強き美しき母に #3 それ、本当に大丈夫?
よもぎでございます。
連載第3話です。第1回、第2回はマガジンからどうぞ。
全身麻酔ってすごいんですよね。私も一度やったことがありますが、本当に起きたら何もかも終わってます。
私はお母さんの手術が終わるのを今か今かと待っていましたが、きっとお母さんにとっては一瞬だったんでしょうね。
今回は手術後のお母さんのお話です。
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「母の胃袋」が脳に焼きついたままの私を引きずるように、談話室に戻る。
胃のむかつきを抑えるため、自販機で冷たいお茶を買った。
胃を取っちゃったら、ムカムカするとかいうのもないんだろうか。
また誰からともなく他愛のない会話が始まり、時間を潰す。
16時半を少し回った頃。7階の廊下が騒がしくなった。
一番奥の医療用エレベーターが開くのが見えた。
医療用エレベーターは、ベッドに寝た患者さんを運んだり、医療用の荷物の運搬にしか使われない。
エレベーターの口から、大きなベッドと4,5人の看護師が飛び出してきた。
ガシャガシャと遠慮のない音を立てながら、一行はナースステーションの横にある集中治療室に流れていく。
あのベッドに寝ているのはお母さんだ。見えなかったけれど、なぜか確信していた。立ち上がる。
集中治療室には勝手に入るわけにいかないので、入口の前に4人で並んだ。
先ほどの一行は一番手前のスペースにベッドを収め、点滴やら心電図の機械やら、絡まりそうなたくさんの線をいじくっている。
「石田真紀さんのご家族ですね。まだ寝てますけど、どうぞ」
一人の看護師に促され、叔母さんたちを先頭に中に入った。私は一番最後、お父さんの大きな背中に隠れるようについていった。
お母さんが寝ている。少し顔をしかめているように見える。
でも、そこに胃がないなんて誰も思わないだろう。
腕や顔やお腹に管がたくさんついていた。電源に繋がれてやっとこさ生かされているロボットのようで、かわいそうで、涙が出た。
「酸素マスクちょっと苦しそうじゃない?」
「布団暑いんじゃないの?」
看護師さんが見ていない隙に、叔母さんたちが酸素マスクをずらしたり布団をずらしたりしている。ちょっと、あんまりいじらない方がいいんじゃない......?
すると心なしか、お母さんの顔から苦しそうな色が消えたように見えた。
昼寝をしている日曜日のような、いつもの寝顔。
「ほら、こっちの方が楽そうだじゃ。」
「んだ。マキ、手術終わったよ。がんばったねぇ」
「聞こえてらが? まだ眠いんだべ。」
昼寝をしている子どもを起こすように、叔母さんたちが優しく話しかける。
聞こえているのかいないのか、静かな寝息は心電図の単調な電子音にかき消されていった。
そこに執刀医の先生が来た。
「石田さん、聞こえますか? 手術終わりましたよ。あと朝までここで寝て、そしたら部屋に戻りますからね。」
お母さんの眉毛がぴくっと上がり、わずかに口が開いた。
目を開けようとしているのだろうけど、眉毛が上がるだけで、多分見えていない。
「おぉ、返事したじゃ。聞こえてらんだね」
叔母さんたちは顔を見合わせて、お母さんの回復を喜ぶ。
ああ、よかった。
このまま目を開けなかったら、動かなかったらどうしようと思っていた自分に気がついた。
管に繋がれたお母さんと、声をかけ続ける叔母さんたちを見て、涙が出た。
麻酔のおかげで痛い思いはしていないだろうけど、繋がれたたくさんの管が痛々しさを演出していた。
代わってあげられたらいいのに。心の底からそう思った。
お父さんは私の真横にいたから、どんな顔をしていたかわからない。
でもきっと私が涙を拭っていたことには気付いていた、と思う。
また眠りについたお母さんと、それを覗き込む叔母さんたちを、私はこっそり写真に残した。
お母さんが起きたら見せてあげよう。
・・・
看護師さんがカーテンをちらと揺らし、目で何かを伝えてくる。面会時間が終わろうとしていた。
「また明日来るから」
お父さんが初めてお母さんの手を握り、声をかけた。
「そろそろ寝るよ」と言う時と同じ、いつも通りの声で。
「じゃあね」
私もこれくらいは言っていた、と思う。
その夜、まだ寝ているとはわかっていたけど、お母さんの携帯にメールを送っておいた。
『手術お疲れ様。起きたら連絡してね』
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二日後。お母さんからメールが来た。
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新着メール:お母さん
