、と思いました。

でも、ぼくはだんだんほんとうはかいじうがわるくなくてタダシイマンがわるいんじやないかとおもてきゆうにこわくなて家に走てかえりました。

家にかえたらおかあさんがどうしたのとききましたが、こわくて「べつになんでもないよ」といいました。かいじうはてんごくでおかあさんにあえたかな、と思いました。

タダシイマンはタダシイマンのこどもにもまちがえたことをしたら同じことをするのかなと思いました。

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