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表現の自由と責任とSNS

私は Atelier hanami さんのイラストの女性たちの目線が大好きです。

前を向き、時には内に秘めた思いを表現している。

文字もイラストも写真も。
伝えたいことを表現するということは本当に難しい。

少し昔は週刊誌のゴシップで
「なんで嘘を書くのだろう。」で済んでいた出来事が
今は誰もが簡単にSNSを使い、評論をしたり、単なるうわさ話を拡散する。

少し昔は興味本位で見たかった性的描写や写真、ゴシップは
お金を払わないとみることはできなかったが、
今の時代は「ぽち」っと押せば瞬く間に人の興味のまま広がる。

私はジャーナリストの堀潤さんの「主語」という言葉を大切にしている。

性的体験を書き始めたのも私が飛び込んで
快楽とともに危うさも経験したからかけるし、
業界の宣伝のためでもなく、
ジェンダーやセックスレスという言葉がなくなればいいと思っているから
私自身のことを書いている。
今、書けるのはやはり子供たちが成人したことは大きいし、
ひと年取ったから見えるものがあるから文字にできている。

このnoteに書くことを
「〇〇さんの体験です。」は記事ではない。
小説でも表現者でもないと思う。

性的描写をかけるもの言論の自由のもとにあるからであって、
この「自由」は簡単に覆る危うさもある。

SNSの危険を規制する前に、家庭、学校で大人が実際知ろうとすることが大切だと思う。
なんでも子供や社会を守るという理由で取り上げるのは簡単だ。
そのうち気が付けば知らない間に検閲が始まっているかもしれない。

「私は」どうなのか。

文字を連ねる今も考えながら書いている。
そして文字を重ねるたびに自己責任であることを
Atelier hanami さんのイラストの女性の目に励まされる。

生きている。
今日は生きている。

残す文字に表現に責任をもって今日も生きる。

華子

フリーで記事、取材もしています。会社に所属しています。 現在はお給料をいただいていません。記事を読んでいいな♪ 共感! なんじゃこりゃ?! 何か皆様の感情が動いたときにサポートをしていただけると感謝です。いつも読んでいただきありがとうございます。 春日華子