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出禁です|常識のない喫茶店|僕のマリ

本連載の書籍化が決定しました(2021年8月4日付記)

 接客業に従事する人々の一番の悩みといえば、お客様の理不尽なクレームや行き過ぎた我が儘ではなかろうか。接客業同士で繰り広げられる「こんなヤバ客に遭遇した」という話は、いつ何時も盛り上がるネタである。その場では腹が立つし、全身の毛が逆立ちそうなほどおぞましかったりするのだが、最近では「ネタが出来たな」と思うので、慣れとは恐ろしい。

 以前勤めていた会社で商品についてのクレームがあった。女性用下着を取り扱っていたのだが、洗濯をしたら縮んだ、サイズが合わなくなったので取り替えてほしいとのことだった。本来であればタグをとって洗濯したものは返品も交換も受けることはできない。ということを丁寧な言葉で説明するが、相手は引き下がらない。引き下がらないどころか、だんだんヒステリックになり、終いには電話口で大声で怒鳴り始めた。結局上司がお客様の家まで赴いて謝罪し、返品と交換をしたにもかかわらず「こんな店があってはならない」「主人も怒っている」とゴネられ、挙げ句の果てには「消費者生活センターに通報してやる」などと脅された。必死に謝って対応してもダメなら、一体この人はどこで落としどころをつけるつもりでいるのだろう。どうすれば納得してくれるのか。最終的には割に合わない金額の商品券と本社の偉い人の謝罪でなんとか収束したものの、心はずっとモヤモヤしたままだった。

 思い返せば、この「必要以上に謝罪を強いられること」は接客業においてよくあることだと思う。お客様のほうが何やら物凄い勢いでキレてこようものならば、店員は一生懸命謝罪して、場合によっては店長が出てきてさらにお詫び申し上げたりする。しかし、だ。よく考えてみてほしい。そんなに怒れるほどその人たちはお金を払っているのか。甚だ疑問である。そもそも接客業の店員はたいした給料をもらえていないというのに、それに見合わない過剰なサービスを要求して必要以上に怒るのはお門違いではなかろうか。
 
 完全に余談だが、数年前台湾を旅行した際、服を買おうとレジに品物を出したら、タイミングが微妙だったのか店員に舌打ちされたことがある。しかし不思議と腹は立たず(まあこんなもんだよな)と思った。そのあと訪れたマッサージ店では、店員のおばさんがわたしの背中を踏みながら同僚と雑談&爆笑、おまけにゲップもしていて(なんか最高)と感動すら覚えた。文化が違うと言われたらそれまでかもしれないが、ガチガチの接客を徹底する意味ってなんだろうな、と思ったりする。もっと気楽に働くことを許す社会であってほしい。

 こじゃれたバーなんかで常連客が「いつもの」と頼む場面はなんとなく想像できるけれど、いざ自分が店員のときに言われてみるとまあまあムカつくというこの気持ち、飲食店勤務の方ならわかっていただけるだろうか。「お前のいつもなんか知らん」と一蹴したくなる。明らかに新人の店員に対しても「いつもの」で押し通そうとする謎の根気強さを、どうか他のエネルギーに換えていただけないだろうか。学生時代バイトしていた居酒屋で、二ヶ月に一回来るかどうかの常連客(常連と言うほど通っていないが)が頼むビールの銘柄を覚えていなくて怒らせてしまったことがあるが、今思えばなかなか理不尽だったと思う。「俺と言えばハートランドだろう」と機嫌を損ねる中年を前にへこんでいた自分を励ましたい。

 
 わたしが働いている喫茶店では「お客さんと喧嘩してもいい」というルールがあるのだが、これがなかなか爽快である。「もう来ないでください」「お代は結構ですので帰ってください」と言い続けて四年目。何度も喧嘩したし、何人も出禁にした。怒鳴られたこともあれば、チンピラの喧嘩みたいに顔と顔を10センチほど近づけられた日もあった。さすがに直接的な暴力を振るわれたことはないけれど、今後もその可能性がないとは言い切れない。しかし、少しの勇気でストレス要因を排除できるのであれば、はっきりと拒否したほうが絶対にいいと思う。何年も通っていた迷惑な常連を三年越しに出禁にしたとき、「もっと早く言えばよかった」とすら思った。「わたしとあなたはいつか刺されます。色んな人を出禁にしていますから」とマスターが冗談めかして言ってきたことがあるが、目がマジだった。

