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相対的貧困という言葉の怪しさ

 今の日本では、貧しいのに困っていない、「痛みに耐え」過ぎて慣れてしまった国民、消費を控え家計を上手くやる国民が増えていることが一番の問題でしょう。つまり日本人は無駄遣いを減らしすぎで、消費をうまくやりすぎです。

 ところで貧困とは貧しくて困っている様を指すはずですが、貧乏のことをフォーマルでは貧困というケースが増えています。貧乏がネクタイ締めると貧困と言っているように見えます。

相対的貧困

 この言葉が広まったのはNHKの番組がきっかけだろうか。某女子高生が顔出しで出てきて、貧しいのでPCはキーボードしかないという。これは?貧困ですよね。貧しくて困っているので。でも多分近所回って「要らないノートPCありませんか。子供がパソコンで文字入力の勉強したいので」って言って5件ぐらい回ればくれる人いそうだよなと。会社のいらんやつあげるとか。でも困ってるんですよ。だから貧困です。でもこの困の部分は必ずしもお金の問題でないことも重要です。

 何やらマスコミが、相対的貧困と絶対的貧困とか言いだしましたが、相対して貧困を判断するのはどの立場なんですかね。つまり下の図で、

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 「ああAは確かに貧困だ」と判断できるのは、ABCの誰なんでしょうか。
 Aが自分で判断すると、自分が困っているかの自己判断によるわけで、先ほどの例えなどでみられるように、「情報」や「工夫」が足りないための困かも知れません。
 Bが判断するときは、Bは自分や社会が責任をどこまで取らないといけないのか、を考慮しますし、先のNHKの番組で発生したネットでの反発と同じく「俺よりましやんけ」と思えば貧困の判定は下しません。
 Cの判断が正しいようですが、CにとってのBって誰なんですか。急に売店の前で知らない人に「からいですか?」って聞かれても、それなりにとしか言いようがありません。例えが意味不明かもしれませんが、夢中になってるネット民はB、相対貧困ってのがあってと言い出す人たちはCですよね。なんとなく他人事の人々という印象です。

 でもこの問題って、絶対的貧困=すごい貧乏、相対的貧困=やや貧乏、って言えばわかりやすくないですか。相対的とか貧困とか、言葉に関心がないように感じます。


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