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思わず口走った言葉は、本心なのか? 

 エッセイ連載の第2回目です。
(連載は「何を見ても何かを思い出す」というマガジンにまとめてあります)
 第1回のエッセイに対して、「言葉にできないもどかしさも、だが思わず言葉になってこぼれ落ちるのも、両方好きだな」というご感想をいただきました。
 なるほど、そうだなと思いました。
 ただ、「思わず言葉になってこぼれ落ちる」ほうには、言葉にすることの危険性も潜んでいます。
 それにまつわる出来事を思い出しだので、今回は、予定を変更して、そのことについて書いてみようと思います。

 中学一年生のときだったと思う。
 その夜は友達の家に泊まりに行くことになっていた。
 そのしたくをしていた。

 どういう理由だったかは忘れたが、母親が「今日はやめておきなさい」と言い出した。
 困った。友達とはもう約束してあるのだ。「お母さんが行くなというから、やめておくね」なんて言えない。

 口論になった。
 それがだんだん激しくなっていった。
 そんなに泊まりに行きたかったわけでもないのだが、口論というのは勝手に盛りあがっていってしまうものだ。

 この興奮の中で、私は思わず、
「なんで泊まりに行くと思っているの? この家にいるのがイヤだからだよ!」
 と叫んでいた。

 びっくりした!
 そんなことはまったく思っていなかったのだ。
 そんな重い理由で、友達の家に泊まりに行くわけではない。ただたんに、ひと晩中いっしょに遊ぼう、楽しもうというだけのことだった。
(いったい何を言っているんだ?)と内心、当惑した。

 しかし、口はさらにこう言った。
「こんな家、いたくないんだよ!」
(えーっ!)と思った。(本心でもないのに、なんでだめ押しするんだよ
!)と、あわてた。

 しかも、私は涙を流し始めていた。
 泣きながら、こんなことを言ったのだ。
(なぜ、泣くんだ? 泣くほどのことが、どこにある?)と、私は本当にびっくりしていた。

 友達の家に泊まりに行くのを止められたという、ただそれだけのことなのだ。
 なぜ、こんなひどいことを、しかも泣きながら言う必要があるのか?
 自分でもまったく理解できなかった。

 母親は、驚いて、言い返せなくなった。

 その母親の肩ごしに、むこうの部屋にいる父親の姿が見えた。
 なんとも言えない悲しげな顔をして、黙ってすわっていた。
 本当はそんなふうに思っていたのかと、父親はショックだっただろう。
(そうじゃないんだ!)と、これは本当に心からの叫びとして、父親に言いたかった。
 口論していた母親はともかく、とばっちりで父親にこんなひどいことを言いたくはなかった。
 本心でもなんでもないのだから。

 しかし、「本心ではない」という本心は口に出せなかった。

 母親は、私をなだめるように、「行ってきなさい」と言い出し、私を送り出した。
 そのまま、私は友達の家に泊まりに行った。


 家に戻ったら、あれは本心ではないということを、ちゃんと言わなければと思った。
 しかし、信じてもらえるだろうか?
 子どもが、興奮した状態のときに、思わず、泣きながら叫んだのだ。
 これはどうしたって、「ずっと隠してきた本心」という感じがすごくする。
 どう否定したって、「つい本心を口に出してしまい、それをあとであわてて否定しているだけ」というふうに、受けとられてしまうだろう。
 困った。

 けっきょく、そのことについては、何も言えなかった。
 そのまま、そのことにはふれずに過ごし、今に至る。


 人が激したときに、つい叫ぶ言葉。
 酔ったときに、つい漏らす言葉。
 寡黙な人の口から、ぽろりとこぼれ出た言葉。
 そういう「思わず出てしまった言葉」は、「本心そのもの」のように、どうしたって感じられる。

 ドラマなんかでも、そういうシーンで口走るのは、日頃から思っていることで、でも言ってはいけないと隠していることだ。

 人間は心の中に、強く思ってはいるけど、決して口に出してはいけないことを、たくさん抱え込んでいる。
 それを抱え込み続けるには、常に理性の力が必要とされる。
 なんらかの理由で、理性のたがが少しゆるんでしまうと、本心があふれ出てしまう。
 だから、思わず口にしてしまった言葉は、本心であることが多いだろう。
 しかし、100%ではない。
 私の場合のように、心にずっと秘めていたことを叫んだとしか見えないが、じつは心の中にまったくないことだった、という場合もある。

 こんなことは私だけなのだろうかと思って、何人かの人に聞いてみたことがある。
「そんな経験はない」という人もいたが、「自分もそういう経験がある。思ってもいないことを、ずっと隠してきた本心みたいに言ってしまった」という人もいた。
 だから、全員にありうることではないかもしれないが、決して珍しいことでもないと思う。

 相手から、隠してきた本心としか思えないことを言われると、衝撃は大きい。
 その言葉がずっと心の傷になっている人もいるだろう。
 それは本当に「隠してきた本心」だったかもしれない。
 しかし、「まったく思ってもいなかったこと」の場合もある。そういう可能性もある、ということは知っておいたほうがいいと思う。

 なぜ、思ってもいないことを言ってしまうのか?
 その理由はわからない。
 そういう経験のある人たちに理由を聞いてみたが、それぞれにちがうことを言っていた。自分でも理由がよくわからなくて、推測するしかないという感じだった。
 私の場合は、ドラマの中の言葉か何かが出てきてしまったのかなあと思う。自分の本心ではないどころか、外からの借り物が、そんなときに出てしまうこともあるようだ。困ったことだ。

 というわけで、思わず口走った言葉というのは、本心というふうに重く受けとめられやすいが、そうとも限らないということだ。
 ただ、どうしてそんなときに本心ではない言葉が出てくるのか、その理由はわからない。
 でも、言葉にすると力を持ってしまう。
「言葉にすること」のおそろしさのひとつだ。



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