 信じがたい話ではあるが、お冷やの水で歯間ブラシを濯いでいた老婆に遭遇したときは気絶するかと思った。そんなことは自宅の洗面台でやってほしいのに、どうしてわざわざ喫茶店のテーブルでやるのか。すぐ隣の席では他のお客さんが食事しているというのに、許しがたい蛮行である。こういった「わざわざ言うまでもないダメな行為」を注意しなくてはならないとき、(つらいな……)と感じる。注意するのにも体力と気力がいるので、絶対に逆ギレしないでほしい。
 
 「口が臭いし全てがキモい」というどうしようもない理由で出禁にされた悲しき中年もいた。そのおじさんはとにかく口がニンニク臭くて、カウンターに座ると店員みんな吐きそうになっていたし、女性店員をジロジロ眺めてくるキモさも相まってかなり嫌われていた。お気に入りの女の子のシフトを聞き出していたときは戦慄した。ここまで嫌われていると四季を通して真っ赤なポロシャツしか着ないことさえもなんだか不快だった。ある日ちょっと天然な先輩女子が「臭いがひどくてスタッフが迷惑してるので」と普通に宣告した。あまりにもストレートな物言いにさすがのわたしも面食らった。もし自分が喫茶店の店員、しかも異性にそんなことを言われたらショックで自害してしまうと思う。しかし、それが真実でありすべてなのだ。少し気まずいと思ったが、おじさんは「ああ、にんにくのこと?」とケロっと聞き返してきたらしく、情状酌量の余地など一切なかった。自覚があるのだったらケアしてをしてから来てほしい。

 先日、一見のお爺さんが、お会計が終わった後に「スパゲティ、ただのお醤油味だったよ。こういうのあんまりよくないねえ」とわたしに言ってきた。確かに7割くらい残していたので口に合わなかったのは言われなくともわかる。わかるけれど、他のお客さんもいる店内で、去り際にわざわざ大きな声で言うようなことだろうか。黙って帰ればよいのではないか。しかしわたしは年々「失礼」に対するカウンターが鋭利になっているので、お爺さんよりでかい声で「は?じゃあもう来ないでください」と言っておいた。こういうとき、相手はまさか言い返されるとは思っていないので、呆気にとられた顔をする。意見は聞き入れる価値はあると思うが、ただの意地悪は叩き潰す。帰り際の捨て台詞は法律で禁止にしたい。

 飲食店として、一番うれしいのは「完食」だと思っている。自分の作った料理がおいしいかどうかは、何年働いていても気になるものだ。きれいに平らげた皿が戻ってくるとほっとするし、「ごちそうさま」「おいしかった」と言われると作り手冥利に尽きる。一度気になりすぎて厨房から客席に出て行って「おいしいですか?」と自ら聞いてしまったことがある。呼んでないのに来てしまうシェフ。自意識の化身である。驚きと笑いに包まれた「うまいです」を無事に回収して、再び目の前の皿と向き合う日々。そんな風だから、この腕に残る火傷や切り傷のことを、実はあんまり気にしていない。

僕のマリ(ぼくのまり)
1992年福岡県生まれ。物書き。2018年活動開始。同年、短編集『いかれた慕情』を発表。ほか、単著に『ばかげた夢』と『まばゆい』がある。インディーズ雑誌『つくづく』や同人誌『でも、こぼれた』にも参加。同人誌即売会で作品を発表する傍ら、文芸誌や商業誌への寄稿なども行う。2019年11月現在、『Quick Japan』でbookレビューを担当中。最近はネットプリントでもエッセイを発表している。
Twitter: @bokunotenshi_
はてなブログ: うわごと
連載『常識のない喫茶店』について
ここは天国?はたまた地獄?この連載では僕のマリさんが働く「常識のない喫茶店」での日常を毎月更新でお届けしていきます。マガジンにもまとめていきますので、ぜひぜひ、のぞいてみてください。なお、登場する人物はすべて仮名です。プライバシーに配慮し、エピソードの細部は適宜変更しています。


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