【第3回】この恍惚を味わいたかったのかもしれない|地下鉄にも雨は降る|友田とん
前回は4月に荻窪駅から丸の内線の各駅の漏水対策を観察して回った。半日あれば、さすがに都心まで行けるだろうと高を括っていたが、細かく記録を取りながら回っていくと、あっという間に数時間が経っており、新宿まで見て回るのが精一杯だった。
少し日数が空いてしまったが、6月頭にその続きのフィールドワークに出掛けた。丸の内線を新宿三丁目から都心に向かって見ていく。新宿三丁目駅の「あらばしり」(第2回参照)も健在だ。そして、丸の内線のホームに着くと、柱の脇の天井から虎テープを巻いたペットボトルへと続く漏水対策があった。新宿三丁目駅は日常的に利用するので小まめに見ているが、これはこの間までなかったものだ。近づいて写真を撮り、見てみると、「2023.6.2/FAM23-01709」と記号が書かれていた。ほんの数日前に設置されたものだった。確かにこの数日の間に大雨があった。雨水が地中に染み込んで、漏れ出してきたのかもしれない。
だが、果たしてこれは本当に雨水によるものなのだろうか。空調の脇の天井を覆うようにシートが貼られている。そう言えば、漏水対策はかなりの確率で空調の近くにあるような気がする。漏水は空調から漏れ出る水である。そんな仮説をこれまでにも思い浮かべたことがあった。夏になり冷房が稼働しはじめると、空調の冷やされた部分に結露した水滴が漏れ出てくる。そういうこともあるかもしれない。だがどうだろうか。
そこで突然、スコットランドのジョークを思い出した。天文学者と物理学者と数学者がスコットランドの田舎を走る列車に乗っている。車窓から平原の真ん中に黒い羊がいるのが見える。天文学者は、「スコットランドの羊はみな黒い」と言う。物理学者は「スコットランドの羊のうちの何匹かが黒いだけだ」と言う。それに対して数学者はこう言うのだ。
「スコットランドには平原が存在し、そこには少なくとも一匹の羊がいて、その片側が黒いのだ」と。
しばしば、数学者の厳密さに言及するために使われるジョークだ。かつて数学を研究していた私にも言わんとすることはわかる。しかし、数学者は厳密に言えることだけを言うわけではないのだ。むしろ、厳密にはそうとは言えないけれど、という注釈を付けた上で、様々な仮説を立てて、考えてみる。そうしたことを無数に繰り返しているのだ。ひょっとしたらこうなのではないか、もしこうだとしたら……、と無数の仮説を言う。ただ、どこが他の人たちよりも際立って厳密かというと、正しいと証明されたことと、まだよくわからないこととを、きちっと区別する点だ。証明されたことのほとんどは、正しいとわかったわけではないがと留保しつつも証明できるのではないかと企図されたものに他ならない。
電車に乗り、新宿御苑前駅のホームに降り立つ。ホーム上を探してみるが漏水対策の形跡はあるものの、稼働中の漏水対策は見当たらない。連絡通路で反対側のホームに行くが、やはりない。それで、なんとなく改札近くにはある気がして歩いて行くと、改札手前の精算機の天井に漏水対策があった。そこには「2023.6.4/FAM23-01772」と記号があった。
また電車で移動して、四谷三丁目駅の改札を出たところに、大掛かりな漏水対策があった。駅事務室の前の天井に一直線に蛍光灯が並んでおり、その周囲の4箇所を透明のシートが覆っていた。シートからチューブを伝ってペットボトルへと注ぐ。そのうちの一つはもう漏水しないのか、チューブの先に水を受けるペットボトルがなかった。また、あるものは事務室の前に設置されたAEDの後ろに回り込むように設置されており、チューブ自体に虎テープが巻きつけられてもいた。だが、ここで何よりも興味深いのは、天井の4箇所の漏水に対してそれぞれ設置された(シート、水を流すチューブ、水を受けるペットボトルから構成される)漏水対策の独立した系に同じ記号「MSR 2023.5.12/FAM23-01118」が付されていたことだ。これは、異なる水源に端を発し海に流れ込む河川をみなひとくくりに「利根川」と呼ぶようなものではないだろうか。いや、それは言い過ぎか。だが、何を1つの漏水対策と捉えるのかということ自体、決して自明ではないことに私は気づいた。別々の記号が付与されて当然と私が思った漏水対策に同じ記号が付与されていた。別々の日に漏水が発生していたらこうはならなかっただろう。同じ日に一斉に漏れ出し、一度に対策されたから、これを1つの漏水対策と捉えて、同じ番号を付与したのではないか。そしてまた、一度に設置した漏水対策であったとしても、作業者は同一の番号を付与するか、それとも別々の番号を付与すべきか、一瞬であっても逡巡したにちがいない。
