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月に一度海辺の街にアイスクリームを食べにいく時のあの感じ|安達茉莉子

 何事にも基本だらしない私だが、いくつか守っているルーティーンがある。そのひとつが、毎月逗子のアイスクリーム屋に行くことだ。

 今住んでいる横浜の家からJR逗子駅までは、電車を乗り継いで大体40分くらい。体感的には横浜と逗子は隣同士のように思っていたけれど、実はそうでもなく意外と時間がかかる。それでも都内に住んでいた頃よりは、ずいぶん身近な場所になった。横浜から横須賀線に乗って、戸塚や保土ヶ谷の住宅地を遠く眺め、北鎌倉、鎌倉あたりになると一気に山の気配が強くなり、土地の気配が変わる。古都鎌倉。観光客で賑わうが、賑わせてやっている、とでもいうように、古い街並みや深い緑にひそむ静けさは、賑やかさに飲み込まれることはない。

 逗子までいくと、鎌倉という古都の雰囲気はまた薄まって、ひらけた海の気配に変わる。駅で電車を降りると、空が開けていて、潮の香りを含んだ風が吹いて、トンビが空を旋回している(食べ物を狙ってくるので悪名高い)。ホームに立つたびに、ああ逗子にきたと思う。のんびりとした、開放感のある海の街。

 駅を出て、葉山方面に出るバスに乗り込む人を眺めながら、商店街を通って目当てのアイスクリーム屋に向かう。数年前にオープンしたそのお店は、有機の食材で少量のアイスクリームを手作りしている。ヴィーガンアイスクリームが豊富なことが特色で、なんと味見も惜しみなくさせてくれる。店内にはソファ席や居心地の良いテーブル席が設置され、カフェとして落ち着いてゆっくり過ごすことができる。アイスクリームとは手に持って食べ歩くもので、食べ終わったらすぐにご退店を、と言われているような、ペロ・即・去! みたいな簡素な作りが多い日本のアイスクリーム屋とは一線を画している。休日は混んでいるので、必ず平日に来る。

 味をしめて月一で通うようになったのは、困ったことに月替わりの限定フレーバーが数種類あり、これがまたどれも一風変わっていて珍しく、なんでも試してみないと気が済まないアドベンチャー気質が騒いでしまうからだった。ダブルのアイスクリームとホットコーヒーを注文する。言うまでもなくワッフルコーン。次に味を決める。味見をさせてくれるアイスクリーム屋だが、流石にあれもこれもとは言えないので、悩みに悩んで、これとこれをお願いします……と決める。毎月来ようと思えるのは、美味しいアイスクリームだけが理由じゃない。ここで一番好きなのは、なみなみと注がれた熱いホットコーヒーを、アイスクリームと一緒にちびちび飲むことだったりする。席に座り、ホットコーヒーと、軽いけれどねっとりしたアイスクリームを交互に口に含む。整うどころではなく、極まる。そんな幸せを、月一度味わうことを定例にしている。私の日々の収穫祭だ。

 店内でゆっくりしたら、なんとなく立ち上がる。ルーティーンはまだ終わっていない。逗子に来たら、海を見て帰る。アイスクリーム屋を出て、逗子海岸に向かって道を入っていく。住宅街の中を歩いていくと、いくつか角を曲がって、まっすぐな長い道の先、水平線が見える。海が今日も光っている。

 逗子海岸は街から近いから、まるで大きな公園のようにいろんな人が砂浜の上で思い思いに過ごしている。犬を散歩する人、ランニングする人、座って話し続ける高校生、まだ暑くはない海で夢中になって泳ぐ人たち、ただ海にきた人たち。砂浜ではさっさと靴を脱いで裸足になる。ぷらぷらと靴を手に持って砂浜を歩くその頃にはもう、背中や肩のあたりにあった重たく滞った気持ちは散っている。

 思えばいつも水辺に来てしまう。水飲み場に集う野生動物の本能が残っているのだろうか、単純に水のそばにいると落ち着くからだろうか。勤め仕事が一番忙しかった二十代の頃、時々四ツ谷駅前からふらりとバスに乗って、夜の晴海はるみ埠頭に行っていた。吉祥寺駅から井の頭公園に行って、森に囲まれるように広がる池を見ながら水辺のベンチに座って、誰かが遠くで歌う声を終電の時間まで聴いていた。それから時が経ち、私に今見えているのは、いや、トンビ目線を借りると、風景の中にいる私の姿は、もう少し明るく、穏やかなものかもしれない。

 年を重ねて、いつからか、自分自身のことで精一杯だった部分がごっそりとなくなった。なんでもいい。どうでもいい。どうぞご自由に。それが良いことなのか悪いことなのかはわからないが、今の私はがらんどうで、でも心地よい。アイスクリームの味や、コーヒー、海、トンビ、そんなものに満たされることを知った。それを味わっていると、結構忙しい。締切がテトリスの終盤のように積み重なっている日々の中で、ついつい時間を惜しんで家の中で鬱屈と過ごしてしまう。だけど、私がそうしているときも、同じように海辺では時間がゆっくりと流れ、みんなただそこにいる。アイスクリームを食べ、その帰りに海岸に夕日を見にいく。儀式のような一連のお出かけが、月に一回でも叶っていれば、私の人生はまずまずだ。とりあえず、来月もアイスクリームを食べに来られますように。願わくは、私が味わう日々の歓びが文章の根底に流れ続けますように。テトリスのバランスが取れますように。

連載『あの時のあの感じ』について 
今、私たちは、生きています。けれど、今を生きている私たちには、自由な「時間」が十分になかったり、過ぎていく時間の中にある大切な「一瞬」を感じる余裕がなかったりすることがあります。生きているのに生きた心地がしない——。どうしたら私たちは、「生きている感じ」を取り戻せるのでしょうか。本連載ではこの問いに対し、あまりにもささやかなで、くだらないとさえ思えるかもしれない、けれども「生きている感じ」を確かに得られた瞬間をただ積み重ねることを通じて、迫っていきたいと思います。#thefeelingwhen #TFW

著者:安達茉莉子(あだち・まりこ) 
作家、文筆家。大分県日田市出身。東京外国語大学英語専攻卒業、サセックス大学開発学研究所開発学修士課程修了。政府機関での勤務、限界集落での生活、留学など様々な組織や場所での経験を経て、言葉と絵による作品発表・エッセイ執筆を行う。著書に『毛布 - あなたをくるんでくれるもの』(玄光社)、『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』(三輪舎)、『臆病者の自転車生活』(亜紀書房)、『世界に放りこまれた』(twililight)ほか。

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