本文:ま
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まだ寝ぼけているのか。感染症対策で面会ができないため、様子がよくわからない。
しばらくすると、追加のメールが来た。
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新着メール:お母さん
本文:歩く練習してる。おしっこの管は抜いてもらえた
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まだぼやぼやしてるみたいだけど、ひとまず回復してるみたいだった。
リハビリになるように、今話さなくてもいいようなことまでたくさんメールした。
ゆっくりだけど、いつも通りの返信が来るようになってきた。
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数日後、お父さんと一緒にお見舞いに行った。
相変わらず感染症対策で病室には入れないものの、談話室でなら会えるらしい。
手術中、4人でずっと待っていたあの談話室だ。
談話室の中には6人がけの大きなテーブルと無機質な椅子が数セット。奥にはソファとテレビ、自販機や雑誌がおいてある。
奥から二番目のテーブルに、お父さんと向かい合って座った。
お父さんが到着のメールをお母さんに送ると、点滴を引きずる音が近づいてくる。
髪を下ろしたお母さんが、手をシャッと上げて談話室に入ってきた。いつものおちゃらけた笑顔だった。
私の中で、緊張の糸が解けた。管に繋がれて寝ているだけのお母さんじゃない。
私の大好きな、おしゃべりなお母さんが帰ってきた。
お母さんは、会えなかった術後二日間のことを話し始めた。
目が覚めてから吐き気がひどかったこと。
リハビリのため、廊下を往復10周歩けとお医者さんに言われたこと。
ちゃんと10周歩いてお医者さんにドヤ顔をしてやったこと。
看護師さんに教わった、胃がない人の食べ方。
抗がん剤治療の予定。
そして、お腹の中にガン細胞がないかチェックしたという検査の結果。
ガン細胞がお腹に飛び散っていると、転移の危険性が高くなるのだ。
「ガン細胞は2種類しか検出されなかったから大丈夫でしょうって言われたよ。」
2種類しかいなかった?
2種類いた。
・・・
私は大学で化学を学び、偶然にも抗ガン剤開発の研究をしていた。
ガン細胞をフラスコの中で育て、薬を与える実験をする。奴らの恐ろしい増殖力を知っていた。
あいつらは、1日もあれば倍に増える。たった2日でフラスコがガン細胞でパンパンになるのだ。
2種類しかいなかったから大丈夫と、お医者さんは言ったらしい。
2種類しかいなかったから大丈夫? 2種類いた......。
それ、本当に大丈夫?
手術を終えた直後なので、安心させるためにそう言ったのかもしれない。
私も、その場では思ったことを言うのをやめた。
ところで、ガン細胞は増殖が早いが、育てる条件が悪いと増えにくかったりする。
極端に栄養がない場所とか、冷蔵庫の中とか。
そういえばお母さんは胃の不調を訴えていた時ですら、間食に延々お菓子やらせんべいやら食べていたな。
きっと栄養バランスが偏って、ガン細胞にとって劣悪な環境になっているに違いない。
大量の醤油せんべいでガン細胞が困っているところを想像してニヤニヤしているうちに、大事なことを思い出した。
「お母さん、これ病室に飾って」
手術前、院内で私と両親の3人で撮った写真。
印刷して、気分が明るくなるようなかわいい写真立てを選んだのだ。
弟は仕事だったので写っていないけれど、「お見舞いに行った時には写真を撮って私に送れ」としつこく言っておいた。
そのうち弟も映った写真が追加されるだろう。
お母さんは上機嫌だった。
心配していた手術も無事に終わり、歩けるようになって退院の目処も立ち、家族との写真ももらった。
今日は何も心配しないで寝てくれたらいいな。
そう思いながら、その日は病院を出た。
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今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
無事に終わって本当によかった。ちょっと引っかかることはあるけど、何か起きたらその時に考えればいいですもんね。
それにしても、人間って胃がなくても平気なんですね。
【次回】第4話 いいじゃんいいじゃん
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