次の四ツ谷駅では、ホーム上の天井の継ぎ目から漏れた水を吊り下げた樋のようなものを伝わせて、壁のチューブでバケツに流す対策があった。バケツの手前には赤いパイロンがあり、手書きで「漏水/足元注意」と表示されていた。念のため、こちらの記号も確認すると、「2023.5.19/FAM23-01328」であった。
また、同じホームの階段脇にも対策があった。吊り下げるのではなく天井を這う形の樋とチューブからなる漏水対策であり、バケツではなくペットボトルで受けられていた。記号は「2023.6.2/FAM23-01685」とあった。反対側のホームに行くと柱を伝う対策があり、そちらは「2022.3.10 **⑩/FAM21-04090」(**の文字は判読不能)と記されていた。
ここでふと気になって、新宿三丁目駅〜四ツ谷駅に設置された対策の記号を並べて見比べてみた。
さらに、記号が「FAM23」からはじまるものを数字の若い順に並べると、こうなる。
見事に時系列になった。FAMの年度の後ろの番号は毎年年初にリセットされて「00001」から番号が振られていると考えてもよさそうだ。むろん、番号が欠番なく実際の漏水対策と一対一に対応すると決まったわけではない。だが、もしそうだとすると、大雨の降った6月2日〜4日の3日間に、すくなくとも90箇所近い漏水対策が設置されたということになる。
丸の内線四ツ谷駅では、良いものをみさせてもらった気がしていた。記号の謎にも少し近づいている手応えを感じていた。だが、実は後ろめたさもあった。というのも、丸の内線の四ツ谷駅は地上にあるからだ。四ツ谷駅周辺は文字通り谷になっており、周囲の地形の関係で、地下鉄がこの辺りでは地上に顔を出す。私が見つけたのはその地上部分にある駅舎の漏水対策だ。これを「地下鉄の漏水対策」と呼んでいいものだろうか。むろん、東京メトロの駅なのだから、それは地下鉄の漏水対策と呼んでも構わないはずだし、今回のフィールドワークのスコープに入っているはずだ。それに、私が勝手に決めた「地下鉄の」漏水対策のフィールドワークだ。ルールと言っても自分で決めたものだ。構うも構わないもないはずである。いや、だからこそ、ルールに反していなくとも、何か引っ掛かるというときには、慎重でありたい。
こうした引っ掛かりは何も初めてではない。例えばユニークな漏水対策が三軒茶屋駅のホームにある。これは天井の漏水をパネルやシートで受けたものを、金属製の漏斗で受けて、チューブに流すものだ。この漏斗を使うタイプの漏水対策は、東京メトロの駅では今のところ見かけたことがない。だからそれは非常に面白いものだと紹介したい気持ちもあったのだが、躊躇っていた。というのも、三軒茶屋駅は東京メトロではないからだ。三軒茶屋駅は東急田園都市線の駅なのである。そんなことはどうでもいいではないか、という声が聞こえてきそうだし、実際私もそんなことはどうでもいいということはわかっていながらも、しかし、それを「地下鉄の漏水対策」と呼んでいいものか、逡巡してしまうのだ。
それで思い出すのが、四半世紀以上昔の話だ。かつて友人と、桜新町にある長谷川町子ミュージアムの話になった。友人が
「地下鉄で行けるんだよ」
と言ったので、私は
「桜新町は東急新玉川線(当時)で、地下鉄ではないんだよ」
と言い返したから、話はややこしくなった。
「だって、地下を走ってるんだから地下鉄だろ?」
「いや、あれは地下鉄ではない。渋谷より手前が東急でその向こうが営団地下鉄半蔵門線だ」
ちょっとした口論になったのである。いや、それよりも前に何か相手のことが気に入らなかったのかもしれない。その時はそれで終いになった。今なら、もっと適当に済ませるだろう。思い出すだけで自分を嫌な奴だと思う。だが、何か正確さを追求したいという自分の気持ちもわからなくもない。なぜか本質でないとわかっていても、この手のことについこだわってしまうのだ。
だが、その地下鉄かどうかを分けて考える思考はいったいどこから来るものなのだろうか。「地下鉄の」漏水対策に興味がある。「地下鉄の」というところがミソで、地下鉄でない場合にはそれほどそそられない。実際、JRの駅で見かけても、それほど熱心には私は観察しない。不思議である。まあ、これは地下鉄ではないからな、と冷静でいられる。自分でもよくわからないが、興奮のスイッチが入らないのである。
考えてみるに、地上を走る鉄道の地上の構造物ならば、漏水ももっとスマートに対策できるはずだ、という考えがあるのかもしれない。それは単なる雨漏りである。地上にある構造物なら、ビルだって、家屋だって、なんだって雨漏りしないように建てている。だからあまり興味がわかない。そういうことかもしれない。
