新しい場所へ

文章が書けなくなってだいぶ更新が遅れてしまった。
ソーリー。

色々なことがあった。
本当はもっと些細なことも書きたいのだけれど、大きなことで言えば引越しをした。
新しい街のことはとても好きだ。駅を出ると少し坂になっていて、曲がり角にちょうど花屋がある。
最近少しずつ日の光が明るい春の陽気を含むようになった。でも、まだ冬の澄んだ空気も残している。
穏やかな午後、若い夫婦や大きな犬を連れた人が花屋の前で立ち止まり、言葉を交わし、季節の花や植物を持ち帰っていく。
そうした様子を日常的に目にしていると心に少し余白が生まれ、前のめりな心の力がフッと抜ける感じがする。越してきてよかった。

ただ、以前3年間住んでいた場所のことも好きだった。
大きな川が歩いてすぐの場所にあったので、夜ふと思いついた時に行き、ただただ永遠に続く水のうねりを見つめていた。
また、近くのタワーマンションの屋上では展望台が開放されていてそこもよく一人で見に行った。
普段暮らしている場所を距離を置いて上から眺めていると不思議な気持ちになる。自分が死んだ後はさらに上空から解像度高く見渡せるのかな、とか。

昔住んでいた街の事を思い出すと、どうしてこんなにエモーショナルな気分になるのだろうか。
それは大学生の時住んでいた場所も同様で、思い出すだけで少し胸がキュッとなる。その時はもちもすぐ近くに住んでいて、気がつくと集合していた。
その場所が好きということももちろんあるけれど、そこで過ごした時間だったり誰かと過ごした日々が重なってそういう気持ちにさせるんでしょうね。

でも、きっとそれだけではない。
その場所の思い出は住んでいた家もセットになる。
思い出すのは、朝にカーテンの隙間から差し込む光、夜の暗さと無表情で明るく光る月、窓の外に見える電車の明かりと規則的な通過音。
部屋に一人でいると、どうしても自己と向き合う時間が増える。その時々に感じていた説明がつかない空虚さや孤独はなんとなく今の自分の根幹を形作っているような気がする。そしてその為にはあの場所や、あの部屋が必要だった。


退去の見積もりを終えた時、一度駅に向かった。けれど、あ 川。と思って引き返した。

最後に行った時そこはとても穏やかだった。
雲の切れ間から、スカイツリーの上の方だけ光がさしている。
穏やかな水の上、きれいに建物や鉄塔が反射していた。
その上を静かにスーッと鳥が泳いでいく。
水面が揺れる。
光は伸びたり縮んだりして、水はゆっくりとひとつの方向に向かって流れ続けていた。

川の光の反射や優しい揺らぎは私を包み込むように肯定し、この先の別の地へと送り出してくれているように感じた。
遠くほどキラキラして見えた。 
この景色をまた、私は思い出してキュッとなるんだろうな。そう思いながら電車に乗った。


もちと前よりは近くなったのでまた集合しましょうね。

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