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形而上エッセイ「分かる人にしか分からない話」

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2018年12月の記事一覧

信じることを越えて考える楽しさ

ようやく舌先が荒れていたのが治ってきた。この一週間というもの、食べたいものも食べられず、話すのも億劫で、雨に打たれた子犬のようにみじめな気持ちを抱えていたけれども、ようやくすっきりとした気持ちで生きていける素地が整ったのである。

それもこれも、近頃お参りするようになった神社のおかげかもしれない。この頃、ゆえあって、ちょこちょこと神社に参詣しているのである。お賽銭を差し上げた甲斐があったなあ。いや

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舌先3mmにある心と異邦人

舌が荒れている。舌先にちょんっと水泡のようなものができていて、舌を動かすたびに、口内のどこかに当たりチリチリと痛むので、飲み食いすることはおろか、話すのもおっかなびっくりしなければならない。そんな状態がここ数日続いている。

もう何もかも嫌になった。

……と、まあ、それはちょっと大げさだけれど、日常為していることのほとんどが、どうでもいいことのように思われているのは確かなことである。今日は仕事が

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哲学者は答えなど出していません

また同じようなことを書こうと思う。

何度も何度も同じようなことを書くのにはわけがある。消極的な理由としては、同じようなことしか考えていないので同じようなことしか書けないというものだけれど、より積極的な理由としては、何度も書くことによって、それだけ人の目に触れる可能性が高くなるからだ。「人」と言っても、不特定多数のことではない。誰でもいいから読んでほしい、なんてことは、わたしは全く考えていない。わ

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哲学noteのうさんくささについて

若干、いやかなり墓穴を掘ることになるかもしれないが、このnoteでは、哲学noteのうさんくささについて述べる。ここで「哲学note」とは、タイトルに「哲学」とついていたり、タグに「哲学」が使われていたりして、「哲学」を前面にアピールするnoteのことである。どうもこいつらはうさんくさい。「哲学」と銘打たれているnoteで、「哲学的な内容」に出会ったことがほとんどない。逆に、つい昨日のことだけれど

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「別れても好きな人」は、「別れたから好きな人」かもしれない

ここ数日、酒を断っている。もういい年だし、酒を飲んで憂さを晴らしている場合ではない、酒を飲む時間をもっと有意義なことに使うのだ! ……などと、天高く拳を突き上げてはいない。単に、飲み過ぎて、舌が荒れたので、それが治るまで飲まないようにしたというだけのことである。

舌が荒れると大変である。何を食べるにせよ、おっかなびっくり食べるので、食事がどうも楽しくない。「みんなは食べるために生きているけど、ぼ

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星の友情――「つながらない」価値について

noteのコンセプトに「つながる」があるが、あえて、わたしは、つながらない価値というものを提唱したい。人とつながらずに、一人きりでいることの価値である。

つながって、みんなで何かをやることの価値とは、承認欲求が満たされることや、一人ではできない大きなことができることが挙げられるだろう。

まあ、それはそれでいい。他人に認められると嬉しいものだし、万里の長城は一人では造れない。

わたしが、みんな

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あなたのことをあなたはあまり知らない

思ったことをちょこちょこと書いては、こうして投稿しているのだけれど、書いているときはノリノリで書いているのだが、書き終わってみると、「こんなのはたして読まれるんだろうか」と思うことがしばしばある。というか、ほとんど毎回そうだ。というのも、読んでもまず何の足しにもならないからである。人生論めいたことを書いているが、内実は人生論とはほど遠く、人生に指針を与えるようなことは、何一つ書いていない。そもそも

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幸福の中に不幸があり、不幸の中に幸福がある

禍福は糾《あざな》える縄の如し、という言葉がある。幸福と不幸は表裏一体で、代わる代わるやってくるという意味である。しかし、わたしは、この言葉は、ちょっと違うなという気がしている。ただし、幸福と不幸は代わる代わるやってくるわけではなくて、ずっと幸福ばかりやってくることもあれば、泣きっ面に蜂、不幸続きのこともある、などということを言いたいわけではない。そうではなくて、幸福の中に不幸な部分があり、不幸の

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If I were you, I would ...

以前書いたことと、同じようなことを書く。

何度も同じ事を書いて恐縮だけれど、どうして、何度も同じ事を書くのかと言えば、どうしてもそれが確からしいと感じられてしまうからである。で、書きたくなる。しかし、それが本当に確かなことかどうかは、読み手の判断に任されている。だから、よければ、考えてみてください。

表題は、「もしわたしがあなたなら、わたしは……」くらいの意味である。さて、「わたしがあなたなら

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「世界は朝から始まったの?」に答えてみる

7月30日に放送されたNHKラジオ第一放送の「夏休み子ども科学電話相談」という番組で、6歳の女の子が、「世界は朝から始まったの?」という質問をしたことが話題になっていたらしいということを、今日、他の方のノートを読んで知った。

どうでしょうね、これ、皆さんがお子さんからこの質問をされたとしたら、どんな風に答えますか?

番組では、専門家が、「世界」というのを「地球」ととらえて、地球上では、一カ所が

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悟りに達した普通の人たち

悟りについて書いてみようと思う。と言っても、抹香臭いことではない。というか、そもそも、わたしは信仰を持たないので、宗教的な内容など書けない。

悟りとは何か。悟りとは、あらゆるものへの執着を手放すことであるとよく言われる。しかし、「手放そう」と頑張ると、それは、「手放すこと」への執着となってうまくない。とはいえ、あんまり手放そうとしないようにしようとすれば、その定義から外れてしまうことになる。

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人と真面目な話はしない

以前、あんまり人と話したいと思わないということを書いたが、話そうと思えば話せないわけではない。現に、会社の上司や同僚とは、政治経済の話とかなんとか、いっぱしの社会人らしく、ちょこちょこと話してはいる。まあ、そういう世間一般的などうでもいいようなことを話す分には問題は無いのだけれど、話が、もっとちゃんとしたことに及ぶと、途端に話す気が無くなる。ちゃんとしたことというのは、人生に関することである。ある

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分からないということの面白さ

どうもよく分からない。なにが分からないといって、自分が考えていることが確かなことなのかどうかというこのことである。あることについて考えて出てきた結論が、果たして確かなのかどうか。それはいったいどういう基準に照らし合わせて判断すればいいのか。そもそもが、「確かである」ことと、「わたしが確かであると思う」ことの間には、どのような違いがあるのか。

疑って疑って疑い尽くしてもなおそこにあるわたし、それだ

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誠実にウソをつくこと

色々と偉そうなことを書いているけれど、言うは易く行うは難し、なかなか実行は難しい。「事に当たって気持ちは変わるから、何かを行う前に心配するだけ損」というようなことを以前書いた。書いたわけだけれど、実際に、一昨日あたり、ちょっとやりたくないことに当たったとき、ストレスで胃が痛くなった。事の前にがっつり心配しているわけである。書いたことが行われていない。やれやれ。

こうなると、書けば書くほど、ウソを

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