一方で、想像に過ぎないが、地下の構造物の壁から水が染み出して来るのは、ものすごい圧が掛かっているからだろう。それは仕方がないし、それを一つ一つ人が対策しているというところに興味がいくのかもしれない。だから、地下にある漏水対策に興味があるのは自分でもわかる。地下であるがゆえに、逃れられない漏水対策だからだ。もちろん、地下には地下のやり方というものがあるのかもしれないが、さぞ大変なのだろうという気持ちが先に来る。
だが、ここで考えなければならないのは、漏水対策が設置されているのが地下鉄か、それ以外の鉄道であるかということと、地下であるかどうかは微妙に異なることだ。実際、不思議なことに漏水対策が地下にあったとしても、それが地下鉄以外の鉄道の場合には、あまり興味をそそられないのである。と同時に、先の丸の内線四ツ谷駅のように、地上にあったとしても、地下鉄の漏水対策には興味が自然と湧いてくる。いったい何が違うのか。どちらかを否定したいわけではない。できることなら、どちらもみな愛でたいのである。
そんなことを考えながら、乗り換え通路を進む。四ツ谷駅には地下駅もある。南北線の四ツ谷駅だ。エスカレータを下り、コンコースへと出る。綺麗な空間には、激しい漏水の跡があり、また、常設の漏水対策には、緑青が噴き出しているところもあった。ただ、ホームにはこれといった漏水対策は見当たらない。どこかにないものかと端から端まで見て回ったが、とてもきれいなものだ。地下にある地下鉄らしいものを見つけたかったのだが……。
諦めて出口へと向かうと、屋外の出口に、漏水対策があった。もはやこれは単なる雨樋と区別がつかないほどの代物である。だが、そこにもやはり記号はついている。
この日は6月6日であり、とするならばここに書かれた日付「6/14」というのは2022年以前の6月14日ということになる。20年と21年のたまたま同じ6月14日に設置されたのだろうか。あるいは、21年に二つ目の漏水対策を設置する際に、一つ目も合わせて更新しており、その日付が6月14日ということなのかもしれない。
興が乗ってきたまま、次の赤坂見附駅へと向かう。赤坂見附駅と永田町駅は別の名称だが駅の中の通路でつながっている。乗り換え可能ではあるが、かなりの距離を歩かなければならない。難儀した人も多いだろう。丸の内線・銀座線の赤坂見附駅から半蔵門線の永田町駅への通路の間には土嚢が並べて置かれたところや、緑色の壁に泥水が流れたような汚れのあるところがあったが、目立った漏水対策はなかった。
では、通路の向こうの永田町駅はというと、以前冬に来た時には、半蔵門線のホームにも、あるいはその向こうの乗り換えの通路にも、そして、有楽町線や南北線のホームにも、これと言った対策は見当たらなかった。流石、政治の中心地では漏水対策など表から見えないようにお金をかけて徹底して対策しているのではないか、などと冗談を言っていた。だが、今回見に来てみると、梅雨時だからか、やはりあった。
まずは半蔵門線のホーム端の階段の脇に、仮設の漏水対策があった。見ると、「FAM20-09153/HNI①」とある。「FAM20」ということは2020年に設置されたということか。ひょっとしたら冬に見て回った時には、見落としていたのかもしれない。
ホーム中程にもあった。永田町にもちゃんとあるものだなとニコニコしながら、エスカレータを登ると、各路線を繋ぐ通路の合流地点に、極めて大掛かりな漏水対策があった。天井のあちこちからの漏水を受けて流すチューブを1箇所に束ねてバケツで受けていた。おそらくできたばかりであろう。「6/4 MSF 23-01823」とマジックでビニールテープに記入されていた。
有楽町線のホームの端にも漏水対策があった。天井の蛍光灯脇を覆う2枚のパネルと、ビニールシート、それぞれからチューブが出ており、その三本のチューブを束ねて、ペットボトルで受けている。記号を見ると、3つの記号が付与されていた。
この記号を見てから、もう一度頭上を見上げると面白い。「ビ」は透明のビニールシートで覆われたものだろう。「樋小」は写真奥側の小さい方(と言っても結構大きいが)のパネル、「樋大」は写真手前の大きいパネルを指すのだろう。このことによって、パネルで覆っているもののことを、彼らが「樋」と確かに呼んでいることがわかる。そして、記号から、2021年に樋小が作られ、その後その脇から漏れたものをビニールで覆い、2023年になってから、さらに手前の天井が樋で覆われたのだということがわかる。こうした、時間の経過、成長・生成の過程がわかるのも非常に面白い。また、漏水対策の箇所は3箇所で、対策の記号も3つあるが、対策からペットボトルへと続くチューブが2本しかなく、どこかで合流している。こうした上流、下流の親子関係を持つ漏水対策があるのも興味深い。
