適当考察、テレビとは何か

私の家族は、家にいるといつもテレビを見ている。
(なお、ここで言うテレビとは地上デジタル放送のことでありテレビを使ってゲームをしたりAmazon Primeなどの配信サービスを見ることなどは含めていない)
だが、その割には報道が煽っているだの新型コロナウイルスやロシアの戦争のことばかりだとツッコミを入れる。
そんなものばかりなら見なければよいのに……と思ってしまうが、それでも見続ける。ある意味すごいか労力と電力の無駄としか言いようがない。

ちなみに私は以下の理由から、災害などの非常時以外は自分からテレビを見ないようにしている。

  1. 同じような内容のものが多すぎる。

  2. 昔はアニメやモータースポーツ中継など見たい番組をやっていたがやらなくなった。

  3. 報道内容に偏りが多い。

  4. ネガティブな放送が多い(戦争、殺人、犯罪、事故、不景気、テロなど)

  5. Youtubeなどと異なり自分にあったものを見られない。

  6. 一方的に話しかけるだけで自分が質問したり意見しても一方的に話し続けるという構造上の問題。

  7. テレビを見ているとゲームや絵を描くなど他のことができなくなる。

小さい時、母になぜずっとテレビを見ているのか尋ねたことがある。すると答えは自分は小さい時テレビっ子でテレビが見たかったが親がチャンネルをいじって好きな番組を見ることができなかった、だから今見ていると。他にもテレビがついているのは当たり前らしい。もはや、ある意味一種の宗教か何かのようなものなのではないかとすら感じてしまう。
他にも、殺人事件を扱ったサスペンスや暗いニュースが多すぎて嫌だといったこともあったが、これも人が死ぬのが好きなのではなくて推理するのが好き、自分も暗いニュースばかりは嫌で誰々が結婚したとか明るいニュースが見たいと言っていたが、いつそんな時代が来るのだろうか。私の想像だが、おそらく最後の審判が来る時であってもマスコミはこれでようやく天国に行けると明るい報道ではなく、最後の審判に公平性はあるのかとか善人が地獄へ落ちたらどうするのかとか地獄の暮らしはどうなるのか、異教徒や無宗教の人へのフォローはなどと問題点や暗いところばかり報じるだろう。
これも私の想像だが、テレビやマスコミが暗いことばかり報じるのは昭和時代に大本営発表なる日本はすごいという明るい捏造ニュースばかり報じていたことへの反動ないし反省なのだろうが……

もちろん貧困格差や社会問題や犯罪や戦争やテロなどといった暗い出来事に付き合う必要はあるが、ずっとそれにつきあわされるのも疲れるし、心が落ち込むというものだ。だがテレビはそんなマイノリティのことなど気にせず、暗いことばかりこれでもかと話し続ける。そもそも、自分たちにはあまり関係のない殺人事件だの犯罪だの戦争だのテロだの大事故だのを報道し続ける必要はあるのだろうか、私がマイノリティなのかもしれないが29年生きてきて殺人やテロや戦争や大事故に巻き込まれたことは一度もない。なので、そもそもそんなものを何回も繰り返しやられても対して役に立たないのである。昔なら戒厳令や空襲警報のお知らせなどでそれなりに役に立ったのかもしれないが、今は今のところそんな状況でもない。
(しかしながら、治安維持法を廃止したら治安がかえって良くなり、大日本帝国から大と帝を取ったら経済が良くなったとは皮肉なものである)

しかし、テレビは暗いことばかりやっていて嫌だと言うと今度は怒られてしまう。そこで私は思うことにした。これは宗教なのである。それを信じる者にとってはテレビから放たれる光と音によって(私は福音ならぬ福画と呼んでいる)心身が磨かれ、長くそれを浴び続けることにより、より良い心身を築き、天国や楽園への道を開くのだ。そして、この行為を邪魔するのは信仰の自由を妨げる行為だからしてはいけないと……

私には、これ以外の合理性を持つ答えを出すことができなかった。だから私は、今日も異教徒としてテレビから放たれるものを多様性の一つとして見守り続けている。

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