永田町駅の有楽町線のホームの端からエスカレータを上り、改札を出て出口へと向かう。ちょうど向かいには国会図書館や議員宿舎があり、駐車した警察車両の前で警官が見張っていた。私は何か悪いことでもしているような後ろめたさを感じながら、出口付近の漏水対策を人に見つからないように急いで写真に収めた。スパイにでもなったかのような気がしてくるから不思議だ。そういえば、物事を深く観察したければ、自分をスパイだと思い込んでするといい、というようなことを昔どこかで読んだことがある。いや、あれは探偵術の話だっただろうか。皆がスパイや探偵になりきれば、もっと世の中のものごとが注意を払われるようになるのかもしれない。
随分と月日が経過していると思われるプラスチックのパネルで作った樋が、Γのような形状で出口の天井から地面に向かって設置されていた。そこには記号「FAM17-00541」とあった。これが本当に2017年に設置されたものだとしたら、これまでに見たものの中でもかなり古いものだ。しかも、ここにはもう一つ、最近になってビニールチューブをバケツで受ける漏水対策が付け加えられていた(逆に、古い漏水対策は水が枯れているのか、受けるものがなかった)。そこには「6/4 MSF 23-01799」とあるから、これも訪れる直前に設置されたもののようだ。
階段の下の方を出口から振り返ると、門構えのようにビニールシートで覆われた対策があった。もはや、漏水対策を見かけたら、記号を確認するところまでが習慣化したが、驚いたのはこれにも「6/4 MSF 23-01799」とあったことだ。この出口の階段周辺に新たに設置されたものは、みな同じ番号が付されているようであった。
もと来た通路を戻り、改札に入って階段を降りていくと、階段のど真ん中にコーンと
「漏水しております。お足元にご注意ください。修繕手配中です。駅長」
という表示があった。つまり、駅長が手配しているのだ。いや、手配したのは駅長ではないかもしれない。だが、駅からどこかそれ相応の部署や業者さんに依頼して修繕をしているのだろう。駅員さんが対策しているわけではないのだ。それはそうじゃないかと思っていたが、こうした貼り紙の文言からも、知見を得ることができる
ふと時計を見ると、もう夕方の5時だ。そろそろ駅も混んできた。有楽町線のホームを端から端まで歩き、上の階に上がると、各路線のホームを結ぶ通路の結節点に出た。そして、向かい側には駅構内の飲食店が入ったエチカというエリアがあり、そこにはカフェがあった。よし、今日はここで終わりにしよう。程よい疲労感があった。
カフェのレジの前に立ち私は、
「生ビールをください」
と言って、SUICAで支払いをする。しばらくすると、中の人がサーバーを操作してビールを注いで、渡してくれる。私は礼を言って受け取ると席に座り、そしてビールをぐーっと飲む。突然、とんでもない恍惚感に襲われる。私は、ビールをくださいと言っただけなのだ。私は麦もホップも育てたことがないし、ビールを作ることもできない。それどころか、ビールを積んだトラックを運転したこともなければ、荷上げ荷下ろしをしたこともない。ビールをサーバーからジョッキに上手く注ぐこともできない。ここにビールが手渡されるまでのあまたの人々の労働をつぶさに想像することすらできない。ところが、ビールをくださいと言っただけで、私の目の前にはビールが差し出される。これはほとんど奇跡である。突如訪れたとんでもない恍惚感に浸りながら私はしばらくビールを飲み、ぼんやりした。
だが、いつでもその恍惚感に襲われるわけではない。そんなことでは、この忙しない社会で平常心をもって暮らしていくことはできないだろう。それでも、と私は思う。しばしば、この恍惚感を味わいたい。そうでなければ、この奇跡によって生きているということがわからなくなるからだ。
足を使って地下鉄の中をくまなく探して歩いた。人の手による漏水対策がどのように作られ管理されているか観察し想像をめぐらせた。頭と足と手を使い倒して、気持ちの良い疲労に襲われていた。だからこそ、その「ビールをください」という一言によってビールが出てきたことが奇跡だと思われ(実際に奇跡なのだ)、恍惚を味わうことができたのだ。私はこの恍惚感を味わいたくて、地下鉄の漏水対策のフィールドワークを続けているのかもしれない。
(つづく)